Ⅱ-6
雪深い山里にも春が訪れようとしていた。あたりを覆っていた雪もなくなりはじめている。冬のあいだ倫子と暮らしていた部屋はすっかり片づいていた。
ほとんど荷物を持たずにやって来たのに、こうして暮らしているといろんな物が増えてしまう。冬が終わるまでという約束。わかってはいたものの、いざここを離れるとなると複雑な気持ちになる。お世話になった旅館の人との別れは思っていた以上につらい。
「本当に行くんだね」
女将さんは僕たちを引き留めてくれた。最初の約束以外にはここを出ていく理由も見つからない。
「あったかいところに行ってみたいな」
「別にここにいてもいいんじゃない」
「春になったら出ていこうって言ったのは勘ちゃんだよ」
「佳代さんから紹介されたときの約束だったから」
「でも、倫ちゃんといっしょならここに落ち着いてもいいかなって」
「あたしはこれからもずっと勘ちゃんといっしょだよ。それなら、ここじゃなくてもいいでしょう」
「勘ちゃんはあったかいところ嫌い」
「勘ちゃん寒いの苦手だもんね。子どもの頃から」
倫ちゃんが僕を見て笑っている。
「佳代さんたちはあたしたちが戻ってくると思っているのかな」
「連絡しておかないとね」
佳代さんのところで僕たち二人が生活していくのは難しいことはよくわかっている。でもここならちゃんと生活できるんだ。
「心配ないよ」
「ここで出来たんだから、どこに行ってもできるよ。昨日女将さんに言われたの。リンコちゃん変わったって」
倫子がここに来て変わったことはまちがいない。でも本当に倫子は変わったのだろうか。僕の中では倫ちゃんは子どもの頃からずっと変わっていない。
「ねえ覚えてる」
「あたし勘ちゃんのお嫁さんになるって言ったこと」
「よく言ってたよね。お嫁さんにしてって」
「勘ちゃんはいつもちゃんと答えてくれなかった。めんどくさそうにして」
「あの年頃の男の子ってみんなそうじゃなかった」
ここで暮らすようになってから
二人とも日本酒が好きになった。倫子はさらに酒が強くなったような気がする。茶碗についだ冷酒がなくりかけている。女将さんが餞別にくれた純米吟醸酒の四合ビン。ここを出ていく前になくなってしまいそうだ。
「あたし知ってるよ」
「勘ちゃんの目はいつもいいよって言ってた」
そうかなあ。僕はちゃんと倫ちゃんの目を見れていたのだろうか。目をそらしていたような気がする。
部屋に残った荷物は落ち着き先が決まったら女将さんが送ってくれることになっていた。でも本当に落ち着き先は決まるのだろうか。
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