第101話 金剛石よりも硬い拳

 ユーリの変化にいち早く気付いたのは、サリアだった。


 その影に潜む魔王は、自分の魔力が今まで以上に食われていることを確信する。普段が桶で水を注ぐようであれば、今は鉄砲水のようにユーリの身体に自分の魔力が注がれていた。


「ちょ! ユーリ! やめよ!!」


 サリアが珍しく否定の言葉を叫ぶ。


 幼い顔をしながら、日常では常に泰然としている魔王の顔が歪む。己の魔力を引き戻そうとした全く力に抗えない。その雄々しさに、その顔が上気するほどであった。


「ふ……。うう…………。やめ…………らめぇえぇぇぇえぇぇええぇ!!」


 サリアが叫ぶ。


 その瞬間、ついに魔王は気を失った。





『なんだ?』


 社の真ん中で傍若無人に振る舞っていた魔獣王ガルヴィニは、ふと毛の先に怖気が走る。


 すでに戦場は荒れ地のように荒涼としている。多くの近衛が床に伏し、さらにS級冒険者アストリア、エイリナ姫、おおきみ、レキ&レニもまたその圧倒的な魔獣王の前に力尽きていた。


 誰も魔獣王に刃向かわない。


 誰も口答えしない。


 まさに王たる姿を誇るかのように、吠声を上げている最中のことだ。


 ガルヴェニは振り返る。


 同時にその男もまた立ち上がる。


 鍵師ユーリだ。


 妙な気配を漂わせていることに、ガルヴェニは目を細める。


『まだ刃向かうか、鍵師よ……。しつこいな貴様も……』


 ユーリは何も返さない。


 ただおぼつかない足取りで、ガルヴェニに近づいていく。


 生気――いや、意識があるかどうかすらわからない。


 チリチリと毛先に不吉な気配を感じながら、魔獣王は大きく口を裂いて笑った。


『何をしても無駄だ。貴様の鍵魔法は、魔王の使徒に通じても、我には効果はない。虎の子の【分子分解】も我に効かなかったであろう。これ以上、どう抵抗しようというのだ』


 ついにユーリは止まった。


 魔獣王の脅しに屈したのではない。


 すでにその身はガルヴェニの鼻息が届く距離にあったからだ。


 つまり死地……。


 ガルヴェニの凶爪が振るわれた瞬間、今度こそユーリの命はない。


「ユーリ……」


 声を上げたのは、アストリアだった。


 かろうじて意識を取り戻した彼は、まるで生け贄に捧げられた子どものように佇むユーリを目撃する。


 居ても立ってもいられなくなり、身体を起こそうとするが、肝心の力が入らない。それでも、S級冒険者は血と泥で汚れた床を這って進む。


 ユーリが何を考えているかわからない。


 でも、パートナーが死に直面しようとしている。


 それと止めないパートナーはいない。


「させるものか……」


 ついにアストリアは剣を杖にして立ち上がる。


 しかし、未だ生まれたばかりの子鹿のようにふるふると震えていた。


 やっと立ったが、アストリアはそれ以上動くことはできない。何か他のところに力をいれるだけで、そのまま倒れてしまうような危ういバランスの中にあった。


『ほう……。S級冒険者、お前もまだ我に反抗するか』


 魔獣王は一睨みする。


 だが、その眼光だけでアストリアの体勢は崩れ、再び床に突っ伏す。


 顔を上げながら、アストリアは自分の力のなさを嘆いた。


「やめろ、魔獣王!」


 やめろ! アストリアは訴える。


 同時に唇を噛みしめながら、何もできない自分を呪った。


「やめろ! やめてくれ! 彼は、ユーリくんは――――――」



 私にとって、大切な人なんだ!!




 ドンッ!!




