第100話 限界を超えろ

 時が停まる……。


 様々な人間が微動だにせず固まっていた。

 人だけではない。

 風、木々も息を潜め、木葉の影に隠れた小さな虫までもが止まっていた。


 それは1つの世界を切り取った、大きな大きな絵画のようだ。


 時間停止した空間の中で、動いていたのは、鍵師である僕だ。


 この中ではたとえサリアでも、指1つ動かすことができない。


 僕は向かった先は、当然魔獣王ガルヴェニだ。


 大きく顎門を開けた荒々しい姿は、止まっているのに動いているような迫力がある。


 でも、僕は退くことはない。手を伸ばし、そのガルヴェニに向かって、鍵魔法をかけた。


 フィーネルさんの仇だ。


「分子――――」



 【分解リリース】!



 かつて魔王の力を得たゲヴァルドに放った僕の奥の手。


 如何に魔獣王でも、この魔法の性質から考えれば逃れることはできない。


 生物を形作る無数の細胞ブロック


 その固定されたものを、この鍵魔法はバラバラにすることができる。


 当然迎えるのは死――――。


 いや、それ以上の無――――。


 どんな魔法でも、魔獣王を復活させることは難しいだろう。


 そして鍵魔法は発動する。


 だが――――。


「バラバラにならない……」


 普通、煌びやかな光りと共に、ガルヴェニは崩壊するはずだった。


 しかし、そうならなかった。


 魔力が通らない。おかしい……。


 僕は焦る。その瞬間、集中を乱した。【時間停止】は魔力と、高い集中力が必要になる。ちょっとした心の乱れが、魔法の崩壊につながった。


 そして、時は動き出す。


 わっ、と僕の耳朶に戦場の喧騒が飛び込んできた。


 直後、聞いたのは、ガルヴェニの吠声だ。


『ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』


 足の先についた凶爪が、僕に襲いかかる。



 【竜炎精弾ドラゴニア・ブレイズ】!



