小さなアクアリウムの謎
早見羽流
せんぱい! 事件です!
――カタカタカタカタ
と規則的にキーボードを叩く音だけが響くオフィス。パソコンの画面の右下の時刻表示が『12:00』になるや否や、私はパタンとノートPCのディスプレイを閉じて背伸びをする。うーん、午前はよく働いたし、午後はのんびり進めつつ来週のプレゼンの準備を――
「せーんぱーーーい!」
げ、早速隣の席の後輩に捕捉されてしまった。今日のお昼はゆっくり過ごしたかったのに……
「……なに?」
「ねぇねぇせんぱい! 今日はどっちのお弁当がいいですかぁ?」
面倒臭いんだけど? という表情を顔に貼りつけて隣を伺うと、そこには手作りのお弁当箱を二つ両手に持って微笑む二年後輩の
陽向はこの4月に入ってきた新人で、年齢も近い私が自然とお目付け役というか指導係のようなものになったのだけど、こいつは礼儀というものがなっていないし、なんかやたらと私にベタベタしてくる。意味がわからない。
「……別に頼んでないんだけど」
私は鞄の中から大豆バーを取り出して陽向に見せつける。
「あーっ! せんぱいまた大豆バーでお昼済ませるつもりですか! わたしというものがありながら! 体壊しますよ?」
「なんでよ? ダイエット中なのよ?」
「ぷぷっ、ダイエットって! せんぱい全然太ってないし、わたしと二つしか変わらないじゃないですかぁ!」
頭の悪そうな口調がいちいち鼻につく。これで最終学歴は私より優秀なのだから世の中は不公平だ。
「あんたもそろそろカロリー気にしないと大変なことになるわよ」
「うわぁ、せんぱい! わたしのこと気遣ってくれるんですね! ありがとうございます!」
憎まれ口を叩いたはずなのに肯定的にとられていてまた彼女の中で私の好感度が上がっただろう。解せぬ。
ここにいると陽向のせいで周りの視線を集めてしまうので、静寂が好きな私は黙って席を立ち、ラウンジへ向かおうとした。――が、もちろん陽向がそれを許してくれるわけがなかった。
「せんぱいどこに行くんですかぁ?」
「ここじゃないところ」
「じゃあお供しますね!」
「……訂正、あんたがいないところ」
「えぇぇぇっ! せんぱい今日はわたしとご飯食べてくれるって約束したじゃないですかぁ! 泣いちゃいますよ?」
「……そんな約束したっけ?」
馴れ馴れしく手を掴んで引き留めてきた陽向の顔を見てみると、いつものチャラチャラした女子大生気分の抜けきらない表情の奥になにか、別の感情を感じとることができた。そういえば、私が「化粧薄い方が可愛い」と無責任なことを言ってから化粧が薄くなったんだっけ。この子妙に私には忠実で、ベタベタしてくることを除けば新人ながらほとんど手がかからない。高校生の時まで飼っていた犬よりも忠実で優秀な部下であることは確かだ。
「……悩み事?」
「よく分かりましたね! やっぱりわたしとせんぱいは一心同体――」
「――あー、そういうのいいから! 話なら聞くわ」
正直ここで陽向に騒がれると、課のオトコ共からどう思われるか分かったもんじゃない。彼女は絶えず自分の周りに爆弾をばら撒きながら歩いていて、本人はそれに気づいていないのだから。まあ注意しても治る気がしないけれど。
やったー! と喜ぶ陽向の手を引いて私は、別棟のラウンジへと向かった。
社員食堂から離れていて、あまり人気のない別棟のラウンジは、穴場的なスポットになっていて、お昼時でも人影は疎らだ。
私はラウンジの隅の空席に陽向を誘った。
「えへへ、二人きりですね!」
「アホ、さっさと用件を言え。グダグダしてると休み時間終わるわよ?」
「は、はい……実は――」
陽向はらしくもなく俯きながら思い詰めた表情になって、胸の前で両手の人差し指を合わせていじいじとし始めてしまった。なんだろう、仕事上のミス? それとも恋の悩みか? だとしたら私にはアドバイスできそうにない。自慢じゃないけれど私の恋愛経験は皆無に等しい。
釘刺しておくか。
「恋愛関係だったら悪いけど他当たった方がいいわよ? 仕事上のミスだったら早めに報告しないと――」
「恋愛というか……赤ちゃんの話なんですけど……」
……へ?
