【7】

 どれほどのあいだ見つめ合っていただろう。


 一分か、あるいは五分だったのか。もしかすると凝然と重なる視線は、琴線を爪弾く雰囲気がもたらした錯覚で、その実、三十秒にも満たない時間だったのかもしれない。


 つかの間、吸い込まれそうな眼色に呪縛されていると、周囲のさざめきに溶けた空気がふいに動いた。


 胴を捕らえていた腕が緩まり、名残惜しげにほどかれる。


 圧倒的な神性に魅入られるあまりうっかり失念していたけれど、対座する狭間に居すわるのは、少し身を乗り出せば鼻先が当たってしまいそうな、度を越したお互いの距離。


 改めてその間近さを意識した次の瞬間、二人を繋ぎかけていたなにかを断ち切る素振りで、恩人たる彼はゆったりとした動きで立ち上がった。


 一見すると無造作な身のこなしだが、研ぎ澄まされた気配としなるような柔軟さには、一線を画した独特の美しさがあった。


 それは貴族が習得する作法に則した美ではなく、きんと冴え返るオーラのような――強いて例えるならば、ひらめく白刃の如き美しさだろうか。ともかくこの方が放つ異彩は、名状しがたい存在感を漂わせていた。


 彼が膝を伸ばすに合わせ、わたしの首も徐々にのけ反っていく。


 背を丸めて密着していた時は、肩幅の広さと引き締まった胸板しか知りようがなかった。けれど、こうして体勢を戻した全貌を見れば、天地ほどの差に隔てられた、種族的な身体構造の違いが浮き彫りになる。


 すらりとした長身といい、均整の取れた体躯といい、彼の体つきがいかに立派であるか、いやがうえにも認識させられる。


 頭髪と虹彩の双黒に加え、袖を通しているフロックコートの色も相まって、この方が醸し出す威圧感は見る者を平伏させる凄みとおごそかさがあった。


「硝子による怪我はないと思うが、倒れるさい、テーブルの角に腰を打ちつけていただろう。ぶつけた箇所だけでなく、弾みで足首を痛めた可能性もある。どうだ、立てるか?」


 胸に響く低音を添えた男性は、中腰の姿勢で手を差し伸べる。


 長くて骨張った指、大ざっぱに切りそろえられた短い爪、厚みと硬さが荒々しい手のひらの表皮。めずおくせず守ってくれた異国の方は、労働を知る身分なのだと、随所に散らばる情報が如実に物語っていた。


 それも体を資本とする職業に就いていると思われる。さすがに業種までは絞り込めないけれど、体力勝負の仕事となれば、彼のような堂々たる偉丈夫にはあつらえ向きと言えるのではないだろうか。


「はい、大丈夫です。さほど勢いはありませんでしたので、幸い腰も足首も痛めておりません。庇ってくださったうえにご心配いただき……あ、いえ、それよりもまずはお詫びを――」


 皆一様に愕然として拱手傍観きょうしゅぼうかんするなか、この方は危険も顧みずわたしを庇ってくれた。厚くもてなされるべき貴賓にもかかわらず、降りかかる大量のグラスを物ともせず、ただ一人身を挺して守ってくれたのだ。


 勇敢な行動にはどれほど感謝を捧げても足りないくらいだし、破片除けとして卓布をもちいた機転には感服せざるを得ない。


 そもそも、あるまじき事態を招いたのは、ヒギンズ侯爵令嬢の不興を買ってしまったわたしの浅慮が原因だ。穏便に済ませるどころか派手な悶着を起こしたせいで、茶会を楽しんでいただろう彼を面倒な瑣事に巻き込んでしまった。


 なごやかな宴に水をさした非は、紛れもなく自分にある。したがって、無粋にも交流のひと時を邪魔してしまった過ちは、きちんと謝罪しなければならない。


「リヴィエ伯爵令嬢! お怪我はございませんかッ」


 胸元の高さで手を止めたまま謝意を伝えかけたその時、慌てふためく声が遠くから投げかけられた。聞き覚えのあるそれに振り向けば、お仕着せの制服に身を包んだ男性が駆けてくるところだった。