 視界が一瞬にして紅蓮に染まる。


 僕に向かって爪を振るっていたガルヴェニが、炎の中に飲まれた。直後、僕はアストリアに抱かれ、距離を取る。


「大丈夫か、ユーリ?」


「すみません。エイリナ姫もありがとうございます」


 砲杖キャスト・ライフルを構えたエイリナ姫にも礼を言う。


『おおおおおおおおおおおおお!!』


 吠声が響く。


 巻かれた炎を叩き潰すようにガルヴェニは、炎を吹き飛ばした。


 その綺麗な銀毛はままヽヽだ。焦げ痕1つ付いていない。


「ちょ! 無傷ってどういうことよ?」


 エイリナ姫だって今ので決着がつくとは思っていなかったはずだ。


 だが、全く無傷というのは、想定外だったのだろう。エイリナ姫が使った魔法は、ドラゴンの分厚い鱗ですら焼き尽くす魔法だ。


 その攻撃力を上回るなんて。


「あの銀毛……。どうやら魔力を通さんようだな……」


 サリアが僕の影から現れる。忌々しげに、猛るガルヴェニを睨んでいた。


「でも、【時間停止】……」


「忘れたか、ユーリ。あれは概念に干渉する行いじゃ。ガルヴェニ自身に魔力を通すわけではない。時間が止まったからこそ、ガルヴェニも止まったのじゃ」


「な、なるほど……」


「しかし、前に戦った時は、あんな魔法補助はかかっていなかったはずだぞ」


『ぐふふふふふ……』


 ガルヴェニは突如笑った。


『忘れたか、魔王サリア。我の能力を……』


「そうか。貴様、確か【未来視】ができたのだったな」


 サリアは唇を噛み、目を細めた。


『その通りよ。我が今この状況を見通し、封印を解いたのもこの能力だ』


「その【未来視】を使って、ユーリを導いたのか」


 アストリアの美しい顔に、激しい憎悪が浮かんでいた。


『くくく……。吠えろ、吠えろ、痴れ者め。愉快だったぞ。我に魂を食われ、傀儡となったフィーネルを通して見たお前達は。すっかり我を王女と信じ込んでいたな』



「うるさい。黙れ……」



 僕自身もゾッとするような冷たい声が、反射的に出ていた。


『ふん。魔獣王に命令をするか、鍵師……』


「【未来視】なんか関係ない。僕がお前を倒す……」


『関係ない!? そう思うなら、我を止めてみせろ!!』


 ガルヴェニが突撃してくる。


 そこに立ちはだかったのは、レキとレニだ。


 まずレニが前に出た。『怪力』で止めるつもりらしい。


『どけぇ!』


 ガルヴェニはレニを吹き飛ばす。


 代わって現れたのはレキだ。【神足通】であっさりと懐に侵入した。ショートソードを振るい、魔獣王に傷を入れようとしたが……。



 ギィン!



 弾かれる。


「――――ッ!!」


 レキの顔が歪む。


 その瞬間、蠅でも払うかのようにガルヴェニになぎ倒された。


 魔獣王はふんと鼻息を荒くする。だが休む間もない。


「とった!」


 叫んだのは、“おおきみ”だ。退魔の剣の切っ先をガルヴェニに向ける。その姿はすでに魔獣王の懐にあった。


 退魔の剣が深々と刺さる。


「よし!」


 “おおきみ”は叫んだ。


「叙事詩と、さらにお前に関する文書を読み倒し、我が国一の刀匠に討たせた退魔の剣。如何にもお前で――――」


 勝ち誇った“おおきみ”の顔が歪んだ。


 剣の先から白い煙が上がる。見ると、退魔の剣の先が溶けていた。まるで飴細工のようにだ。


「なんと……」


『残念だったな、“おおきみ”。お前は娘の仇を取れぬ!!』


 レキたちと同様に“おおきみ”もまた吹き飛ばされる。


 それが魔獣王の尾の一撃であったこともわからないまま、激しく壁に叩きつけられると、そのまま意識を失った。


「“おおきみ”!!」


 近衛たちが騒ぎ出す。


 “おおきみ”の仇を討とうと、槍の切っ先を向けた。だが、その意気込みまでは良かったものの、魔獣王の迫力に気圧され、誰も動けずにいた。


「あなたたちは下がって!!」


 その瞬間、巨大な炎が渦巻く。


 エイリナ姫だ。


 砲杖キャスト・ライフルの先をガルヴェニに向け、狙いを定める。


 彼女だけではない。


 僕の側でも、青白い光の柱が立ち上った。


 社の中の空気が動き、渦を巻く。それは1本の剣へと代わっていった。


「エイリナ! 合わせろ!!」


「言われなくても!!」



 【竜炎精弾ドラゴニア・ブレイズ】!


 【風砕エア螺旋剣リーズ】!



 嵐と炎が同時に放たれる。


 その魔力量は、おそらくムスタリフ王国にあるいずれの魔力計測器も振り切れるほどだ。


 それほどのオーバーパワーだった。


 S級冒険者と、それに匹敵するほどの力をもった王女の一撃。


 空気が唸りを上げて、まさに社をバラバラになるほどの力が、交錯する。


 その交点にいたのは、ガルヴェニだ。


『ふははははははははははは!!』


 だが、そこから聞こえてきたのは、哄笑だった。


 まるでぬるめのお湯に浸かり、鼻唄でも歌うように気持ち良さそうに声を響かせている。


 やがて魔力収束が消えると、やはり無傷のガルヴェニが現れた。


「まさか……。いくら魔法対策されてるからって……」


「今の一撃を耐えるのか?」


『痴れ者が……。我は魔獣王……。サリア、教えてやれ。この者たちに。我の力を』


 声を響かせ、ガルヴェニは事もあろうにサリアにリクエストする。


 サリアは渋々と言った表情で答えた。


「ガルヴェニの能力は【未来視】、そして【自己進化】……。【未来視】で未来を読み取り、その先の危機を急速な【自己進化】によって回避し、自己防衛策を練る。究極の単独魔獣兵器なのじゃ」