 それは一瞬の出来事であった。


 何か世界がひっくり返ったような錯覚に陥る。


 否――――錯覚なのではない。


 魔獣王の視界がグルグルと回った。


 気が付けば、ガルヴェニの巨体は宙を飛び、さらに激しく回転している。


 そのまま社を支える太い柱をなぎ倒し、社の壁を突き破って、外に出た。


 社の外の白砂を滑り、池へと落ちる。飛沫が舞い、一瞬にして獅子と似た姿を持つガルヴェニは、濡れ鼠となっていた。


『何が……』


 ガルヴェニはすぐに立ち上がった。


 同時に、熱い鉄ごてを押し当てられたような痛みが走る。気が付いた時に、自分の顎の骨が割れ、顔が歪んでいた。


 ぽちゃんと音を立て、水底に刺さったのは、折れた自分の牙だった。


 何が起こったのかわからず、ガルヴェニは顔を上げる。


『――――ッ!』


 気が付いた時には、すでにユーリの姿は目の前にあった。


 ここまで吹き飛ばされたのは、ほんの一瞬の出来事だ。


 その間にも、ガルヴェニは気を張り、気配を探っていた。


 しかし、どうだ。ユーリはその一瞬で目の前に立ち、気配もなく佇んでいる。


 やはり何かが違う。未熟な冒険者などではない。


 まるで歴戦の勇者のように立っていた。


『貴様――――』


「水――――」



 【閉めろロック】!



 ガチッ!


 音がした。


 その瞬間、池の水は水のままであるのに、まるで氷のように固まる。


 それもただの水ではない。


『う、動けぬ!!』


 ガルヴェニは珍しく悲鳴を上げる。


 振るうだけで衝撃波を生む魔獣王の膂力だが、それを持ってしても固まった池の水から脱出することができない。


 しまった、という顔でガルヴェニの顔が歪む。


 確かにガルヴェニの身体は魔力を通さない。だからといって、周囲のものまで魔力を通さないわけではない。


『狙っていた?』


 こんな単純なことを【未来視】できなかったのか、と言われればそれまでだ。


 しかし、ガルヴェニはサリア以上に狡猾で頭がいい王ではない。自分が予見したことに対する危機回避能力は、野生動物それと似て非凡ではあるが、決して知能が高いというわけではない。


 言ってみれば、予見ができたとしても、想像力に乏しい王……。


 予見がないことに対しては、全くの無頓着なのだ。


『くそおおおおおおおおお!!!!』


 無理やり引き離そうとする。


 かくなる上は、自分の四肢を裂いてでも脱出するつもりだった。


「諦めよ……、ガルヴェニ」


 その声はユーリの影から聞こえてきた。サリアであることに気付いたが、いつも傲慢不遜な口調はなく、どこか疲れた様子だった。


「今、そなたの前にいるのは、ユーリ・キーデンスであって、今のヽヽユーリ・キーデンスではない……」


『何を言っているのかわからんな、サリア』


「ああ……。その通りだな、ガルヴェニ」


『??』


「我にも説明が付かぬよ。今起こっていることは……。ただし1つだけ言えることがある……」



 ユーリは天才じゃ……。



「この魔王サリアが認めた天才……。我らが戦った勇者の姿が霞むほどに傑出した才能よ。確かに未だ未熟であろうが、必ずこやつは我らの上を行く存在になるであろう」


『い、今がその時だと……』


「そうではない。いや、それもあながち間違ってはおらん……。こやつめ、とんでもないことをした。我らが手を焼いた勇者の遥か上をいく才能。その間には、いくつもの障害と肉体的な限界があったはず。本来、人間とは経験と年月を越えて、それを1つずつクリアしていく。しかし、ユーリは――――」



 その己が迎える限界のその先ですら、すべて取っ払っリリースしてしまったのだ……。



「今、貴様の前にいるユーリは今のヽヽユーリ・キーデンスではない。お前が観測できる未来の先にいる、ユーリ・キーデンスなのだ……」


「そんな……。馬鹿な…………」


 ガルヴェニの毛が逆立つ。怒りではない。それは警戒から来る反射行動だった。


 わからなかったわけではない。何度も身体は訴えていた。逃げろ、逃げろ、と。これはまずい、と身体はわかっていた。


 だが、魔獣王はその警戒する心を無視した。


 一抹の不安を黙殺し、王たる威厳を見せつけた。


 まるで家犬のように状況に甘え、目の前の獅子の存在を無視してきたのだ。


「ガルヴェニ、お前は強かった。未来を読み解き、その対応力も我の目から見ても、的確だったと思う。しかし、お前は空気というものを読めなかった、そして人の心というものを覗くまでには至らなかった」


