Ⅱ-10

「誰かにつけられてる気がするの」

 倫子が漁協の事務所に入ってきた。いつものように帳簿をにらんでいた向かいの信子さんは、倫子の言葉に少しだけ反応した。

「でも、ウソだったんだよね、あの話は」

「そういえば、あんたのこと聞きまわっている男がいるって聞いたよ」

 信子さんが口をはさんだ。

「誰に聞いたんですか」

「加工場のみんなだよ」

「あたしにはそんなこと誰も言わなかった」

「若い男だって。髪の長い」

「サーファー」

「最近あの店によく来てるって」

「たしかに、あの店にはそういう人ばかりだけど」

「ていうか、サーファーのたまり場だし」

「惚れられちゃったかな、あたし」

 倫子はそう言ってニヤリと笑った。

「笑い事じゃないよ。なんか怪しいし」

「勘太郎ちゃんにしてみれば穏やかじゃないよね」

 でもなあ、昔の倫ちゃんならともかく、今は地味で短髪の倫ちゃんだからね。

「ちゃんとダンナがいるんだからって言ってやったのに」

 僕と倫子が加工場に行くと暇を持て余したおばさんたちに囲まれてしまう。

「あんたたちまだ籍入れてないんだろう」

「やっぱりきちんとしなくちゃダメだってことだよ」

「でもその男もしつこいね」

「リンコちゃんは誰だか見当つかないの」

「あの店にはよく行ってるじゃない」

「あの店に来てる人はみんな常連さんでいい人たちばかりだし」

「たまには知らない人も来てるでしょう」

「知らない人でも、常連さんかマスターとはつながりがあるから」

「とにかく今度来たらまたきつく言っとくから」

 僕と倫ちゃんは加工場から「マヌエラボーイ」に向かって歩いている。

「ごめんね」倫ちゃんが僕に言う。

「倫ちゃんがあやまることじゃないよ」

「つらいよね、片思い」

「どうしたの、突然」

「僕なんかすっかり慣れちゃったけどね、片思いには」

「あたしは片思いじゃなかったんだよね」

「何が」

「勘ちゃんに片思いしてると思ってた」

 どうなんだろう。そもそも僕が倫ちゃんの恋愛の対象になっているなんて思ったことなかったし。

「あきらめの片思いかな」

「何それ」

「片思いばかりしてるとね、自分から降りちゃうこともあるんだ」

「よくわからない」そう言って、倫ちゃんが僕の腕をぎゅっとつかんだ。


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