【12】

 後味の悪さが残るなか、皆一様に閉口し、去りゆく人影を見送っている。


 歓談の華やぎと真逆に等しい、痛いくらいの静けさだけが、纏わりつくように滞留していた。


 あっけに取られる男性陣を、走らせた眼差しでひと撫でする。いくら不可抗力の産物とはいえ、個人的な悶着を無関係の彼らにまで波及させてしまった。


 通常であれば、有意義な語らいに専念しているはずなのに。交流に充てるべき大切な時間を、あろうことか男性がらみの確執に使わせてしまったのだ。


 羞恥含みの申し訳なさと、なんとも言えない居たたまれなさから逃げるように、俯きかげんで手元の帽子に視線を落とした。


「くどいようだが、本当によかったのか? これではあなただけが犠牲を強いられて終わりだ。筋違いもはなはだしい難癖をつけられた側が、身勝手な理不尽を許容せざるを得ない結末などどうにも割りきれん」


 伏せたおもてをそろりと持ち上げ、納得しかねると眉根を寄せるワイズナー様を凝視する。華奢な背中が消えてなお、触れなば切れん鋭さをとどめ、厳しい外貌に看過しがたい異議を燻らせていた。


 けれど、しかめた表情から背理に対する義憤は読み取れても、礼節を濁したことへの不快感や、けじめを放棄したわたしへの呆れは見受けられなかった。


 ほっと安堵したはずみに肩から力が抜け、心が解きほぐされるように弛緩した。


「どうした」


 精悍な横顔を見つめる気配を察したのか。柔らかな響きを添えた眼光が、ゆっくりとこちらに降りてくる。


 重なった虹彩には優しいぬくもりがたゆたい、まるでわたしを閉じ込めるが如く、神秘的な瞳がじわりと細められた。


「謝罪の件でしたら、わたくしはいささかも後悔しておりません。皆様方の意に反し、曖昧な幕引きを選択いたしましたけれど、むしろ最善であったと自負しております。それよりも……園遊会の初日に多大なご迷惑をおかけしてしまいました体たらくほうが重大で……」


 王家が主催するこのたびのパーティーは、ただの催しとはわけが違う。


 表向きは親睦を深めるというかたちで隣国の殿方を招待しているが、じっさいは自国の女性たちと引き合わせるのが本来の趣旨だ。加えて、あわよくば例年を凌ぐ縁組みが成立するかもしれないと、ひそかに期待している節もある。


 双方の利害が合致している都合も手伝って、長くも短い一か月の期限に縛られながら、ローウッドの男性方は花嫁を探し求めて来訪している。


 それゆえ優先すべきは多くの令嬢たちとの接触であり、彼らにしてみれば無駄にしていい時間なんて一秒たりともない。


 だというのに、つつがなく交流会を過ごしてもらうどころか、こちらの事情に――それも色恋沙汰の騒ぎに、偶然居合わせただけのワイズナー様たちを巻き込んでしまった。


 厚顔にも、彼らの親切に甘えてしまった自分が恥ずかしい。必死に頭を働かせて詫びの言葉を探すけれど、上滑りするばかりで適切な文言が欠片も浮かんでこない。


 かつて“話術が乏しく、一緒にいても面白みに欠ける”と、突き放されたわたしだ。機知に富むでもない自分の至らなさは、百も承知している。


 彼らが気配りを示してくれるたび、詮ないことと言い聞かせるも、当意即妙とういそくみょうな返しができる才知を併せ持っていればと、ない物ねだりをせずにはいられなかった。


「部外者が嘴を入れるなど差し出がましかっただろうかと反省こそすれ、先刻の揉め事に関して迷惑だとは誰一人として思っていはいない。あまり思い煩うな」

「彼の言うとおりです。見過ごせないとなかば強引に横槍を入れたのはこちらですし、複雑な事情が発端とはいえ、あなたは一方的に八つ当たりされた被害者なのですから、なおさら俺たちのことで憂う必要はありません」


