4-004
五分ほど走り続けたと思う。そろそろ良いだろうかと木陰に駆け込み背後を確認すれば、あの踊る手はもうどこにも見えなかった。現れた時同様、消えるのも一瞬らしい。
「――これは、何の怪異なんだ?」
息を整えた二階は、どうやらいつもの《考えるモード》に入ったらしい。スーツだっていうのに木の根元に腰を付けて座り、眉間にしわを寄せて考え込んでいる。俺も安いスーツが擦れるのはもう気にせず、隣の切り株に座ることにした。
「まだ、ノーアイデア?」
「正直答えは全く分からないが、情報は揃ってきた」
この森に入ってから起きたこと。二階の具合がめちゃくちゃ悪くなった。木庭袋さんが消えた。二階を休ませると少し体調が良くなってきて、なんとか歩けると思った時に木から無数の腕が生え始めた。その腕は、おそらく木庭袋さんのものだった――
うーん。俺からすると、これらの情報が何一つ結びつかない。
「体をコピーできる怪異って、いるのか? まるでONE PIECEみたいだけど」
「まあ、いないとは言わないな。でも、もっと別のところから考えたほうがいいのかも」
「別って?」
「一番不思議なのは……なんで、木庭袋さんは消えて、俺とお前は無事なのか――ということだ」
たしかに、そーだ。それほど強い怪異だというのなら、俺達二人もとっくの昔に消えてたっておかしくない。
「立ち位置……とか?」
「どうだろう? 仮にあの場所を《消失ポイント》と呼ぶとして、あそこに一人で立った――というだけの条件なら、藤田、お前も満たしていてもおかしくない」
「たしかに……俺、あの後も結構ふらふら歩いちゃったもんな」
「場所の他にも条件があるのかもしれない」
「じゃあ、さっきはその条件を満たしかけてたってことか? だから手の軍隊に襲われた、と?」
我ながら良い推理だと思ったが、二階の顔は依然として渋いままだった。
「藤田。お前、さっき、どう思った?」
「どう、って?」
「危ない、と思ったか?」
「うん。腕が木から生えることってあんまりないからな」
「そうじゃなくて、もっと感覚的に……いや、お前に危機感について尋ねた俺が悪かった。さっき、一応逃げはしたものの、俺はあいつらは結局『襲ってはこなかった』と思ってるんだ」
「……でも、手招きしてたろ?」
「風で揺れているようにも見えた」
「誘い込んで罠に嵌めるつもりだった、のほうが合理的じゃね?」
「その可能性も残されてはいる」
限りなく却下に近い回答だった。ま、相手は心霊なのだから、合理とか論理とか持ち出したってしょうがなくて、結局二階の勘と感覚に合わせるしかないのだ。
「あれは、何だろうか」
正体が分からないことには、動きようがない。
俺も二階の悩みに付き合うべく、とりあえず壁打ちの相手になることにした。
「そうだなあ……幽霊?」
「なぜ手しか出てこない? 妖怪だとしても、思い当たるものがない。そして、俺がずっと感じているこの気配は一体なんなんだ」
そういえば、気配がどうも珍妙だと、二階はこの森に来てから何度も繰り返していた。
「ちなみに、どーゆー気配なの?」
「静かすぎるんだ。思考が無くて、でも広がっている。空気の霊がいるとしたら、こんな感じだと思う」
「じゃ、空気の霊なの?」
「さすがに、生きていないものが霊化することはないだろう…………多分」
そのまま、二階は再び考え込んでしまった。しばらく、妖怪、付喪神、怨念、神様、などなど、色々アイデアを出してみたが、どうもどれも違うということだった。
「うーん……わっかんねーな」
「もう一回、見に行くしかないかな」
「まあ、情報が無いからな。あ、木庭袋さんに貰ったメール文、もう一回見返してみるか」
とはいっても、書かれているのは既知の情報ばかりだ。
住所・来てほしい時間帯・困っている事象とその背景・周辺の地理情報や考えうる限りの歴史情報など――あ、そーいえば。
「ね、木庭袋さんの研究対象って、なんだったんだろうな?」
「木とキノコの共生だろ」
え、そーなの?
