第68話 子は親に帰る
オルロは僕が差し出した手を握り、立ち上がる。
こうして改めて目の前にすると、その背の高さに気付く。
胸板も厚く、未だに鍛錬を続けているのだろう。
そんなオルロは僕を見下ろし、こう言った。
「勝者も敗者もない。確かに――――。何も決めてなかったわ。こりゃ1本取られた」
かっかっかっ……。
快活な笑いを道場に響かせ、戒めるように後頭部を叩く。
僕は呆気に取られながら、その姿を見ていた。
すると、道場の引き戸が引かれる。
現れたのは、ロザンナさんだ。
きちんと指を衝いて、深々と頭を下げた。
「お風呂の用意が出来ております」
「応! それは何よりだ。ロザンナ、喜べ。アストリアは、なかなか傑物を連れてきたぞ」
「それはようございました」
ロザンナさんの顔がほころぶ。
ここに来て、初めて笑顔を見たかもしれない。
アストリアが実家に帰った時は、顔色1つ変えなかったのに。
「儂から1本取りおった。ま、儂の不覚ではあったが、この小僧は自分の力を隠しての勝利じゃ。天晴れと言わざる得ないだろう」
バンバンと僕の肩を叩く。
い、痛い……。
「何より純真でありながら、詰まっているのは硝子ではなく金剛石よ。技も体も、未熟だが、心に関しては信用して良い。アストリアはいい婿を拾ってきたわ」
「む、婿ぉぉぉぉおおおおお!」
思わず絶叫してしまった。
心臓が跳ね上がり、そのまま喉からせり上がってきそうだ。
何? 何?
どういう展開?
いきなり襲いかかってきたり、挑発してきたり。
今度は婿?
わけがわからないよ。
「なんじゃ? アストリアをもらいに来たのではないのか? まさか小僧……。アストリアがあまりに可愛いから、身体――――」
違う!
絶対、違う。
そんなわけがない。
ていうか、怖い。
オルロの顔がすごく怖い。
目線がキツい。
僕はなんとか落ち着きを取り戻そうと、1度深呼吸する。
そして改まってこう言った。
「えっと……。アストリアはもらう
僕の発言に、オルロもロザンナさんも眉宇をかすかに動かす。
しかし僕の言葉を遮ることなく、僕もまた話を続けた。
「僕には僕の考えがあるように、アストリアにはアストリアの考えがあります。それに彼女には、僕以上に強い覚悟がある。第9層へ向かい、仲間を救出するという覚悟が……」
「仲間を……?」
オルロはロザンナさんの方を見る。
ロザンナさんは首を振った。
どうやら、アストリアが置かれている状況を知らないらしい。
「小僧……いや、ユーリ君。すまないが、君が知る限りのアストリアを、我々に教えてくれないかね」
「では、本人から聞けば……」
「おそらくあの子は話さないでしょう」
ロザンナさんが口を開く。
その言葉にオルロも頷いた。
「アストリアが冒険者になると言いだした時、我々は強く反対した。冒険者は危険な職業だ。経済的にも安定しているとは言い難い。人の親として、儂とロザンナは心配し、反対した」
「けれど、あの子は冒険者を選びました。おそらくアストリアはこの古く、しきたりの多い家を息苦しく感じていたのでしょう。それに気付いた時には、もうあの子が出ていった後でした……」
「親として情けない話だが、あの子は我らに奇襲するように家に帰ってきた。戸惑っているのだよ。儂らは何を話せばいいのか……」
と、戸惑っていたのか。
オルロはともかく、ロザンナさんなんて顔色1つ変えていなかったのに。
全くそうは見えなかったけど、まあ困っているのはわかる。
「わかりました。僕が出会った時からで良ければ」
そして僕はアストリアとの出会いを話した。
道場の床に座り、1時間ほどかけて話す。
もちろん、魔王についての話は極力省いた。
だが、1番2人の関心を引いたのは、『
そして呪いの仮面を付けて、極貧生活を余儀なくされていた娘の姿だ。
「そんなことが……」
オルロは髭を撫でる。
ロザンナさんは顔を青くして、絶句していた。
そして2人は僕の前で正座する。
指を衝いた深々と頭を下げた。
「ユーリさん、娘を助けてくれてありがとうございます」
ロザンナさんは声を震わせる。
その瞳にはやんわりと涙が滲んでいた。
それを袖の下に隠したが、ハラハラと服に落ちていくのが見える。
なんだ。
冷たい人なのかなって思ったけど、そんなことはない。
アストリアとそっくりで、泣き虫なんだ。
ロザンナさんも。
「儂からも礼を言う。ありがとう、ユーリ殿。そして、これからもアストリアを支えてやってくれ」
「勿論です。……それは冒険者を続けていいということですか?」
僕の質問にオルロは、首を振る。
「そもそも儂らの許可などいらなかったのだ。君の指摘通り、儂らは娘を物扱いしておったかもしれぬ。だから、これからは1人の人間として接することにする。冒険者として、アストリアが為したいことがあれば、それも良かろう。むろん、これは放任という意味ではない。親として子に間違いがあれば叱り、大義を為せば褒める。これは必定だ」
「わかりました」
――だ、そうですよ、アストリア。
僕は声を道場に響かせた。
立ち上がって、道場の格子窓の外は覗く。
すでに外は夜だ。
月も星もない第2層の夜空の下で、声を殺して蹲っている人がいた。
アストリアだ。
「アストリアのご両親はとてもいい人ですね。まあ、いきなり打ちかかってきた時は、さすがに驚きましたけど」
僕はニコリと笑う。
アストリアは何度も涙を拭ったが、それでも拭ききれない涙が、買ってきた料理の具材に落ちた。
どうやら今日の夕食は少し塩辛いかもしれない。
「アストリア、1人の女性として見てくれるそうです。だから、アストリアもご両親の娘として、人間として、きちんと筋は通しませんか?」
「ああ。そうだな……」
蹲っていたアストリアは、僕の声を聞いてようやく立ち上がる。
道場の引き戸を開けて、入ってくると、膝を突き正座を取った。
「お父様……。お母様……。ご心配をおかけし申し訳ありませんでした」
アストリアは指を衝き、頭を下げる。
美しい銀髪が震えていた。
「私たちの方こそごめんなさい」
ロザンナさんがアストリアを抱きしめる。
そこにオルロの大きな身体が、2人を包み込んだ。
「よく戻ってきた。我が娘アストリア」
オルロも堪えきれなかったらしい。
うおおおおおお、と声を上げて泣いていた。
親子揃って泣いている。
その姿を見て、僕も少し泣いてしまった。
~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~
次回、シュバイセルさんのその後です。
お楽しみに。
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