閑話 オークはどこへ行った?

 シュバイセル・ミグロスは神都を見回る役目を終え、宮廷に帰参した。


 彼の所属は兵武省と呼ばれる場所だ。

 主に衛兵の管理、平たくいえば自国の兵力の管理と統率を行う部署である。

 彼はその中でも見回り組という神都を警邏する局長だ。


 兵武省の中でも抱える人員は多く、ここを経由して兵武省統括へと出世する者も少なくない。


 何よりシュバイセルは、現在の兵武省統括に可愛がられている。

 「子飼い」「小判鮫」「狗」と揶揄する者もいるが、今現在彼が兵武省の中でもっとも出世コースを歩んでいることは間違いなかった。


 兵武省の廊下で会えば、誰もが足を止めて、彼に向かって頭を下げる。

 多くの部下を引き連れ歩く姿は、もはや兵武省の風物詩になっていた。


 だが、その兵武省の中にあっても、彼に頭を下げないエルフはいる。

 その内の1人が、彼の直属の上司であるグラリオン・ラバラケル。


 現兵武省統括であった。


 基本的にエルフは美男美女が多い。

 美しい銀髪はそれだけで目を引き、ミステリアスな緑の目は男女問わず心を奪ってきた。


 そんなエルフ社会にあって、ラバラケルの姿は特異だ。

 岩のようにガチガチに固まった銀髪に、またしても岩のような四角い顔。

 もみあげから顎髭まで繋がり、赤ら顔であるため猿に似ている。


 しかし、やはり武力を司る兵武省統括である。

 その三白眼は鋭く、身体も大きく胸板も厚い。

 美男子という部分ではかなり後れをとっているが、武人としての迫力は十分であった。


「シュバイセル、帰ったか?」


「はっ! シュバイセル・ミグロス、只今帰参しました」


 シュバイセルは膝を突き、頭を下げた。


 可愛がってる部下の恭しい態度を見て、ラバラケルは鼻息を荒くする。

 ラバラケルは醜男だが、シュバイセルはどちかと言えば美丈夫だ。

 だが、今シュバイセルは膝を突き、ラバラケルは部下を見下ろしている。


 ラバラケルにとって、自分の顔は1つのコンプレックスである。

 そんな彼が、シュバイセルのような男を従えている。

 己の権力を今一度確認したラバラケルは、ふっと口端を歪めた。


「そう畏まる必要はない。お前と俺の仲ではないか?」


「いえ。部下の前ですので」


「そうか。ふふ……。真面目だな、お主は」


「それだけが取り柄です」


「良かろう。……それで神都は何か変わったことはあったか? 随分と市中の“ぴん”が騒いでいたようだが」


 ラバラケルは外の方に目を移す。

 2人がいるのは、兵武省の外縁――渡り廊下だ。

 目の前には、白砂が広がり、その向こうでは神樹の中に太陽が没しようとしている。

 空は燃えるような茜色に染まっていた。


「はっ! 冒険者が騒ぎを起こしていましたので、それを諫めに」


「冒険者? ふん! 層外の猿どもめ。ああいうヤツらが、羽目を外すから他のエルフも浮かれてつけあがるのだ。全く……」


 ラバラケルは、ふんと息を吐く。


「で――――。粛正したのか?」


「いえ……。直接的には……。冒険者の数が我らより上回っていたことと、ギルドに対して締め付けを強くするのは、どうかと思いまして」


「確かにな。第3層には、ギルドの総本山がある。今、もめるのは得策ではないか……」


「はい。それに――――」


 シュバイセルの脳裏によぎったのは、1人の青年の姿だった。

 彼からすれば、単なる人族の冒険者だ。

 だが、妙な鍵魔法だけは気になった。


 鍵魔法は初歩の初歩だ。

 扉やあるいは宝箱の開け閉めする程度の魔法である。

 だから魔法が使えなくなるような効果はないはずだ。


 まして神仙術を使えなくなることなど、ありえないことである。


「どうした? 何か気になることがあるのか?」


 ラバラケルは目を細める。

 先ほどまでの柔らかい表情が一変した。


 シュバイセルは迷う。

 報告するべきかしないべきか。