 慰撫する低音を奏でるワイズナー様と同じく、なごやかな労わりを紡ぐこの方もまた、包み込むような厚情を秀麗な相好に浮かべていた。


 わたしの気持ちを軽くしようと、心を砕いてくれる二人の気づかいはありがたい。ひび割れた大地が雨水で潤うように、乾いた胸に小さな喜びをもたらしてくれる。容易にぬぐえぬ劣等感に、ともし火にも似た温かさを分け与えてくれる。


 異性を尊重する彼らには、呼吸をするも同然の配慮なのかもしれない。けれど、あの人に見向きもされなかった身としては、面映ゆいようなくすぐったいような、名状しがたい不思議な感覚が染み渡るようだった。


「それはそうと、最後までえらそうな態度を崩さなかったあの嬢さんも、温室育ちの貴族令嬢なんだろう?」


 気さくな物言いがふいに落とされ、冷めやらぬ話題の矛先が、再びくだんの侯爵令嬢に向けられた。


「横柄な言動はちいといただけないが、改善すべき点を除いて評価するなら、か弱いイェルド女性のわりになかなか豪胆だったと思わねえ?」


 あっぱれと言わんばかりの声音につられて首を傾ければ、そこには顎をさすって愉快がる、筋骨逞しい長身の男性。ワイズナー様よりいくらか年嵩とおぼしきその方は、野性味あふれた表情で彼を一瞥すると、笑いをこらえる唇をこれ見よがしににやりとたわめた。


「世のご婦人方が見せる反応は、総じて共通している。グレアムを前にするや否や青ざめた顔で目を逸らすか、蛇に睨まれた蛙さながらに震えて居すくまるかのふたとおりだ」


 やはり彼に対する女性の応じ方は、自他ともにありふれた事象として符合しているらしい。


 瞼を閉じれば、儚い諦念を帯びた台詞が記憶のなかでこだまする。


 硬い顔つきのヒギンズ侯爵令嬢が、ひと息入れるわたしたちのもとにやって来る少し前。


 こればかりは仕方がないと微苦笑を滲ませたワイズナー様は、異性の目に自身がどのように映っているのかを、客観的かつ冷静な視点を交えてこう述べた。


『荒々しい創痕に縁のない婦女子からすれば、この醜い傷は目汚しに他ならないのだろう。げんに俺と視線がぶつかった当国の女性たちは、誰も彼もが震え上がっていたからな』と。


 竜を半身とするローウッド人は皆、例外なく大柄だ。殺伐とした戦場に赴く騎士だけあり、纏う迫力は生半可ではない。


 敵を討ち払う能力をきわめ、国家の守護を双肩に担う勇猛な彼ら。そんな豪傑たちのなかにありながら、グレアム・ヴィセル・ワイズナーという人物は群を抜いて異彩を放っていると思う。


 鋼のような近寄りがたさ然り。豊かとは言いがたい硬質な表情然り。畏怖の念をいだかせる眼光然り。


 けれど女性が距離を置きたがる第一の理由は、おそらく左頬を起点として伝い下りる、痛ましい爪痕そうこんへの忌避なのかもしれない。


 戦を連想させる生々しい傷には、まったく馴染みがない令嬢ばかりだ。平穏無事な暮らししか知らぬ彼女たちが、怯えを露わに尻込みしてしまうのは想像に難くない。


「にもかかわらず、先ほどのお嬢さんは怖気づくどころかおっかねえ顔で反論していたし……そういや、助っ人で引っぱっていったこいつへの応対も、拍子抜けするくらい淡泊だったよな。たいていはうっとり見とれたあと、露骨に秋波を送るのが一連の流れだってのに」


 そうなのだ。知られざる彼女の一面に虚を突かれたわたしも、彼ら以上に驚愕を隠せずにいた。


 よしんば勝ち気なたちだったとしても、あの方はれっきとした侯爵令嬢だ。まさか威風堂々とした異種族の騎士相手に、面と向かって意思表示ができるだなんて想像すらしていなかった。