な、なんやてぇぇぇぇぇっ!? 今、この子なんて言うた? 赤ちゃん? まさか、できちゃったとか!? へぇ、こいつがそんなに尻軽だったなんて思わなかった!
「……」
言葉を失った私に、陽向は更なる爆弾を放り込んできた。
「せんぱいにも関係がある話かと思って……わたしとせんぱいの赤ちゃんなので……」
「???」
ちょっと何言ってるか分からない。どうやったら私と陽向の赤ちゃんができるのだろう? あれか? 噂に聞く人工授精というやつだろうか? こいついつの間にそんなことを!?
「……あ、あの、せんぱい?」
「……堕ろしなさい」
「へ?」
「堕ろしなさい今すぐ! いや、何言ってるのか私も分からないけれど、とにかくそれは認められないわ! お金なら出してあげるからはやく!」
「いやいや、赤ちゃんができたことは別に問題じゃなくてですね!」
「問題でしょう!」
「せんぱい! 落ち着いてください!」
「いやいや、落ち着くのはあんたのほうでしょうが!」
「この前せんぱいにもらったメダカちゃんの赤ちゃんの話です!」
発狂寸前になってしまった私に、慌てた陽向がそうつけ加えたので、私の頭は急速に冷却された。そうだ、そういえばそんなことあったな。……冷静に考えて女同士で赤ちゃんできるわけないだろまったく……私のバカ。
「……それを先に言いなさい」
「ごめんなさい、ちょっとからかっただけですけど、まさかせんぱいがこんなにパニックになるなんて……」
陽向の申し訳なさそうな顔が見れるのは百年に一度かもしれない。とにかくレアだ。
「……メダカに子供ができたのね。おめでとう。ちゃんと赤ちゃんは水槽分けてる?」
メダカのような飼育が楽な小魚は、一人暮らしで寂しいけど犬や猫などのペットは飼えない独身女子の嗜みのようなものだ……と勝手に思っている。陽向にも「私にベタベタしてくるのはきっと寂しさの表れに違いない」と思って、4月の早い段階でウチで飼っていたメダカのつがいを分けてあげたのだ。
おまけに、水槽の掃除用の『シマカノコガイ』というタニシのような貝をつけて……
結局、「この子たちをせんぱいだと思って大切にしますね!」みたいな謎コメントをしてきただけで、陽向のベタベタが治ることはなかった。
「はい……せんぱいの言いつけ通りやってるんですけど……」
仕事もよくできる陽向のことだから、きっと私の言ったとおり、水草も濾過装置もしっかり取り付けて、子供が産まれたらすぐに別の水槽に移しているのだろう。
「何か問題でも……?」
「わたしとせんぱいがラブラブすぎてちょっと増えすぎちゃって……大きな水槽と中くらいの水槽と、小さな水槽の三つに分けているんですけど……」
「……ん?」
なんか聞き捨てならないことを聞いたような気がするけど、いちいちつっこんでいたら休み時間が終わってしまうので、軽く首を傾げるだけにしておく。
「なかなか増えないんですよぉ!」
「はぁ? 増えすぎたんじゃないの?」
「えーっと、赤ちゃんをどんどん入れてもなかなか数が増えない水槽があって……」
「不思議ね」
「不思議ねじゃないですよ! 赤ちゃん死んじゃってるんですよ!? わたしとせんぱいの愛の結晶が!!」
ほんとにそんなもんがあるんだとしたらどんどん死んでくれて問題ない。
が、メダカの赤ちゃんはれっきとした生き物であり、その命が無為に失われているというのは私も少し気になった。もしかしたら陽向が変なことしてるのかもしれない。だとしたら止めさせないと。
「あっ、今『もしかしたら陽向が変なことしてるのかもしれない。止めさせないと』って思いましたね!? わたしちゃんとやってますからね! せんぱいの子供に酷いことするわけないじゃないですか!」
「思考読むのやめてくれる?」
ムスッと膨れてしまった陽向。私はそんな彼女に質問を投げかけてみた。
「……その水槽、ちゃんと濾過装置つけてるのよね?」
「全部の水槽につけてますけど」
だとすれば一つ気がかりなことがある。
