第3話 ちょおま☆主人公、死す ※残酷描写有


 時刻は午前4時を回ったところ。

 終電なんてとっくの昔になくなっており、もはや始発が走りそうな時間帯。

 そんな時間に私は、自宅近くの公園を早歩きで突っ切っていた。

 そう、なんと私はこの一時間くらいずっと歩いて移動していたのだ。


〝こんなことなら会社で寝ていればよかった〟


 などと後悔したのは、会社よりも自宅の距離が近くなった頃だった。

 この公園から自宅までの距離およそ10分。

 こんな事では家に帰ってもせいぜい1、2時間くらいしか眠れない。

 いくら疲労がピークとはいえ、自分の計画性のなさに呆れてしまう。


「──ねえ、お姉さん。そんなに急いでこれからどこ行くの?」


 二人組の男がいきなり私の前に、立ち塞がるようにして現れた。

 フードを深くかぶった男性と、地味な野球帽を深くかぶった男性。

 どちらも私の身長よりも頭ひとつ分以上大きい。

 無論、陽もまだ昇っておらず公園内の電灯も薄暗かった為、どちらの顔もよく見えない。そんな男性を不気味に感じた私は足を止め、すこし後ずさりした。


「ねえってば、無視?」

「おーい、聞こえてますかー?」


 ふたりとも気安い口調だ。

 身に覚えがある。これはナンパというやつだろう。

 だが、進路方向を塞ぐほどの強引なものには出会ったことがない。

 それもこんな早朝に、顔も見せないで。


 けど、これはこれでどこか安堵している自分もいた。

 というのも、最近世間を騒がせている〝男二人組の強姦殺人犯〟を連想してしまっていたからだ。

 ただ女性を犯し、殺害するつもりならわざわざこんな手段はとらない。


「はぁ……」


 大人しくラジオ体操でもしていたほうがずっと有意義で健康的なのに。

 まったく。男の考える事はよくわからん。

 私はそのまま、大きく道を逸れてふたりの横を通り過ぎようとしたのだが――


「おっとっと……へへ、ツレないじゃん。無視なんて」


 野球帽をかぶった男が私の行く手を、体を入れて進路を塞いできた。

 ここまでくると、さすがの私も本格的に気持ち悪くなってくる。


 ひと昔前の私であればそのまま男の顔面を鷲掴みにし、後頭部を地面に叩きつけたりして無理やり黙らせたりしていたかもしれない。

 しかし私は学習したのだ。

 そんなことをすれば下手すりゃ後遺症が残るかもしれないし、最悪死ぬと。

 まぁ、そうでなくても複数人いる男相手に、正面切って腕力で黙らせる自信など今の私にはないのだが……嗚呼、運動不足な自分が恨めしい。


「あの、すみません。すこし急いでいるもので、そこを通してくれませんか」


 だからこそあえて下手に出て、お願いする。ただしあくまでも毅然とした態度で。

 逆につけあがってくる可能性もあるかもしれないが、こういう輩ほど女性側が理知的に物事を進めれば案外引いてくれたりするのだ。

 なんてったって猿だから。

 言語が通じない相手とわざわざ対話を図ろうとする輩などいまい。


「お話であればまた後日、日を改めてから――」


 〝ゾクゾクゥ!〟

 話していた途中で、私の肩に手が置かれる。


「へへへ……お話は……」

「今がいいなあ……」


 フードの男が口を開くと、野球帽の男も続けてニチャリと口角を上げた。