 肝が据わっていると評した殿方の感想は、意外にも彼女の本質を射ているのかもしれない。


「十把一絡げにできない人種的感性のズレも一概に否めないが……まあ、あれはおそらく極度の興奮状態に陥っていたせいだと思う。気が昂ぶるあまり正常な感覚が麻痺していたからこそ、動じるでもなくグレアムと対峙できたんだろう。頭を冷やして正気に戻れば、抗弁はもちろん、目を合わせることさえ至難のわざなんじゃないか」


 深窓の令嬢に不釣り合いな前者はともかく、今しがた別の男性が分析した後者――隣国の美丈夫に関心が薄かった彼女の反応は、さもありなんと頷くしかない。


 なぜならヒギンズ侯爵令嬢の想い人は、世の女性を虜にしてやまないあの人だからだ。その類い稀な美貌と抗いがたい魅力を知っているわたしゆえに、率直に認めざるを得ない。


「ついでに言えば、形容の好みや価値観の相違は人それぞれだ。我らが騎士団において上位五指に入る色男でも、ご令嬢の審美眼にかなわなかった可能性は多分にある」


 金褐色の髪が印象的な殿方も、かなりの美形だ。やや細身のあの人とは大きく異なり、体格も容貌も凛々しさが際立つ見目だけれど、いささかも遜色ない姿は女性の目を釘づけにすること間違いなしだろう。


 そんな美丈夫を前にして、微塵も揺らがぬ彼女の一途さには感嘆する他なかった。


 意気地なしのわたしが、このような願いを灯すのはおこがましいのだろう。同情などまっぴらと冷たくあしらわれるかもしれない。捨てられた女が何様のつもりだと、はねのけられるかもしれない。


 あの人に捕らわれた心を持て余し、今なお立ち往生している彼女の幸せを考えると、国家規模の交流会がなにかしらの転機になればと、祈らずにはいられなかった。


 胸に巣食う未練は厄介だ。一朝一夕にどうにかなるものではないし、表裏を転じるようにたやすく踏ん切りがつくものでもない。本気の恋であればあるほど根が深く、過去と決別するのはひどく難しい。


 一筋縄ではいかないとわかっているけれど、堆積たいせきするやるせなさを吐き出した今回の邂逅が、気持ちの整理に繋がるきっかけになればいいと思う。


 心の殻に閉じこもっていたわたしが、メルヴィナ様との出会いでほんの少し前向きになれたように、あの方も褪せぬ思い出を新たなえにしで塗り替えてほしい。


 飄然と見解を披露する男性の言葉どおり、例え先刻の度胸が一過性だったとしても、いかめしい貫録を放つワイズナー様と正対した気丈さで、彩りある人生を掴み取ってほしいと思う。


 まばゆい緑園が織りなす世界をなんとはなしに眺め、全身に貼りつく疲労感から意識を剥がす。男性陣の小気味よいやり取りを拾う傍ら、悟られぬよう忍びやかにため息を逃がした。


 開催初日から思いもよらぬ体験の連続で、本音を吐露すれば、お開きまで乗り切るつもりの気力は早くも底をつきそうだった。


 参加を渋っていた当初の消極性を顧みれば、よく持ちこたえたほうだろう。一部の令嬢たちがさえずる嫌味にも耐え、毅然と顎を上げていた自分に及第点をつけてもバチは当たらないはずだ。


 とはいうものの、明媚な風景に溶け込んでひっそりとやり過ごす予定が、不測の出来事により注目を浴びる結果となってしまった。復帰したての神経が息切れを起こし、限界を訴えるのもやむを得ないだろう。


 幸いにして男女の語らいをしているさなかでも、どなたかに誘われているわけでもない。序盤を迎えたばかりの園生そのうには甘い雰囲気が漂い、つたない駆け引きがほどよい加減で満ちあふれている。であれば、わたし一人が辞去したところで、どうということもない。