「稚魚吸い込み防止用のフィルターはつけてる?」
「……なんですかそれ?」
はぁ、やっぱりか。言ったことはしっかりできるが、それ以上のことは望めないのが陽向の欠点だ。予め指示しておけばよかった。
「初心者がやりがちなミス……というかありがちな事故というか。濾過装置の吸い込み口に稚魚が吸い込まれちゃうことがあるのよ。だからフィルターをつけないといけなかったの」
「そうだったんですね! じゃあ早速帰りにホームセンターに寄って買ってみます!」
「……これでよくなるといいわね」
私が答えると、陽向は満面の笑みで立ち上がり、「ありがとうございます〜! るんたったるんたった〜」と上機嫌にスキップをしながら去っていった。――私の前に手作りのお弁当を残して。うるさいのが去ったのはいいけれど……はぁ……これどうしよ。
♪。.:*・゜♪。.:*・゜♪。.:*・゜
翌日、朝出勤すると、早速隣の席の陽向が話しかけてきた。
「せんぱいせんぱい! 買いましたよフィルター! ほら、これですよね!?」
ハイテンションで私にスマートフォンの画面を見せつけてくる。そこには確かにホームセンターで買ってきたと思われる稚魚吸い込み防止用のフィルターがパッケージに入った状態で写っていたのだが……なんで陽向自身がピースサインしながら写りこんでるんだろう。……こういうところ「自分はかわいい」って自覚しているようでムカつく。
「あー、それよそれ。いちいち見せつけなくてもいいのよ。みんな注目してるから」
朝っぱらから密着する陽向と私は視線を向けられがちだ。身体を無理やり押しのけるとまた陽向は頬を膨らませてしまった。
「だってぇ……こっそり送ろうにもせんぱいわたしにRINNE《りんね》教えてくれないじゃないですかぁ!」
死んでも教えるかクソが。
まあこれでメダカのお世話に集中して私へのマークが薄くなってくれればそれに越したことはないのだけど……
――そんな私の願いは呆気なく打ち砕かれた
♪。.:*・゜♪。.:*・゜♪。.:*・゜
さらにその翌日の朝のこと。
「せ、せんぱぁぁぁぁいっ!」
「何よまったく……」
切羽詰まったような様子の陽向に私は面倒くさそうに応じた。すると彼女はマシンガンのようにまくし立て始めた。
「あの、あのあの! せんぱいに教えてもらったとおり、濾過装置にフィルターをつけてしばらく様子を見てみたんですけど、やっぱりいくら赤ちゃん入れても増えないというか、前とあまり変わらないみたいな状態で! もっとせんぱいとの愛を育みたいわたしとしてはなんとしてもこの状況をなんとか――」
「――はいストップ」
止めたら止まってくれた。素直な子は好きです。
「順を追って説明してくれる? まずフィルターつけたのよね?」
「はい! ちゃんとつけました。そして、『これでもう大丈夫だろ』って思ってその後も赤ちゃんを入れていったんですけど、また少しずつ減っているようで……いくら入れても増えないんです」
「なるほどねぇ……だったらフィルターが原因じゃないか……エサは? ちゃんと稚魚用のあげてるわよね?」
「当たり前ですよ。ちゃんとせんぱいがオススメしてくれたのをあげてます1日3回!」
メダカの稚魚はこまめに餌をあげる必要がある。働いている私たちは家族にお願いしたり、タイマーつきの自動エサやり機を使ったりするのだが、陽向の場合は自ら決められた時間にあげているらしい。それでも、3回あげていれば問題はないはずだ。第一、一つの水槽だけに被害が出ているということからも、エサやりの頻度が問題ではないことがうかがえる。
一つの水槽にだけ……これがヒントかもしれない。
私は陽向に質問を投げかけてみた。
「ちなみにその、被害が出ている水槽ってどんな水槽?」
陽向は左手の人差し指を顎に当てて考えるような仕草をしていたが――
「――一番小さい水槽です」
「小さい水槽?」
「はい、大中小のうち、小の水槽です」