「なん……だ、と……」


「ガルヴェニよ。お前の敗因はたった1つだ」



 ユーリ・キーデンスという獅子の逆鱗に触れた。



 そしてユーリは大きく振りかぶる。


「拳――――」



 【閉めろロック】!



 拳を固める。


 それは金剛石よりも遥かに硬く、そしてユーリの意志そのものが込められていた。


「や、やめ……!!」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」


 ガルヴェニの声は、ユーリの裂帛の叫びに掻き消えた。


 その瞬間、ユーリの拳が雪崩のようにガルヴェニの顔面へと打ち込まれる。


 滅多打ちだ!


 ガルヴェニの獅子の顔が、左、右と歪む。


 そこに骨が軋み、血が飛び散った。


 効いている……。


 齢にして18歳の青年の拳が、遥かに年を重ね異形と化した魔獣の顔に痕を刻まれていった。


 背丈も、体重も、青年の倍以上……。


 なのに青年の拳は効くヽヽ


 頭に火花を弾けながら、魔獣王は問いを返さずにはいられない。


『何故だ!? 何故――――』


 こう重い?


 頭に響く……?


 骨が潰れる?


 その柔で小さな人間の拳程度で!!


「言ったであろう、魔獣王よ」


 サリアは連打を浴びるガルヴェニを嘲笑う。


「これが、天才が超えた限界の先にあるものだ」


『ふざけるな! 人間の成長が、ここまで顕著であるものか!』


 人間が成長するのは、知っている。


 だが、その寿命は100年もない。


 ガルヴェニから比べれば、遥かに短い寿命の中で、己を超えるなど不可能。


 いや、認めてはいけない。


『がああああああああああああああああ!!』


 ガルヴェニは口を開けた。


 無理矢理、ユーリの拳に噛みつく。


 その手を引きちぎろうとした瞬間、固まった。


 その手、さらに腕はまるで硬質な魔法鉱石ミスリルを噛むように硬かったからだ。


『な、なんだ……』


 不気味な冷たい感触に、ガルヴェニはひやりとする。


 その瞬間、キィンと硬い音が鳴る。


 直後、ガルヴェニの視界にあったのは、己の牙だ。


 数々の難敵を打ち倒し、勇者の一撃にすら耐えた牙が、ポキリと根本から折れていた。


『馬鹿な……!』


「それは、ユーリが本気で固めた拳だ。想像できるか、ガルヴェニよ。そのユーリの拳は伝承にあるどんな聖剣や魔剣よりも、名実ともに位が低いであろう。だが、硬さという点では、どんな聖剣や魔剣よりも硬い。魔法鉱石ミスリルも、金剛石も問題にならない。世界一と言ってもよい拳だ」



 その拳に打たれるという意味が、どういうことか……。お前ならわかるだろ?



 ガルヴェニはゾッとした。


 思わず1歩退いてしまったほどだ。


 聖剣よりも、魔剣よりも硬い拳。


 その連打を浴びると、どうなるか。


 もうガルヴェニはイヤという程思い知っていた。


 だが、たかが人の拳と侮っていた魔獣王は――――。



 この時、初めて恐怖というものを知ったのだ……。



『やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!』


 ガルヴェニは叫ぶ。


 許しを請うたかが、再開されたのは、容赦ない拳の弾幕だった。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」


 ユーリの怒りがさらに爆発する。


 その拳はついにガルヴェニの眉間を貫くのだった。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


ユーリ・キーデンスの拳は砕けない!


本日ももう1話書きます。

よろしくお願いします。

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