 懇親の宴が始まって一時間に満たないけれど、王家挙行のガーデンパーティーはひと月ものあいだ執りおこなわれるのだから、低迷する気持ちを奮い立たせて無理を押さずともいいだろう。


「そこのあなた。忙しいところ申し訳ないのだけれど、用事をお願いしてもいいかしら」


 使用済みのカップや小皿を盆に回収し、近くを通り過ぎようとする女給を引き止める。髪を丸く結い上げた外見は、二十代に差しかかる年頃だろうか。


「なんなりとお申しつけください」と、かしこまる姿勢で軽く辞儀をした彼女は、躾が行き届いた所作とともに微笑んだ。


「控え室で待機している、デュノア家の使用人を呼んできてくださる? 名前はポーラ。亜麻色の髪を持つ、二十代なかばの侍女よ」

「デュノア家とおっしゃいますと、リヴィエ伯爵家でいらっしゃいますね」


 さすがは王城勤めの配膳係。打てば響くような淀みのなさに、まさか貴族名鑑を頭に叩き込んでいるのではと、尊敬の眼差しを向けてしまいそうになる。


 あまたの民が憧れをいだく王城だが、国を象徴する領域に相応しく、労働の権利を得るには厳格な審査を通過しなければならない。


 ことに脚光を浴びる女官職がいい例だ。


 位階が付帯する役目は、高い能力を期待される。それゆえ出自の多くは由緒ある名家や、五爵あるなかの序列第三位までを賜る家柄の者が、古くからの慣例に従って任じられている。なぜなら教養や知識が必須の職務で、時には自己裁量が求められる責任ある役割だからだ。


 きっと侍女であっても同様なのだろう。事実、給仕に徹する彼女たちは、身分ある男女の世話を担当している。そのうえ、両国の独身者が一堂に会する規模も加味され、接客態度や配意に遺漏がないよう厳守しているに違いない。


 期間限定の配置場所にしろ、完璧なもてなしが課せられている以上、合格に値するマナーを習得した人材でなければ、配膳係ですら務まらないのかもしれない。


 深く首肯したわたしは、続けざま「あと、もう一つ。侍女を呼びに向かったついでに、馬車を車寄せに回しておくよう御者に言づけてほしいの」と、さらなる用務を小声で連ねた。


 耳打ちされた女給はとっさに意味が咀嚼できなかったらしく、控えめな困惑をひと呼吸挟んだのち、


「……それは、ほどなくして辞される、ということでよろしいのでしょうか」


 歯切れ悪く口ごもりながら、おずおずと確認を重ねた。


 信じがたいと戸惑う、彼女の心情は理解できないでもない。雲上人の箱庭に招かれた女性は、将来的にローウッド男性の手を取るかもしれない花嫁候補であり、国家間の友誼をより強固にする、懸け橋としての意味を内包しているからだ。


 王家が関与する秘されし思惑はともかくとして、場に馴染まぬうちにさっさと退城するわたしを訝しむのは、しごくあたり前の反応だろう。


「帰るのか」


 どうやらすぐそばを陣取るこの方には、短く交わされる囁きは筒抜けだったようだ。


 帰り支度を指示するわたしの袖を引くように、どこか名残惜しげなワイズナー様が、硬い口調で縫い止める。


「ただいま官吏に連絡してまいります。しばらくお待ちください」と足早に離れる女給を見送り、高い位置に浮かぶ鋭角的な面輪をそっと振り仰いだ。


「はい」


 迷いない返答を添えて頷くと、なぜだと問いたげな双眸が、さぐるような熱を宿してうっすらと眇められた。


「あなた様が疑問に思われますように、お茶会は始まったばかりなのですが……正直に打ち明けますと、先ほどの一件で少々気疲れしてしまいまして。お恥ずかしながら寸刻の参加となりましたけれど、ガーデンパーティーの日程はひと月を予定しておりますから、本日のところは大事を取ってお暇したいと思います」


