Ⅰ-4

 秘湯とはいかないまでも、山道をかなり車で走った先に温泉宿はあった。やはりわけありのカップルに見えるのだろうか、タクシーの運転手は気をつかいながらも少しにやけた表情で車を運転している。

「まだ先なんですか」

 予想されたことだけれど、倫ちゃんはしきりに運転手に話しかけている。

「もうすぐですよ」

 運転手の答えはいつも同じ。倫ちゃんはちょっとイラついていた。

「別に急ぐ理由なんかないんだから、いつ着いてもいいじゃん」

「そうなんだけど」

 そう言って倫ちゃんは口をとがらせる。かわいいんだよね、まちがいなく。子どもの頃からいつもそうだった。僕はそんなことを考えながら倫子を見ていた。

「早かったね」

 僕より後に部屋に戻ってきた倫子は、そう言ってタオルをタオル干しに引っかけた。

「軽く汗を流しただけだから。それよりちゃんと伸ばしたほうがいいんじゃない」

「いいの。また使うから」

「それならなおさら。ちゃんと乾かさないと」

「いいよ、勘ちゃんのほう使うから」

「まあ、いいか」

「ねえそれより散歩行こう」

「湯冷めしちゃうよ」

「大丈夫」

 標高が高いせいだろうか、温泉宿のまわりの景色はまだ春のはじまりといった感じ。空気もひんやりとしていて、風呂上がりの火照った体には心地よい。それでも太陽の光はまぶしく、若葉がキラキラと輝いている。倫子は温泉宿からのびた山道から斜面のほうに下りていく。

「ねえ、危ないよ」

「平気だよ」

 浴衣に羽織をひっかけ、宿そなえつけの草履で斜面を下りるのは無謀のように思えた。しかたなく僕も倫子の後を追って斜面を下りていく。案の定、倫子は足を滑らせそうになって声をあげた。

「気をつけてよ」

「大丈夫だって。あの大きな木の下までだから」

 僕は倫子を抱きかかえるようにその木の下まで歩いていく。

「あいかわらずやさしいんだね、勘ちゃんは」

 木の根元に二人でしゃがみ込んだ時、僕のほうを見て倫ちゃんが微笑む。みんなこの顔にやられちゃうのかな。僕は倫子の目を見ながらそう思った。

「やさしいのは勘ちゃんだけ。子どもの頃からずっとそう」

「他の男なんてみんなクズみたいだもの」

 多分倫ちゃんはそう思っているんだろう。でも、そのクズみたいな男と倫ちゃんはいつも一緒にいる。

「ねえ勘ちゃん。一緒に死んでくれる」

 倫ちゃんは羽織の奥から薬の入ったビンとペットボトルの水を取り出した。

「あたしには勘ちゃんしかいないもん」

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