 その瞬間、今まで否定していた最悪・・の可能性が再び脳裏をよぎる。

 気持ちが悪い。気味が悪い。気分も悪い。

 正直、いますぐ身を翻し、そのまま逃げ出してしまいたいのだが、情けないことに私の脚は震えていた。


「ねえねえ、もっかい聞くけどさ、お姉さん、どこ行くのーってさ」


 あまり刺激してはいけない。本能が私にそう告げる。

 ここは大人しく質問に答えたほうがよさそうだ。


「う、うちに帰るところ……です……」

「へえ……じゃあ、俺たちもついてってい?」

「……え?」


 一瞬、思考がフリーズする。

 何を言っているのかが理解できない……したくない。


「〝え〟じゃないよ~」

「だからさ、俺たちと、お姉さんの家で楽しいことしようよって、ね?」


 そう言ってふたりが私の前後に移動してくる。

 私は完全に逃げ場を失ってしまった私は、そこで初めて男たちの顔を目にした。


 話が一切通じないであろう、光を失った目。

 半開きの口。手入れのされていない眉毛に無精ひげ。

 間違いない。ニュースで何度も見た顔だ。

 顔色が若干紫がかっている・・・・・・・のはおそらくこの暗がりのせいだろう。


「お? お姉さん、もしかして俺たちのこと知ってる?」

「やべーな、俺たちももうそこまで有名人かよ」

「サインとかいる?」

「お姉さんの体の好きなところに書いてあげるけど、どうする?」


 まずい。

 まずいまずいまずい。非常にまずい。


 ここから逃げなければ。声を出さなければ。


 脳はそう命令を下しているのだが、体はまったくそれを聞き入れてはくれない。

 度胸はあるほうだし、修羅場も学生時代にいくつかくぐり抜けてきた。

 けれども、そのどれもが児戯に思えるほどに、私は今、恐怖している。

 まるで両脚が底なし沼にはまっていくように、重く、深く、抜け出せない。


「あっちゃ~、もしかして、怖がらせちゃった?」

「それじゃあいますぐお姉さんの家に行って、慰めてあげなきゃね」


 今度は手首をガッと掴まれる。

 おそらく私が逃げ出せないように掴んでいるのだろうが、幸か不幸か、その行動によりなぜか体が言うことを聞くようになった。


 これならなんとか逃げることが――


「おっと、あまり動かないほうがいいよ」


 男が声を発し、私の腹部に何かが当たった。

 私はおそるおそるそれを見て──息を吞む。


「わかる? ナイフ。お姉さん、これ、ナイフね」

「刃渡りはそこまで長くないけど、刺さったら相当痛いよ?」

「このままサクッと刺して、お腹を横にひっかいたら……」

「腸とかが、でろん、て出てきちゃうかもね。キヒヒヒ……!」

「ま、それを見るのが僕らの〝趣味〟みたいなとこあるんだけどね」

「けど、特別にお姉さんは勘弁してあげてもいいよ」

「大人しくお家に案内してくれれば、ちゃんと気持ちよくしてあげるからさ。……ね?」


 ……私に残された選択肢はふたつ。

 こいつらに言われるがまま自宅へと案内するか、ここから一目散に逃げだすか。


 一見、このまま案内したほうが安全かと思うかもしれないが、どうせ案内したところで私を待っているのは地獄。生かさず殺さずで弄ばれ、最終的に殺されてしまうのは目に見えている。