「ちょ! それってほぼ無敵じゃない!」


 エイリナ姫は悲鳴を上げる。


「サリア、お前なら勝てるのか?」


 アストリアは冷静に尋ねる。


「あ、当たり前じゃ!」


 とは言ったが、サリアの顔は冴えない。声も少し震えていた。


「だが、奴と我は何度か戦っておる。おそらく我の対策もしておるだろう。それを突破するのは、至難の業だ」


 サリアとて、勝てるかどうかわからない敵……。



「それがどうした……」



 僕は前に進む。


 敵わない相手だから逃げる。


 確かにそれもまた生き残る術なのかもしれない。賢いと言われれば、その通りなんだろう。


 けど、それで何かが代わるわけじゃない。この悲しい状況が終わるわけじゃない。


 進まなければ、何も始まらない。


 それだけは確かなことだ。


『抗うか、鍵師!』


「当たり前だ! お前はここで倒す!!」


『威勢がいいな! ならば、全身を【閉めろロック】して、我の一撃を耐えてみせよ』


「なに?」


『お前は無駄だと知るだろう。我はすでにその対策もしている。その瞬間、お前は敗れるだろう。鍵魔法の通じない、お前など雑兵も同じよ、ユーリ・キーデンス!!』


 ガルヴェニは爪を振るう。そこで生じた爆風が、周囲に囲もうとしていた宮中近衛隊に直撃した。


 まさに紙のように吹き飛ばされていく。


 ガルヴェニの蹂躙は止まらない。まるで次は僕だと言わんばかりに見せつけながら、周囲の近衛たちをなぎ払った。


「やめろ! 全身――――」



 【閉めろロック】!!



 僕は近衛たちを守るため立ちはだかる。


 かつて敵だったけど、今は違う。


 彼らは守ろうとした。フィーネルさんがいたこの国を。


 だから――――。



 バンッ!!



 その瞬間、僕は弾かれる。


「え?」


 そう。宣言通り、ガルヴェニの凶爪によって吹き飛ばれたのだ。


 その中でガルヴェニの笑い声が響く。


『バカめ! 忠告しただろう! S級冒険者の聖剣の力も、エイリナ姫の魔弾も、勇者の剣も、そして貴様の鍵魔法も、我はすでに克服した! 貴様らは、もう我に勝つことはできないのだ!!」



 わはははははははは!!



 ガルヴェニの哄笑がまるで嵐のように社の中に響き渡る。直後、僕の耳に聞こえてきたのは、多くの人間の悲鳴だった。


 アストリア、エイリナ姫、“おおきみ”、レキとレニ、そして近衛たち……。


 1度は敵対した者たちが、戦っている。


 国のために……。

 国民のために……。

 あるいは、死んだ王女のために……。


 一矢を射かけるようと攻めて立てる。


 だけど、それは届かない。


 すべてガルヴェニの吠声の中に消えていく。


 その爪と牙は、多くの命を貪っていった。


 もはや為す術はない。


 【時間停止ロック】も、【分子分解リリース】も克服した、おそらく僕の人生において最強の敵……。


 だけど! でも! しかし――――。


 僕は退けない。退いてやらない。


 最強の敵がなんだ。


 未来が見えるからってなんだ。


 自己進化なんて、ただの臆病なだけじゃないか。


「負けるものか。負けてやるものか」


 気が付けば、僕は呟いていた。


 遠くで虐殺の音が響く。すでに僕の身体は朱に染まっていた。


 死ぬほど痛い……。


 でも、それがどうしたというんだ。


 まだ死んじゃいない。


 息も、意識も、なそうとすることもはっきりしている。


 今の僕がダメなら、明日の僕だ。


 明日の僕を知るなら、明後日の僕だ。


 明後日の僕を知るなら、1ヶ月――――いや、1年後の僕だ。


 今、強くならないでどうする?


 今、限界を超えないでどうする!?


 強くなりたいじゃない!


 望め!


 僕は今、強くなる……。


 そしては僕は鍵魔法をかけた。


「限界――――」



 【解放リリース】!



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


本日はここまでです。


カクヨムコン6の読者選考期間、明日までとなりました。

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