「名前で検索しなかったのか? 論文データベースに、キノコの分解者としての植生に関するなんちゃら――とかいう論文が載っていた」
「Facebookしか見てなかったわ……」
多分、検索結果で目に入っても盲点に入れてろくすっぽ見ていなかった。
「でも、この森ってキノコなんかなくない?」
森に入ってから今まで通った道の風景を、頭のなかでもう一度再生してみる。うーん、同じような木とさほど背の高くない草と枯れ葉ばかりで、キノコを見た覚えがない。
「キノコこそ、天候によって出たり消えたりするからな。雨でも降れば出てくるのかも」
「雨降ってる時しか出ないんだとすると、光合成しづらくね?」
「キノコだから、しなくていいんじゃないか?」
「え、光いらないの?」
もはや木から出る腕よりも、にょきにょき生えるキノコのほうが気になってきている。俺の集中力なんてこんなもんだ。
「正直専門外すぎてよくわからないが。でも、光合成するのは植物じゃないか?」
「キノコって植物じゃねーの?」
「菌類――だな。動物でも植物でもない」
「そんな生き物いるんだっけ? え、そもそも生き物じゃないってこと?」
「菌類は生物ではある。ウイルスとは違う」
「なんで今ウイルスが出てきたの? パソコンの話?」
二階はどうやら俺への説明を諦めたようだった。こういう雰囲気になった時、昔はもうちょっと嫌味が長く続いたような気がするが、こいつも諦めというものを学んだらしい。
いつもならここで二階は頭を数度振って、嫌なモノでも払い落すかのようにした後で、すぐに話題を変えたはずだ。
だが、今日は違った。
「――――?」
「二階?」
「いや、ちょっと待ってくれ――」
二階は何か閃いたように顔を上げる。顔色が今日一番に良い。
「もしかして、それなんじゃないか。キノコの霊だとすると……森全体に怪異の気配がある理由も分かる」
「なんで? キノコ、いないじゃん」
「キノコの本体は、あの……よく見る、食べ物にもするアレじゃなくて……土壌の中にいるんだ。その中にいる菌が、あくまで胞子を飛ばすために、発射台としてキノコを作る」
「……ん、ってことは、土の下に何か怪異がいるってこと?」
「その通り。そしてそれは、キノコみたいに何かを土の上や木の幹に生やす力を持っている」
……うん、いや、完全にそれじゃん!
キノコの霊、あるいはキノコの性質を持った霊。これらは森の下の土壌を根城にしており、かつ地上に身体の一部を生やす力を持っている――うん、完全一致だ。
やっと、怪異の正体について仮説が立てられた。あとは二階の同定作業を経て、祓い方を決めりゃあいい。
「ようやく、仕事が進みそうだな」
方針が立ったのだから、暗雲立ち込めていた先ほどとは全然違う。やはり二階は具合が悪くたって凄いじゃないかと、俺はこの『心霊案件限定の相棒』のことが誇らしくなってきた。
さて、もう一息だ。ここまで来れば次の一手もさっさと決めてくれるだろうと、俺は切り株から立ちあがった。続くはずの二階が、なかなか立ち上がらないのをほんの少し不安に思いつつ……。
「すまん、藤田。俺は他にもう一つ、気が付いてしまったことがある」
「え、なに?」
二階は、俺が最大級のポカやらかした時でもこれほど暗い顔はしていなかったんじゃないかと思うほど、どんよりとしていた。具合が悪いのだろうかと一瞬心配したが、どうもそういうわけでもないらしい。なんだ、どーした?
「――ちょっと怖いことを言ってもいいか」
「なんだその前置き。珍しいな」
「元々の疑問に立ち戻ったんだよ。なぜ、この怪異は俺やお前には目もくれず、木庭袋さんだけ攫ったのだと思う?」
「ぜんっぜん、分からん。答え教えてくれ」
「シタイダカラダ」
俺は一瞬、二階が何を言ったのか理解できなかった。
「なんて?」
「だから、木庭袋さんは――死体だから、菌類の分解対象だったんだ、と言っている」
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