Ⅱ-9

「あの時は本当に寒かった」

「駅を降りたら雪が降っててね」

 どんよりとした雲の灰色と降り積もったまま埃と混じった雪の濁った白とに支配された世界をバス停に立ったままぼんやりと眺めていた。

「震えが止まらなかった」

「バスで行くほどの距離じゃなかったのに」

「でも、あの時歩いてたら辿り着かなかった」

「そうだね」

 佳代さんの紹介で僕と倫子は温泉街にある旅館に向かっていた。

「すごく不安だった」

「わりと大きな旅館だって聞いてたし、従業員も多いだろうから」

「そうだね、今までのようにはいかないって」

「ねえ、倫ちゃんあれは何の実なの」

「パパイヤだって」

「パパイヤ」

「そう、青いパパイヤ」

「熟す前の。ていうかここでは熟さないみたい。前にここに住んでいた人が植えたんだって。普通は枯れちゃうらしいいの、ここは寒いから。枯れずに根づいたのは奇跡だって」

「奇跡のパパイヤか」

 僕は昔テレビで見た映画のことを思いだした。アジアの国の映画でたしかベトナムかビルマだったと思う。青いパパイヤを細長く切って調理していた。

「青いパパイヤって野菜として食べるみたい。炒め物とかして」

「詳しいんだね」

「大家さんが言ってただけだよ」

 練乳をかけたかき氷が雪のように見えた。倫子はすっかりマヌエラボーイを覚えてしまったようで、楽譜を見ずに弾いている。

「スラックキーのレコードってないのかな」

「マスターにきいてみた」

「ないんだって、CDしか。昔は持っていたらしいんだけど」

「今度またリサイクルショップに行ってみようよ」

「あるわけないよ、スラックキーのレコードなんて」

「ラジカセでいいの。カセットテープに録音してもらうから」

 かき氷は溶けてしまっていた。そういえばこのかき氷器もリサイクルショップで買ったんだっけ。倫ちゃんはギターを置いて、電蓄にドーナツ盤をのせた。ちょっと遅めのレゲエのリズムに乗って、優しいメロディが流れ始める。

「シー・オブ・ラブ」っていう曲。最近の倫ちゃんのお気に入りだ。

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