 苦痛を感じるほどではないけれど、気持ちが磨耗しているのは本当だ。さざめく群衆から解放され、安心できる場所で心を落ち着けたいと、わが家を恋しがる気持ちが訴えている。


 しかしながら、時を置かずしての辞去には別の理由もある。


 出過ぎたことかもしれないけれど、じつを言えば、女性を慮る美徳を備えた彼らに配慮しての決断でもあったのだ。


 四人の目的は花嫁探しで、期限は一か月。しかも延長が認められない滞在とあらば、悠揚迫らぬ心構えでいられるはずもない。


 おそらく災難つづきの憐れなわたしがいては、後ろ髪を引かれて貴重な時間を存分に謳歌できないだろう。


 間接的にしろ、不自由を強いるだなんてもってのほかだし、素敵な出会いや幸運の訪れを祈りこそすれ、交流活動を阻害する足枷になってはいけない。

 つまりは、そういうことなのだ。


 茶会にまつわる規定は、供を会場内に随伴させないこと。立入り禁止区域に踏み入らないこと。この二点を除けば特にない。運営側も本人の希望を無視して慰留などしないだろうから、途中退園は滞りなく許可されるに違いない。


 けれどと、邸で気を揉んでいるだろう父の顔が、ふいに脳裏を掠めた。


 まだ陽も高いうちにはやばやと帰ってきた娘を見て、過保護のきらいがある父はどう結論づけるだろう。


 園遊会への出席は早計だったかと、みずからの判断を誤算と悔悟するだろうか。あるいは一年の籠居ろうきょ生活を送ってなお、いまだ癒えぬ心の傷痕に悲しむだろうか。


 どちらにせよ、これまで以上に心配する父の姿が目に浮かぶようだ。


 この瞬間も書斎でやきもきしているに違いないと、執務に集中しきれないでいる様子を想像していれば、


「ならば、邸まで送ろう」


 なにやら思案顔でじっとわたしを見据えていたワイズナー様が、さも当然のようにつき添いを申し出た。


 小首をかしげ「送る……?」とおうむ返しに呟くが、さらりと宣言された内容は、白く霞んだ思考にすんなりと馴染んでくれない。慮外で突飛な発言はしばし脳の働きを奪い、いつの間にかほうけた顔で固まってしまっていた。


「い、いいえッ! ご高配には感謝いたしますけれど、賓客でいらっしゃる方のお手を煩わせるには及びません。気疲れと申しましてもただの倦怠ですし、王城には侍女を伴ってまいりましたから、万が一変調をきたしましても大丈夫です。それに自邸までの行程も三十分とかかりません。ですから――」


 分不相応すぎる提案に瞠目しては、頬を強張らせながらとんでもないとかぶりを振る。空を切る勢いで、激しく首を打ち振ったからか。煽られた拍子にまたも横髪が乱れ、輪郭を撫でるようにしてひと房こぼれた。


 淑女らしくない所作にもかかわらず、彼は眉をひそめるでもなく、優しい手つきで滑り落ちた髪を耳にかけてくれた。


「侍女と二人だけの帰路など、あまりに心もとない。治安に定評がある王都とはいえ、絶対と言いきれんのが世のつねだ」


 ワイズナー様が促す注意と同様に、世の中は物騒だからと口をそろえて人は言う。しかし隣国との講和条約が締結して以降、イェルドの秩序は安定を保ち、都市圏へと近づくにつれ犯罪率も低くなっていると聞く。


 とりわけ王都は騎士の巡回を徹底していることもあり、昼ひなかに大事件が発生する可能性はなきに等しい。


「罪を犯す輩は、必ずしも単独とはかぎらない。なかでも狡獪こうかいな賊は人混みに紛れて獲物を物色し、余さず蹂躙してなお、骨の髄まで吸い尽くす。警備体制を過信し、用心を怠るべきではない」