……だとすれば考えられるのはこれかな。
「……水温」
「えっ?」
「だから水温。最近暑くなってきたでしょ? だから温度変化に弱い稚魚はやられやすいのよ。小さい水槽だとその分入っている水も少ないから、温度変化も激しい。――水槽、直射日光が当たるような場所に置いてない?」
「……あ、置いてるかもです。水草があるので」
やっぱり。それが原因か。
「水草は種類にもよるけど、市販のライトで照らしてれば枯れないから。一回日陰に移してみたら? あと温度計入れて水温が28度超えないように気をつけなさい」
「はーい、やってみまーす! あ、水草はせんぱいにオススメされた『アナカリス』っていう水草を入れているので……」
「なるほど、それなら室内灯だけでも十分ね」
「はい! ありがとうございますせんぱい!」
言いたいことだけ言って、彼女は自分のパソコンに向かって猛然とキーボードを叩き始めた。まったく、都合のいいやつだ。
翌日、陽向は「水槽の場所を移しましたぁ!」と報告してきて、それを数日の間彼女がメダカの話をすることはなかった。私はてっきり問題は解決したのかと思った。……のだが。
♪。.:*・゜♪。.:*・゜♪。.:*・゜
「せんぱい!」
「今度はどうした……」
陽向の表情はいつになく真剣なものだった。
「やっぱり、わたしとせんぱいの愛は実らないのでしょうか!」
「当たり前でしょ! 諦めて誰かいい男探しなさいよ」
何を言うかと思えば……。しかし、いつも不気味なまでにポジティブな陽向からは信じられない、何か変なものでも食べたのではなかろうか。
「嫌です!」
「声がデカい」
そろそろ無視してやろうか。いい加減「なんでいつもあいつが陽向ちゃんと一緒におるの?」っていう周囲の視線が痛いのだけど。まわりの男衆、
「……実は」
「なによ?」
「まだ小さい水槽に入れた赤ちゃんが死んじゃってるみたいで……」
なるほど、それで落ち込んでいたのか。
「もう諦めて別の水槽買ったら?」
「嫌です! わたしとせんぱいの愛はそんな呪われた水槽ごときで打ち砕かれるようなヤワなものではないはずです!」
「いや、あんたのそんなふざけたプライドのために無為に死んでいくメダカの赤ちゃんのこと考えてみ!?」
「はっ、せんぱいもわたしとの愛の結晶を大切だと思って――」
「ない! 私は一匹の生物としてメダカを心配してるの!」
「まーたまた照れちゃってー!」
ほんとうるさいなこいつ。
「でも、さすがにメダカ博士のせんぱいもそろそろお手上げですよねー?」
フィルターでもない、エサでもない、水温でもないとすると……あと考えられるのは病気とかだけど、だとしたら徐々にではなく一気に病気にかかるはず。うーん……でもこういう言い方されたら本気で考えないと私のプライドに関わる。
「もう少し、何かない? 気づいたこと」
「うーん……特には?」
「例えばそうね。……赤ちゃんが減り始めたのは最初から?」
「いいえ、寂しいかなと思って水草を入れた時からです」
「じゃあそれが原因じゃない!」
「でも、なんで水草がいけないんですかぁ? 水草がメダカを食べるんですか?」
「水草そのものに問題はなかったとしても、農薬とかがついてたりするのよ」
いや、これは違うな。言いながら私は気づいた。そんな残留農薬ごときでメダカが死ぬことは稀だし、濾過してるうちにどんどん薄くなるはずなので、未だに被害が続いているのは説明がつかない。
「三つの水槽全部同じ店で買った同じ水草を入れてるんですよ? やっぱり――」
「……ごめんさっきのなし」
私は必死に頭を働かせた。今わかっている情報を整理してみる。
①水槽に入れた赤ちゃんメダカが少しずつ減っている
②被害があるのは小さな水槽
③水草を入れた時から被害が始まった
④濾過装置のフィルターのせいではない
⑤エサはしっかりあげている
⑥水温のせいでもない
⑦病気のせいでも残留農薬のせいでもない
ここから導き出されることは……?
