Ⅰ-6
目を閉じているのに眩しくてしかたなかった。体がしだいに熱くなって、天上から音楽が降りそそぐ。タリス・スコラーズ。天の声。太陽の光。それとも人のぬくもり。いい匂いがした。たくさんの花が僕のまわりに咲いている。甘美な旋律が僕の頭の中を溶かしていく。花の色だけがぼんやりと浮かび上がり、溶けあいながら様々な色に変化する。万華鏡のように。
僕はどこかに連れていかれるのだろうか。体がふわりと浮いているような感覚。誰かが僕を抱きかかえている。やさしく包み込むように。泣いている少女が見える。泣きながら僕から遠ざかっていく。倫ちゃんが遠ざかっていく。僕をじっと見つめながら。そうか、遠ざかっているのは倫ちゃんではなく僕のほう。何かを訴えかけるような倫ちゃんの目。僕が離れていく。倫ちゃんだけを残して。
「どうして行っちゃうの」
倫ちゃんの声が聞こえる。そんなことないよ。いつも離れていくのは倫ちゃんのほうじゃないか。
「ねえ、勘ちゃん大丈夫」
目を開けると倫子の顔が見えた。
「勘ちゃん本当に飲んじゃうんだもん」
僕は温泉宿の部屋の中に寝かされていた。倫子の隣に宿の女主人の顔も見える。
「気持ち悪くない」
「大丈夫」
そう答えながらも僕は今の状況が飲みこめていない。
「まるで太宰治だな」
誰かの声が聞こえた。そうか僕は心中をしたのか。というより心中ごっこ。
「倫ちゃんは大丈夫なの」
「飲まなかったから」
「そう、飲まなかったんだ」
安心したように僕が言った。 何となくはわかっていたんだ。そもそも薬は死んでしまうような量ではなかった。
「ねえ倫ちゃん。夕飯の時間は過ぎちゃった」
「まだだけど、どうして」
「ものすごくお腹が空いてるんだ」
「あたしも」
部屋に中に笑い声が漏れる。緊張した空気が一気に緩んでいく。
「すぐ準備しますね」
女主人はそう言って立ち上がると部屋を出ていった。他の人も女主人につづいて部屋を出ていく。僕と倫子だけが部屋に残った。
「ごめんね」
倫ちゃんが僕の胸に顔をうずめている。
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