第3話 一番幸せなヒト(2)
「あ、すんません、ちょっといいですか?」
営業成績トップの俺にとって知らない人に話しかけるなんてどうってことない。男は眉をひそめて俺を見る。
「実は今、新製品開発のためのアンケートをやっていまして。ご協力いただけないでしょうか?」
「アンケート?」
「はい、三十代から五十代の男性を対象に行っているアンケートなんです。休日の過ごし方とか、よくご覧になるウェブサイトなんかをお聞きしています」
そう言って俺は会社の名刺を取り出した。そこそこ名の通った会社である。男は少し警戒を解いたように見えた。
「ふぅん、まぁいいけど」
「ありがとうございます!」
俺は、この場所では
「しかしよ、どう思う? 常務の息子だからってあんなえこひいき許されるのか? 真面目に頑張ってるヤツがバカみるだけじゃねーかよ」
男の会社では常務の息子、通称“お坊ちゃん”が幅をきかせているらしい。よくある話だ。
「えぇ、そうですよね。やってられないっすよね。あ、ところでもうひとつお聞きするのを忘れていました」
俺はようやく肝心の質問をした。
「あなたの思う一番幸せな人ってどんな人ですか?」
男は考える間もなく答えた。
「そりゃあその“お坊ちゃん”さ。何の苦労もなく会社で大きな顔しやがったよ、まったく」
(全く面識のないその“お坊ちゃん”が犠牲になるわけか……。ま、いいか。それにそいつの幸福が俺に来るってことは会社で抜擢されるとか何かあるのかもしれない。こりゃあいい)
「なるほど。ありがとうございます。さぁ、まだ飲んでくださいよ。ビールでいいですか?」
俺がそう言ってビールを
「君は独身か?」
男は妻子に逃げられ一人暮らしだとさっき言っていた。
「えぇ。婚約者がいますが。でも最近仕事が忙しくてなかなか会えないんですよね」
「ほう。兄ちゃん仕事できそうだし、その女の子もいい男を捕まえたもんだなぁ。ちゃんと構ってやれよ。俺みたいに逃げられないように!」
ガハハと笑い男は俺の肩をバシッと叩く。
その後、男は逃げた妻子の愚痴をこぼし始めた。俺は適当に聞き流しつつ時計を見る。そろそろ日付が変わろうとしていた。
「おぉ、すっかり遅くなってしまいましたね。そろろそ行きましょうか」
俺と男は店を出てタクシー乗り場へと向かった。男の家は駅からバスで20分程かかるらしい。当然最終バスは出てしまっている。
「兄ちゃん、今日はありがとな。楽しかったよ」
「いえいえ、こちらこそお話を聞けてよかったです」
俺は千鳥足の男と別れ歩き出す。すると男が振り返って俺を呼び止めた。
「なあ、やっぱり“一番幸せな人”ってのはお坊ちゃんみたいな嫌な奴じゃなくてよぉ、兄ちゃんみたいに仕事のできる奴とかかもなぁ」
「え? いやいや、俺なんて今あんまり仕事もうまくいってないですし」
男は焦って訂正する俺の言葉を無視して続ける。
「あ、そうか、兄ちゃんみたいな男を捕まえたその婚約者さんみたいな子が一番幸せなのかもなぁ。うん、そうだ。世界で一番幸せな婚約者さんによろしくな!」
男はそう言って気分良く立ち去ろうとする。
(え……。それじゃあ彼女が死ぬってことに……)
俺は慌てて男を追いかける。
「ちょ、ちょっと待ってください! 訂正してください! 俺の婚約者が一番幸せだっていうの、取り消してください!」
必死な俺を見て男は驚いている。
「おいおい、どうしたっていうんだよ。わかったよ。取り消す、取り消す。よくわかんねぇなぁ」
男は首を傾げながらちょうどやって来たタクシーに乗り去って行った。
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