――ん?
私はふと、とある可能性が残っていることに気づいた。かなり稀だけれど可能性としては有り得る。これなら全ての説明がつく!
答えは――
「ねえ、あんたさっき『水草がメダカ食べるんですか?』って言ったわよね?」
「え、はい……はっ、まさかほんとに水草がメダカを!?」
「んなわけないでしょ!? ハエトリソウじゃあるまいし。……水槽にはまだメダカ残ってるのよね?」
少し食い気味に尋ねると、陽向は勢いに押されるように身を引いた。
「はい……」
「まだ確信に至れてないけれど、ことは急を要しそうね。残ってるメダカの命に関わるわ。――陽向、あんた確か一人暮らしだったわよね?」
「はい、そうですよ?」
「終業後ちょっとあんたのアパートに寄ってもいい?」
「っ!? えっ、いや、そのっ、嬉しいんですけどっ! 心の準備ができていないというか! 勝負下着的な意味で!」
「なに勘違いしてるのよ……私が用があるのはあんたの勝負下着じゃなくて水槽なんだけど……」
私は、頬を両手で挟んで真っ赤になってしまった陽向の頭を叩いた。
「なるほど、いいですよ。汚いですけど」
「自分の部屋が汚いって言う人は実はすごく綺麗か、ほんとに汚いかのどっちかだから大丈夫」
「大丈夫なのかなぁ……まあわかりました」
というわけで、私は終業後に陽向の住むアパートに向かうことになった。
♪。.:*・゜♪。.:*・゜♪。.:*・゜
陽向のアパートは駅から徒歩10分ほどの住宅地に建つ、二階建ての小さなものだった。私のアパートと大差ない。
だが、道中テンションの上がった陽向が騒ぎまくり、それを窘めるのでだいぶ体力を使ってしまった。
アパートの二階の一番奥の部屋の前で陽向は立ち止まる。
「部屋片付けるので5分だけ待ってください! ごめんなさい!」
どうやら陽向の部屋は『ほんとに汚い』部屋のようだ。そんな部屋に入るのはごめんなので、私は時計で時間を測りながら大人しく待ってやることにする。
部屋に駆け込んでいった陽向は、ピッタリ5分で戻ってきた。
「どうぞどうぞ! お入りください」
「お邪魔しまーす」
予想に反して、部屋は小綺麗だった。ただ、ワンルームの部屋には所狭しと水槽が並べられている。まあ、それは私の部屋も同じだからあまり違和感はない。
「へぇ、意外ね。あんたのことだから、私の写真とか貼ってあっても不思議ではないと思ったんだけど」
「せんぱい! いくらわたしでもそんなことはしませんよ? ちゃんとせんぱいが来る前に全部剥がしておきましたって!」
「貼ってたんかい! てかそれ剥がすのに5分待たせたんかい! てかてか、それ私に言っちゃうのね!?」
つくづく
「で、問題の水槽は……これね?」
「いえ、それじゃなくてこっちです。それはナナとヒナタの水槽です」
「……あんた、親メダカになんて名前つけてんのよ……」
「めちゃくちゃ仲良しでしょー? まるでわたしたちみたいですね」
私はツッコミを放棄した。そして、陽向が問題の水槽だという小さな水槽に視線を向ける。横から水槽を覗き込んでみた。……ふむふむ、水面近くに小さいほこりのような稚魚が何匹か泳いでいる。が、私が探しているのはそれではなく……。
「どうですか? なにか見つかりました?」
陽向がそんなことを言いながら顔を寄せてくる。こいつの辞書にソーシャルディスタンスという単語はないらしい。髪が顔に当たってくすぐったいし、シャンプーのいい匂いがしてうざい。
そんな彼女のことを意識の外に押し出しながら、何本も無造作に置かれている水草の根元辺りを中心的に、目を凝らしていると……目的のものを見つけてしまった。――やっぱりこれのせいだった!