 かといって、今の疲労困憊運動不足な私に、こいつらから逃げられるほどの脚力があるわけもない。

 第一、この状況で逃げだそうものなら捕まった時、確実に殺される。


 そう、どちらにせよ私を待っているのは絶望なのである。


 ──嗚呼、なんて日だ。


 いつもどおりの時間帯に帰宅していれば、こんな事にはならなかったかもしれない。

 課長の理不尽な要求も、きちんと抗議していれば免除されていたのかもしれない。

 ニュースなんて他人事なんて思わず、きちんと周囲を警戒し、怪しい二人組が見えた瞬間、一目散に逃げていればこんな事にはならなかったかもしれない。

 改めて自分のこの危機管理能力のなさが恨めしく思う。


 もっと普段から鍛錬していれば――

 もっと自己を強く保っていれば──

 もっと周囲に気を張れるようになっていれば──

 もっと――もっと――


「……いや」


 いやいやいや、ちがうよ、そうじゃないだろ、鈴木桜。


 そもそもの話、

 誰彼構わず女と見たら手を出してくる万年発情男が悪い。

 そんな馬鹿男に心酔し、あろうことか私を目の敵にしてくる筋違いな女が悪い。

 堂々とオフィスで乳や尻を触ろうとしてくる、性欲全開のおっさんが悪い。

 無関係な女性を殺して回る、殺人鬼どもが悪い。


 なんか無理やり自分のせいにして納得しようとしてるけど、この私には何の非も、落ち度もないじゃないか。

 まぁ、そりゃたしかに現在進行形で与えられた仕事から逃げてるけど。


 税金だってちゃんと払ってるし、家賃も水道代も光熱費だって払ってる。会社にもそれなりに貢献してるし、実家にもささやかだけどお金を入れてる。お盆の時なんかはわざわざ実家に帰って家事も手伝って、墓参りもしてる。


「そうだよ……!」


 しいて何が悪かったかって訊かれると、〝運〟が悪いってだけじゃないか。

 

 ムッカァァアアア!


 そう考えると、段々とムカっ腹が立ってきた。

 なぜ私は何も悪くないのに、こんな目に遭って人生諦めたように悟っているのだ。


 そもそもこいつら、よく見ると筋骨隆々どころか、めっちゃヒョロいし。

 なんなら全然、私よりも弱そうじゃん。

 そんなヤツらに囲まれて、光り物ナイフ突きつけられて、何を半べそをかく必要があるんだ。それこそ以前の私に見られたら笑われてしまう。


 それに……そう、あれだ。いつぞやの漫画でも見たことがある。

 男なんて股間にぶら下がっている〝心臓〟を蹴ってしまえば一発だと、おさげ頭の外国人も言っていたじゃないか。

 今までヤバそうだったから試したことなかったけど、それを今、こいつらで試してやる。

 そして私はここでこいつらを完膚なきまでにぶっ倒して、明日(正確には今日だけど)正々堂々出社し、課長に向かってガツンと言ってやるんだ。

〝これ以上続けるつもりなら労基行きますよ。あと口臭いですよ〟とな。


「およよ、どうしたのお姉さん? 考え事?」

「おいおい、やめろって、お姉さん余計にビビ──」

ジャッ!!」


 左足で思い切り踏ん張り、右足で股が裂けそうな勢いでフード男の股間を蹴り上げる。

 つま先から何か柔らかいものが、メリメリと潰れる感触が伝わってくる。


「ぐェ……ッ!? ガあ……くぉ……ッ!」


 ナイフを持っていたフードの男は目を見開き、股間を押さえながら前のめりに倒れ込んだ。時折、声にならないような「ひゅ……っ、ひゅ……っ」というを鳴らし、地面の上で小刻みに震えながらうずくまっている。


「や……やっ……やっちまっ……ううん、ちがう……」


 かぶりを振って訂正する。

 もう、何かのせいにして目を逸らしたり、逃げたりするのはやめよう。


「やって……やった……!」


 そう、やってやったのだ。私の意志で、私の選択でだ。

 これでフードはもう一生変な気を起こすことはないだろう。


 そして、あのおさげ髪の外国人が言っていたことは正しかったんだ。

 あとはもうひとりのほうを──


 〝ドン……ッ!〟


 突然、野球帽の男に突進される。……が、やはり、そこまでの衝撃はない。

 所詮は光り物ナイフに頼っていただけのヒョロヒョロ男。

 フィジカル面でさえ、今の私を上回ることが出来ていない。

 私は、再び脚を踏ん張──


〝ガクン!〟


「……へ?」


 私の意思とは関係なしに、私の膝がガクンと折れる。

 とにかく、私はなんとかしてその場で踏ん張ろうとするが――


「あれ……?」


 突如、私の右脇腹に鋭い痛みが走った。

 一体何事かと思い、手を当ててみるが、いつの間にかシャツが水で濡れていたらしい。

 そして、なぜか生暖かい。

 さらに水よりも少し粘度があるような気も――


「まさか……こ、これって……」


 おそるおそる自分の手のひらを見てみると、べっとりと血液が付着していた。

 依然辺りは暗く、目視での確認がうまくできないが、この鉄臭さが、この形容し難い鋭い痛みが、それが血液であるという事を示唆していた。

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