雪の日の記憶
松長良樹
記憶
――雪が降っていた。
辺り一面の白銀世界が眩しいほど輝いて見える。私は雪の深さに足を取られながらぎこちなく、時々倒れそうになりながらも懸命に歩いていた。頭の中に霧がかかっていて意識がはっきりしない。
記憶は断片みたいに曖昧なままだ。そして妙な事に私の肌は雪の冷たさを感じない。身体は麻痺したように感覚がない。
私はいったいどこに向かって歩いているのだろう? 目的も意志も漠然としていてまとまりがない。いつからこの雪は降っているのだろう? そして私はいつからこのゲレンデの様な場所を歩いているのだろう。
――逃れるために! 私はその考えに慄然とする。だがいったい何から逃れる? そう思うと焦りが胸中に噴き出してきた。なんとか落ち着こうとする。なんとか不安定な心を立て直そうとする。手さぐりで思い出を探す。私というものの存在を見いだす為に。
だが私には思い出というものがない。私が知っているのはグレーの空。無機質な暗い部屋。それから……。わからなくなる。
私はなんとか現実に目を向けようとして、じっと両手を見つめた。黄ばんでいて所々が焼けている。焼けている? なぜ焼けている?
私は頭をかきむしった。何度もかきむしった。茶色の頭髪が雪の上に落ちる。私には自分の名がはっきりわからない。思い出せないと言うべきか?
私は着ている服を確かめた。紺色の軍服の様な服、それもあちこちが焼けただれ、引きちぎれ、酷く傷んでいる。そして腰のベルトには小型の銃がホルダーに収まっている。どういう事だろうこれは? 私はもしかしたら軍人なのか? わからない。ここは戦場なのか? まったくわからない。
その時、はるか彼方で音がした。その音はかなり高い音でサイレンのようで、私の不安を否が応でもかきたてる。足がもつれ、転がる。だが私は何度も起き上り這いずり、急ぎ足でそれから逃れようとする。
心がジグソーパズルみたいにバラバラになる。そしてまた繋がろうとする。そういう事が何度も私の中で勃発する。遠くで何かが蠢いている。どうやら複数の人らしい。嬉しくはない。それどころか凄く怖い。なぜ怖いのかわからない。
それが双眼鏡のようなものをこっちに向けた。レンズがきらりと光る。それは男達で彼らは軍人らしい。すぐに連れた犬を放つ。軍用犬に違いない。それがわかる。犬は忽ち私を追い詰め、私の足に齧りついた。
それなのに痛みを感じない。まるで私の足は義足のようだ。私はほとんど無意識に犬の首に両手を回した。そしてまた無意識に締め付ける。
だが雪原にパーンという乾いた音が響いて、私の右腕がブーメランのように宙に舞った。私は右腕を肩の関節から失った。なのに痛みを感じない。
なぜ? 私はそれでも起き上ろうとした。反射的にホルダーの銃に左手がかかる。それも無意識に。だが銃を抜く暇もなく、パーンと言う音が何回もした。今度は私の顎が吹き飛んでいた。左目がもう見えない。
「軍曹、いったい何人目でしょうか? もういいじゃありませんか。残酷です。自分にはこれがどうしても人間にしか見えません」
私を見下ろしいている三人の男の一人がそう言った。どうやら私に話かけたのではない。
「我々には人間に見えるが、犬の鼻はごまかせんよ。こいつの脳の部分を完全に破壊しなきゃならん」
軍曹と呼ばれた男がそう言う。
「なぜです?」
「なぜだ? おまえ何言ってる! タイプA-454は自らを進化させて人間の心を持つようになったんだ。極めて危険な代物なんだよ! こいつが街に降りたらどうなると思う? それにこれは上層部からの絶対命令でもある」
「早く始末しちまいましょう」
もう一人の男の声が低く呻いて、三人の銃口の照準が私の頭に固定された。
――ゲレーの空が上にあった。
深々と雪が降っていた。私の心の中に白い雪が降りしきっていた。
了
雪の日の記憶 松長良樹 @yoshiki2020
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