「どこの無法地帯を指してんだよ、それ。前線地区じゃあるまいし、 よそ者のお前が危ぶむまでもなく、イェルドの安全神話はいまもって健在らしいぞ」


 やれやれと呆れ声を漏らす年長の殿方は、わざとらしくため息をついてみせた。


 大げさな持論を真面目に展開するこの方は、どうやら筋金入りの武人らしい。あらゆる事態を想定している顔つきはまさに真剣そのもので、行きがかり上知り合ったに過ぎないわたしを気にかけ、警護役を買って出てくれている。


 むろんワイズナー様の指摘は、もっともだと思う。善人の皮の下に害意を忍ばせる悪党がいるのは事実だし、警鐘を鳴らす考えも一理ある。


 けれど今一つ危機感が乏しく、どこかしら他人事のように聞き流してしまうのは、のほほんと安穏に生きてきたわたしの緩さゆえなのだろうか。


 普段からポーラだけを帯同して出かけているけれど、危険を感じたこともなければ、ひやりとする場面に遭遇したこともない。


 運がよかっだけだと言われてしまえばそれまでだが、庶民の女性は平気で一人歩きしているのだから、そこまで神経過敏にならなくとも問題ないはずだ。


 したがって「一般論と現実は別の話だ。男が御者しかいないのなら、武術を嗜んだ護衛は必要だろう」と、騎士道精神を体現するワイズナー様の案は、申し訳ないけれどなんとしてでもお断りするつもりだ。


「安全確保の強化に関しては、グレアムの提案に賛成だ。いくら警邏の頻度を高めようと、大なり小なり綻びは生じるものだ。決してイェルドの騎士を軽んじているわけではないが、ご婦人のみの道中は無防備すぎる。彼女たちの帰邸をこの目で見届けるまで安心はできない」

「エセ紳士、お前もか」


 それなのに帽子を拾ってくれた美丈夫までもが、力強い眼差しでワイズナー様を後押ししはじめる始末だ。


 生粋の騎士である彼らの気持ちは、本当にありがたい。身に余るほどの厚意だ。しかし、ここでうまく丸め込まれてしまえば、顰蹙ひんしゅくを買うような真似をしてまで下城する意味がない。本末転倒である。


 視線をめぐらせた先では、沈着な見解を示した男性が「歯止め役のお前が張り合ってどうするよ」などと、みずから差し添いを志願する彼に揶揄まじりのつっこみを入れていた。


 狼狽に染まる瞳を揺らしながら、額を寄せ合う異国の貴賓を茫然と眺める。


 どうにかして角を立てず説得できないものかと煩悶するけれど、焦りばかりが先に立ち、いっこうに良案が湧いてこない。


 そのあいだも、意欲的な二名は実行に移す手立てを講じているようで、情けないことこのうえないが、当事者ながらただ傍観するしかできなかった。


 それからはわたしが口を挟む隙間もなく、四名の殿方がくり広げる言葉の応酬はとどまるところを知らなかった。


 まさかとは思うが、デカい図体をした野郎二人で淑女の馬車に同乗するつもりか。

 それとも運営官吏に頼み込み、馬を借りて並走するのか。

 もしも単騎が叶わなかった場合、行きの相乗りが許されたと仮定して、戻りの手段はどうするのか。


 乗車拒否が予想される辻馬車は使えないだろうから、徒歩になるのは必然だ。それはそれで仕方がない。とはいえ不案内もはなはだしいローウッド人が、右往左往せず帰ってこられるのか。

 賭けてもいい。十中八九、迷子になる。


 商人ならまだしも、常人離れした屈強な外国人がうろつけば、怪しまれるのは明白だ。なによりこの話自体が、ご令嬢の迷惑にしかならない。よって下心にまみれた護衛案は却下である、等々。


 かわるがわる安全対策の必要性を説くワイズナー様たちと、面倒そうに反駁はんばくを封じてゆく友人らしき男性たち。


 寸毫すんごうも譲らぬ押し問答は、けっきょく官吏に連れられたポーラが到着するまで続けられたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る