 血相を変えた給仕を目にして、なるほどと得心した。確信を持って呼ばれたのは当然だ。なにしろ彼は、わたしとメルヴィナ様が同席するテーブルに、軽食や飲み物を運んでくれた人物だったのだから。


「ええ、こちらの殿方が助けてくださったおかげで、大事に至らずに済んだわ。それと……せっかくきれいに飾られていたのに、台なしにしてしまってごめんなさい」


 震える睫毛とともに、罪悪感に染まる視線を落とす。芝生が敷きつめられた足下には、無惨に砕けたグラスの残骸。わたしと男性を中心にして、煌びやかな塔をかたどっていた外装のなれの果てが四散していた。


「なにをおっしゃいます。あなた様は被害をこうむられた身。代替が利く鑑賞物の破損など、どうぞお気になさらずに。――僭越ながらご来賓の紳士におかれましては、ご令嬢をお守りいただきましたこと、深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました」


 前者はわたしに、後者は窮地を救った殿方へと向けられ、片膝をついた壮年の給仕は胸を撫で下ろすかのようにため息を放つ。ともあれご無事でようございましたと眦を綻ばせるや、最後はかしこまった一礼を添えて締め括った。


 礼を述べる係りにつられて、再度、男性を仰ぎ見る。そういえば謝罪の途中だったと我に返り、高みに浮かぶ容貌へと眼差しを辿らせる。


 すると、艶やかな黒瞳と視線がぶつかった。彼もわたしを見つめていたらしく、はからずも引き合う強さで目が合った直後、所在ない手のひらごと腰をすくい上げられた。


 しゃがみ込む体が、ふわりと宙を滑る。思いのほか勢いがあったせいで、傍目には粗略な扱いに映ったかもしれない。けれど荒々しい印象とは裏腹に、わたしを抱き寄せる手つきはとても慎重で、細心の注意を払っているのが瞭然だった。


 遅ればせながら、かかえ起こされたのだと気づいた時は背中を囲われ、あたかも広い胸に寄り縋る格好でおさまっていた。


 力が入りづらいと見越しての行為かはわからないが、おそらく、危なっかしい足下を慮って支えてくれているのだろう。なぜなら労働に揉まれた節くれ立つ手が、おぼつかない下肢を補助するように、しっかりと腰に巻きつけられているからだ。


「いち早く動けた者が、たまたま俺だっただけのことだ。礼には及ばない」


 謙遜か、もしくは本当にそう思っているのか。鮮烈な救助劇を披露した当人とは思えないほど、淡々と紡がれる声はじつにそっけない。耳介を撫でる抑揚があまりに平板だったものだから、つい興味を刺激されて首を傾けつつ真上を見やった。


 そっと盗み見たおもてには、これといった感情の波は認められない。そこには甘さを削ぎ落とした精悍な輪郭があるだけだ。ひょっとすると過剰に誉めそやされることが苦手で、泰然自若とした貫録ある風采のわりに、案外控えめな性格なのかもしれない。


「ひとまず向こうの席で彼女を休ませる。悪いが、あとで飲み物を持ってきてくれるか」


 鋭さを宿した双眸が、涼しげな緑陰を指し示す。


 要望を受けた年嵩の給仕は、わたしを案じる面持ちをよぎらせてすぐ、「かしこまりました。ただちにご用意いたします」と打てば響くような返事を残し、他の接客係に片づけを言いつけると足早にその場を離れていった。


「顔色がすぐれないな」


 起伏が少ない口調だけれど、この方の声はとても好ましい。深みがあって、落ち着いていて、余韻を引く。


 まるで揺りかごの中で守られいるような、柔らかな繭に包まれているような、いつまでも聞いていたいと思わせる安心感と包容力があった。


 誰とも知れない異性に――しかも出会って間もない人に対してこんな感想をいだくのは、きっと災難に見まわれた動揺と、注目を浴びている現実から逃避したい心理が作用しているからだろう。