「陽向!」
「ひゃいっ!?」
「魚をすくう網! あと水を入れた容器がほしい。コップとかペットボトルでいいから。早くして10秒以内!」
「ひ、ひゃいっ!」
さすがは忠犬の陽向と言うべきか、彼女はすぐに私に網を差し出し、空いた小ぶりのペットボトルに水を入れて持ってきた。私は網を使って、水草の根元にいたソレを捕まえてペットボトルの中に入れる。
「犯人を確保したわ」
「な、なんですかこれ!?」
陽向はペットボトルの中に入っているソレを見て目を丸くしている。
そいつは2cmほどの細長い胴体に6本の脚そして強力なアゴを持つ水中の
「ヤゴね。トンボの幼虫。多分水草について入ってきたんでしょう?」
「ふぇぇ、こんなのがいたんですか! ぜんっぜん気づきませんでした!」
「まあ水草と色もそっくりだし、メダカにばかり注目してたら気づかないのも当然だわ。だから私がわざわざ探しにきてあげたの。どうやら正解だったみたいね」
私はその後、他にヤゴが紛れていないか入念に水槽内を捜索し――合計3匹のヤゴを捕獲した。これだけいればいくらメダカの赤ちゃんを入れても数が減っていくわけだ。陽向はヤゴにせっせとエサを提供していたにすぎないのだから。
そして、ヤゴのせいであれば、濾過装置にフィルターを付けても、水温を調節しても意味がなかったのも頷ける。
犯人はこいつらだと思って間違いなさそうだ。
「せんぱい! こいつらどうしてくれましょう? せんぱいとわたしの愛を邪魔した罪で死刑が相当かと思いますが!」
陽向はペットボトルに入っている3匹のヤゴを眺めながらそんなことを言っている。
「やめなさいよ。ヤゴも生き物なんだから、無用な殺生はしない方がいいわ。――明日にでもそこら辺の池にでも逃がしてきたら?」
「えーっ、なんでわたしがわざわざそんなことをしなきゃいけないんですか!」
「私もついて行ってあげるから」
「デートですか! 行きます行きます!」
ちょろすぎる。
「まあでも、これで一件落着のようね。――というわけで私は帰るから」
私が荷物を持って立ち上がると――
なんとその前に陽向が立ちはだかった。
「えっ、このまま何もせずに帰るんですか? ベッド空いてますけど?」
「何期待してんのよ……」
「訂正します。わたしがこのまませんぱいを帰すと思ってます?」
陽向は不敵な笑みを浮かべている。まるで私がここから逃げることができないのを確信しているようだ。――まさか。
私はその時、恐ろしい可能性気づいてしまった。
今までの――水槽の一件の証言は全部陽向の口から発せられたもので、私が見たのは『メダカの水槽にヤゴが入っている』という一点の事実のみだ。つまり――
いやでも天然な陽向がそこまで頭が回るはずが……もし私が考えている通りだとしたら、彼女は私よりも数段計画的で『頭のキレる女』ってことになる……。
恐ろしいけど、私は問いかけざるを得なかった。――彼女が首を傾げて否定してくれることを祈りながら。
「陽向……まさか、全部『
「……さぁ? どうでしょうね? 奈々せーんぱい♪」
小さなアクアリウムの謎 早見羽流 @uiharu_saten
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