4-003

 一時間後。森の中は木庭袋さんが消える前と変わらず、静かで凡庸だった。影の折り紙が行われた地点まで近づいて痕跡を探してみたものの、笑っちゃうぐらい手がかりがない。電話をかけても木庭袋さんが出ることはなかった。

 発生した事件の重大さとは裏腹に、二階の体調は落ち着いていた。顔色も随分よくなってきている。

「お前、具合は?」

「……着いた頃よりは、随分良い」

「ふーん、珍しいな」

「珍しいって?」

「木庭袋さんが怪異に連れ去られてから――つまり、怪異の出現があった後のほうが、具合が良いってことだろ?」

「……言われてみれば、どうしてだろうな」

 二階は考え込む様子を見せたが、特に回答は出なかったらしい。ま、とにかく今は依頼人を探すっきゃないだろう。

 だがその前に、一つだけ。どうしても気になってしまうことがある。

「なんで、俺に心霊現象が見えたんだろう?」

「別に、藤田だって何もかも視れないというわけじゃないだろう。今までだって、体育館倉庫に閉じ込められたり、確実に見えるはずの紐が見えなくなったり――怪異の強さによっては、お前の視界に影響が出ることは何度もあった」

「じゃ、めちゃくちゃ強い霊だってこと?」

「霊かどうかはまだ分からないが、人を一人白昼堂々消してしまえるんだから、まあ、強いナニカであることに間違いはないだろうな」

 俺は考える。今回の霊、今まで遭遇した中でも最強クラスなんじゃねーか?

 先ほどまでの二階の具合の悪さ。

 人を一人消してしまえるほどの強烈さ。

 そして、俺の視界に影響してくるぐらいの規格外な感じ。

「なーんか、いつもと随分レベル違くねぇ?」

「俺も、そう思う。だが、今は体調も良いし、そんなに酷い気配も感じないんだ。それこそが可笑しいだろう、と言われたらそれまでなんだけれど……」

「りょーかい。マジでやばそー、ってなったら一回退散しようぜ。とりあえず今は、木庭袋さん探ししても良いんだろ?」

「ああ。これ以上は行けない、と思ったら言う。日没まではまだまだ時間があるし、もう少し探そう。あと一時間探して見つからなかったら、捜索願だ」

 日本の警察に、怪異に攫われた人間を見つけ出す能力があるとは思えないが(いや、どうなんだ?)常識を重んじれば通報するしか手がないのも事実だろう。

 さっさと木庭袋さん見つけるか――と腰を捻り、前進しようとした、その時だった。さっきからこの森では、不思議なことが突然起こる。

「……二階」

 丘の上の木陰から、誰かが手招きをしていた。

 あ、もしかして木庭袋さんかな、と俺は一瞬そう思った。しかし違う。木庭袋さんの長身なら、あんなに低いところから手は出てこないはずだった。いや、どんな身長の人でも、あの低さから、あの角度で腕を出せるものだろうか――なんて考えているうちに、手は一本二本三本と増えていく。全く、人間の腕は二本しかないんだぞと、怪異に教えてやりたくなった。

 俺は少し腰を引いて、二階を振り返る。奴も青い顔をしていたが、開口一番、不思議なことを言った。

「あの服、見覚えがないか?」

「は? 服?」

 改めて前を見る。ハロウィンのコスプレみたいな真っ黒な袖口。一瞬遅れて、俺は気が付いた。あれは、依頼人の木庭袋さんの手だ。彼の手が、まるで出来の悪い影絵の黒子みたいに、ひょこひょことあちこちの幹から突き出ている。すでに十本以上を数えるその腕たちは、無邪気に俺達に手招きを続けている。

「で、どーする?」

「まあ、一応逃げようか」

 言うが早いか、二階は踵を返して走り出した。

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