「移動する。少し我慢してくれ」


 吐息まじりに耳打ちされ、吹きかけられた呼気の熱さに肩が跳ねた。


 心拍が上がる。赤らんでいるだろう顔の火照りも増した気がするが、それらの気恥ずかしさには素知らぬふりで、どうにか冷静さを手繰り寄せる。


 殿方との触れ合い関してまったくの初心者とはいえ、いちいち過敏に反応していては心臓がもたないし、相手も対応に困るだろう。務めて気持ちを切り替えたわたしは、今しがた移動を示唆した彼の台詞を反芻する。


 地面には廃棄される破片があふれている。至急に残骸を処理したい接客係にしてみれば、陣取ってとどまるわたしたちは邪魔でしかない。それゆえ、すみやかに場所を変える必要があった。


 ここから離れなければならない“移動”の意味はわかる。けれど、そのあとに続けられた“我慢”がなにを指してのことか、さっぱり見当がつかない。


 歩く距離についてだろうか。もしくは、いまだ注目を浴びる居心地の悪さのことか。


 思案に余ったすえ「……あの」と問いかけようとした矢先、まるでそよ風に舞い踊る羽根のような軽やかさで抱きかかえられた。突然の事態に思考が止まる。


 舌先に乗せた言葉はあっという間に霧散し、瞠目とともに悲鳴が喉奥でわだかまる。抱き上げられたせいで体はますます密着し、鋭角的な線を描く造形が目と鼻の先にまで迫っていた。


 肩をすぼめてうろたえながら、彼がつぶやいた台詞の含意はこういうことだったのかと、混乱をきわめる頭でようやく理解した。


「もしも安定しづらいなら、腕を首にまわすといい」


 戸惑いに固まるわたしをよそに、平然を貫くこの方は、人ひとりの重みや周囲の関心など意に介すでもない。さらに付言するならば、穏やかではないこちらの動揺も、斟酌してくれそうもなかった。


 本音としては、すぐにでも下ろしてほしい。ただでさえあの人との関係がいまだ尾を引いているというのに、これ以上、悪目立ちして耳目を集めたくはない。


 けれど見え隠れする親切心を悟ってしまえば、むやみに抗弁するのは憚られた。おそらく一度こうと決めたからには容易に翻す性格ではないのだろうし、そもそも彼が大胆な手段に出た原因はわたしにある。


 であれば、今できることは苦情を呈するのではなく、まっすぐ向けられる気づかいを素直に甘受し、おとなしく運ばれる他ないのだろう。


 予想がつかない展開に気持ちが追いつかないと、せり上がるため息をとっさに呑み込む。突拍子もない奇行に走った彼を恨めしく思いながら、ためらいがちに掲げた腕を雄々しい首に緩く絡めた。


 悠揚とした足取りが、歩を刻む。横抱きで運ばれるという、一縷の逃げ道すらない現状に、諦めの心境が顔をのぞかせた次の瞬間、


「ちょっと待った」


 数歩、硝子片を踏み締めたところで、発せられた制止の声に行く手を阻まれた。


 がしっと肩を掴まれた殿方は、やむを得ずといった様相で立ち止まる。沈着な顔容に訝る色を重ねては、不承不承のていで背後を振り返った。わたしも彼に倣い、確かな握力で縫い止める人物へと双眸を転じる。


「なにをやっているんだ、君は。縁者でもない男が、妙齢の貴婦人にしていいふるまいじゃない。礼儀を失してなお余りある行為だぞ」


 眉をつり上げる男性が、渋面も露わにつめ寄った。唸るような声で現れた彼もまた大柄だ。竜を半身とするローウッド人だけあり、恩人の殿方と大差ない背丈に圧倒されてしまう。きっと普通に向き合えば、例外なく首を反り返らせることになるのだろう。


 いずれにせよ、歯に衣着せぬ率直な物言いから察するに、わたしを腕に抱くこの方の知人であるのは間違いなさそうだ。


「とっさの判断が求められる事例に鑑み、令嬢を守る手段としては妥当だろう。しかし、そのあとの行動は感心しない。うずくまる女性に手を貸すにしても、過剰に接触する必要はなかったはずだ」


 不躾にならないよう注意を払いながら、昵懇じっこんの間柄らしい男性を観察する。陽光を弾く金褐色の髪は艶を帯び、秀逸と言っても差し支えない臈長けた彼によく似合っている。