 普通であれば、一冒険者のことなど、統括の耳に入れる必要などないだろう。


 しかし、シュバイセルの勘がいつもと違う警告を発し続けていた。

 今ラバラケルとシュバイセルが、手がける計画の障害になりはしない。

 数秒という葛藤の間で、シュバイセルは答えを決めた。


「いえ。些細なことです」


「そうか。ところでシュバイセルよ。直接的にといったな? 間接的には何かあるのか?」


「はっ! それなのですが……。是非ラバラケル様にお見せしたいものがございます」


 シュバイセルは元来た道を戻る。

 ラバラケルを兵武省の玄関口にまで案内すると、まだ荷台に括られたままのオークを見せた。


「おお……。これはすごい!」


 さすがのラバラケルも瞠目した。

 自分よりも明らかに背丈の高い異形の魔物を見て、童心に帰ったようにはしゃいでいた。


「閣下は昔、見回り組の任務でダンジョンの魔物をバッタバッタと切り伏せたとか」


「おうよ。しかし、その時もここまで見事なオークには出くわさなかった」


「きっとラバラケル様に恐れを為して、土の中で怯えていたに違いありません」


「なるほど。かっかっかっ!!」


 ラバラケルは大口を開けて笑う。

 シュバイセルも釣られて笑った。

 馬鹿でかいオークを見て、ここまで機嫌を変える上司を嘲笑ったのである。


「――して? これをどうするのだ、シュバイセル?」


「“おおきみ”に見ていただこうかと……」


 その瞬間、ラバラケルが目を細めた。


「ほう? 今度は“おおきみ”にまで取り入るつもりか?」


 シュバイセルは一瞬言葉に詰まる。

 背中に泡のように汗が噴き出した。


 1度喉を鳴らし、調子を整える。


「決してそのようなことは……。このオークはラバラケル様に差し上げます故、後はなんなりと……」


「そうか。すまんな。では、俺から“おおきみ”に献上するとしよう。これは良いご機嫌取りになりそうだ。最近、向こうはゴタヽヽヽヽヽヽついているよヽヽヽヽヽヽうだからなヽヽヽヽヽ


「それがよろしいかと。“おおきみ”もお喜びになると存じます」


 シュバイセルは深々と頭を下げた。


「よし。しばらく兵武省の倉庫に置いておけ。近いうちに“おおきみ”にご覧いただく。宮内省にはそのように連絡をしておけ。良いな、シュバイセル」


「ご随に従います」


「がっはっはっはっ……。しかし良いものを手に入れた。“おおきみ”に見ていただいた後は、俺の家の庭に飾ってやろうか。よくやった、シュバイセル」


 ポンと肩を叩くと、ラバラケルは上機嫌のまま兵武省の方へと引き返していった。


 それを見送った後、シュバイセルはチッと舌打ちする。

 先ほど叩かれた肩をパンと叩いた。


「宮廷にはびこる醜い大猿め……。ふん。今だけだ。今だけ粋がっていろ」



 ドクンッ!!



 シュバイセルは固まった。

 瞼を大きく広げる。

 直後、反射的にその場から引き下がった。

 正確に言うならば、オークから距離を取ったのだ。


「今のはなんだ?」


 まるで心臓の音のようだった。

 だが、そこにいたのは物言わぬ骸となったはずのオークである。


「気の……せいか…………? 少々疲れているのかもしれぬ」


 シュバイセルは目頭を押さえる。


 けれど、どれだけ瞼を押さえても、その裏に現れるのは鍵師と名乗った青年の姿だ。


 ユーリ・キーデンス……。

 やはり気になる存在であった。


「誰か……」


 人を呼び、シュバイセルもまた兵武省の中へと戻っていった。



~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~


気付いても、もう遅い。


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とってもシュバイセルが喜ぶと思います。よろしくお願いします。

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