 また並び立つ二人を見比べれば、長躯の他にも共通点は多かった。


 外見の年代。礼服に包まれた、強堅そうな体格。隙のない雰囲気。枚挙したすべてがひどく似通っている。もしかすると両者は、職場をともにする同輩なのかもしれない。


「本人の了承も得ず腰を引き寄せ、あまつさえ節度の範疇を逸脱して抱きかかえるなど言語道断だ。無礼と糾弾されても弁明の余地はない」


 さすがに糾弾は誇張が過ぎると思うけれど、おおむね彼の指摘は正しい。


 常識を冠した分別についてはさまざまなかたちがあり、自由な気風の市井でも男女の距離感はわりあい寛容なのだと聞き及んでいる。


 しかし煩瑣な習慣が縛る貴族社会においては、がらりと異なる。未婚既婚は関係なく、面識のない殿方が焦眉しょうびの急を除き、馴れ馴れしく女性に触れるのはマナー違反とされていた。


 今もそうだ。仮に認識不足を差し引いたとしても、本人の意思を置き去りにした行為は、どうあっても咎めの対象になってしまう。例えわたしへの配慮が根底にあろうと、慣例や慎みという規律に照らし合わせれば、常識に欠けた無礼と判断されてしまうのだ。


 根深い制度が生み出した窮屈さと理不尽さは、ゆがみが巣食う階級社会を抜本から改革しないかぎり、よくも悪くも引き継がれていくのだろう。


「ここはイェルドだ。勝手は許されない。ならば馴染みのない俺たちは“国に入ってはまず禁を問え”ということわざをなぞり、異文化を理解してその決まりに従うべきだろう。さあ、わかったなら彼女の迷惑になる前に解放しろ」


 苦虫を噛みつぶしたような険しさで、華やいだ印象の男性が、わたしを抱える殿方をねめつける。隙のない正鵠せいこくを射た意見に、諭されている本人でないわたしですら、ぐうの音も出なかった。


 反駁はんばくを封じるに足る秩序立った苦言はさておき、こうもはっきり逃げ場を断たれたのだ。硬骨の士とおぼしき彼も、観念して下ろさざるを得ないだろう。


 拮抗する緊迫感が漂うなか、対峙する二人のあいだで気まずく視線を行き来させていれば、


「確かにお前の叱責はもっともだが、それは聞けぬ忠告だ」


 動じぬ低音が一閃し、説き伏せる正論をまっぷたつに両断した。


 ぽかんとして固まるわたし同様、男性にとっても耳を疑うほど想定外な返答だったらしい。呆気にとられた表情を端整な造作に貼りつけ、しばし絶句していた。


「危険が取り除かれた足場ならまだしも、鋭利な破片がまき散らされた芝生に彼女を立たせるつもりは毛頭ない」


 絢爛さを盛り立てていた繊細な塔は、天を衝く構えでうずたかくそびえていた。何段にも積み重ねられ、高距を誇っていたグラスがいっせいになだれ落ちたのだ。落下速度も手伝って、相応の範囲に飛散するのは推して知るべしだろう。


 げんにわたしたちを基点にして、粉々になった硝子片は緑の絨毯にきらきらと波紋を描いている。いくらショートブーツに保護されているからと宥めても、怪我を懸念してやまない彼を納得させるのは困難をきわめそうだ。


「不慮の事故に見まわれ、彼女は心身ともに疲弊している。ふらつく足に歩行を強いるより、抱いて運ぶほうが肉体的負荷はかからない。だいいち、当国の令嬢がまことか弱いのであれば、体の具合を優先させて然るべきだろう。礼節にもとるおこないだと、咎められる謂れはないと思うが」

「しかし……」


 一歩も譲らぬ主張に友人らしき男性が難色を示していれば、「ようはイェルドの流儀に準じろってことなんだろうけど、そう固いこと言ってやるなよ」と、骨太な声質が仲裁する言葉つきでのんびりと横合いから分け入ってきた。


 砕けた調子で登場したこの方も、不協和音を醸し出す両者とは、親しい関係にあるのだろう。いささかの遜色もない上背に、筋骨たくましい体格。礼服の上からでも知覚できるがっしりとした風采は、陽気な語り口と磊落らいらくな笑みを凌ぐほどの重厚感があった。


 どのような仕事に就いているかは謎だけれど、きっと二人と同じく労役を重ねてきた屈強な体は、いっさいの無駄を絞った筋肉に覆われているに違いない。


「先を越されて面白くない気持ちには痛いほど共感できるが、ここは男を見せて、そいつに花を持たせてやれって」


 彼らよりいくつか年長と思われる男性は、面白そうに片眉を跳ね上げると、ぐっと伸ばした親指でわたしを横抱きにする殿方を指し示す。


「色恋沙汰とはからきし縁のなかったこの朴念仁が、余裕の欠片もねえせっぱつまった焦りようで自分から動いたんだ。ちいと先走った感は否めねえけど、無知蒙昧むちもうまいなガキじゃあるまいし、三十路の大台に乗って久しい野郎相手にぐだぐだ目くじら立ててもしょうがないだろ」


 そんなふうに、とりなす台詞を流暢に連ねた男性は、野生的な口元に悪戯めいた笑みを滲ませた。


「俺は外国を訪問するうえでの一般論を述べただけだ。私情を挟んだ発言でもなければ、君に揶揄されるほど狭量でもない」

「だよなあ」


 憮然たる面相で鼻を鳴らす彼とは対照的に、愉快がる風情の三人目は言質を掌握したと言わんばかりに大きく頷いた。


「よし。じゃあ、妖精のお嬢さんはいったんこいつに任せて、女受けするツラのお前は赤い衣装のお嬢さんの相手をしてくれ。一応ブロスがつき添ってはいるんだが、なんつうか……話をしようにも支離滅裂でまったく要領を得ない」


 意思疎通がはかれているかもあやしいんだよと、ぼやく彼に拘束された美丈夫は、「俺が行っても役に立つとはかぎらないし、そもそも呼び立てる相手を間違えている」などと頬を強張らせ、気が進まないと婉曲な物言いではねのける。


 けれど身振り手振りを交えた懸命の抵抗も虚しく、ついには粘り強さを見せる男性に根負けし、しぶしぶ赤い衣装の女性――ヒギンズ侯爵令嬢のもとへと引きずられていってしまった。


 彼らが去ったあとには参加者が奏でるほどよいざわめきと、消化しきれぬ不明瞭な会話のはしばしだけが残された。


「この体勢は嫌か……?」


 消えゆく後ろ姿を茫然と見送っていれば、壊れ物に触れるかのような、あるいはこちらの機微を窺うような、多分に遠慮を含んだ声音で尋ねられた。


 友人の男性に叱責されて、みずからを省みたのか。先ほどまでの怜悧さは鳴りをひそめ、銀の縁取りを閉じ込めた黒曜石が、わたしの一挙手一投足を見のがすまいと底光りする瞳をひたと定めていた。


「……嫌と、申しますより……とても恥ずかしくて、居たたまれない気持ちです」


 手厳しい非難を受けてなお、わたしを抱いて移動する手段にこだわった彼だ。きっと思いやりがあって、情に厚い人なのだろう。それゆえ、人目にさらされる格好は許してほしいと、まろび出そうになる言葉をすんでのところで押し戻した。


 戸惑いや葛藤はあれど、非礼なふるまいをされたなんて露ほども思っていない。不愉快な気分に苛まれてもいない。


 強引と言えないでもない行為だけれど、突き刺さる好奇の視線など歯牙にもかけず、異性への配慮を貫いたこの方は紛うことなき紳士だった。


 廉直な気質を併せ持つ、隣国出身の竜人男性。イェルドの生活様式に疎いだろう彼に自国の礼儀を押しつけ、一方的な拒絶で突き放してはいけない。


 そう感じたからこそ体勢のくだりにはあえて触れず、さしあたり燻っている感情面だけを正直に吐露していた。


「そうか」


 ぎゅっと腕に力をこめると、相槌とも安堵ともつかぬ一言を、吐息に混ぜてぽつりとこぼした。


 ややあって、優しくわたしを抱えなおした殿方は、頼もしい足さばきで芝生を踏み締めながら、休息場所に指定した区画を目指して歩き出した。

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