第29話 天翼族の姫
「ひぃっ! ひぃいぃぃいいぃぃぃいぃ!!」
情けない悲鳴が王宮の地下に響き渡る。
声の主はゲヴァルドだ。
屋敷で隠棲していた彼は、寝間着のまま地獄に放り出されていた。
四方のどこを見ても、あの黒い塊だらけだ。
以前、近衛たちが積み上げた土嚢の壁がすっかり取り払われている。
扉も開ききってはいないものの、得体の知れない黒い塊を吐き出し続けていた。
近衛たちが懸命に戦い、その塊を排除している。
前回戦った者よりも一回り大きい。
相変わらず脆いものの、身体に感じる圧迫感はまるで違う。
新米の鍵師で、実は小心者のゲヴァルドが、尻餅をつくのは目に見えていた。
前回こっぴどくやられたことも、未だにトラウマとして残っているのだろう。
それでも、彼の頭上から落雷のように叱咤する声が聞こえる。
「鍵魔法をかけ続けろ、ゲヴァルド!!」
声を張ったのは、『姫勇者』エイリナである。
彼女自身も鍵魔法を使い、扉を抑えるとともに、周りの黒い塊を切り裂いていた。
ゲヴァルドを無理矢理地下に連れてきたのも、彼女だ。
ユーリがいない以上、宮廷で鍵魔法を収めているのは、エイリナとゲヴァルドのみ。
民間に問い合わせれば、もっと多くの鍵師を揃えることができるかもしれないが、魔王が復活するかもしれない大事を、国民の前にさらすことはできない。
そのゲヴァルドが震える手を1度ギュッと握り、魔力を捻り出す。
ぽう、と光が一瞬灯ったが、すぐに消えてしまった。
「ま、魔力が…………」
「なら魔力を回復させろ!」
「え? あんな苦い薬飲めねぇよ!!」
「……誰か、こいつの口に魔力回復薬を突っ込んで上げなさい!!」
「あ、ちょっ!! お前ら、何をする? 無礼だぞ!!」
集まってきたのは、近衛たちだ。
3人で取り囲むと、1人が羽交い締めにし、1人が無理矢理口を開けさせ、1人が魔力回復薬を流し込む。
「ごぼぼぼぼぼぼ……。ぶへぇ!!」
吐き出しそうになったが、今度は口を塞ぐ。
鼻の穴までつまされ、もはや飲み込むしかしかない。
「げえぇぇえぇえぇぇええ!」
轢殺された蛙みたいな声を上げる。
吐き出そうとしたが、すでに喉を通り難しい。
口内に残ったのは、あの苦い味だけだ。
「てめぇら、覚えておけよ」
「黙れ、ゲヴァルド! さあ、回復できただろ? 早く鍵魔法をかけろ」
エイリナは容赦がない。
ゲヴァルドに剣を向けて脅す。
その目はすでに据わっていた。
少しでも気に障るような言動をすれば、たちまち胴から首が離れる。
そんな想起が、容易に考えられた。
「くそっ!」
ゲヴァルドは仕方なく手を掲げた。
魔力は回復したが、すでに精神力は限界だ。
魔法には高い集中力が必要になる。
故に、脳のダメージもでかい。
このままでは焼け切れそうだ。
一方、ゲヴァルドの戦線復帰で盛り返すかといえば、そうではない。
精々焼け石に垂らす水よりは、マシという程度だ。
扉に変化はなく、漏れる闇の中から黒い塊が生まれ、周囲の生命を貪った。
「まずい……」
戦線は膠着どころか、悪くなる一方だ。
エイリナが撤退を考えた時、その声は戦場において清らかに響き渡った。
【
その瞬間、全く動かなかった扉が閉まり始める。
ギギギギッ、と歯ぎしりにも似た音を響かせた。
開放された力は圧倒的で、一気に扉は閉まってしまう。
扉が完全にしまったことによって、戦場だった地下は一瞬水を打ったように静まり返った。
『姫勇者』と呼ばれるエイリナですら、圧巻の光景に声を失う。
だが、すぐに我に返って、残った黒い塊を討ち払った。
絶望的だった戦況は一変する。
終わりが見えたことを敏感に感じた近衛の士気は、否応にも上がり、次々と黒い塊を撃破していく。
そこにもうエイリナの援助は必要なかった。
横のゲヴァルドも「ふう」と汗を拭いて、その場に尻をつけた。
「間に合ったようですね」
エイリナに近づく人影があった。
いや、人というには、ややシルエットが異なっている。
背中に天使を彷彿させるような翼を広げ、やってきたのは天翼族の女性だった。
エイリナはその顔を見て、ようやくホッと息を吐く。
「助かったわ、
笑顔を見せる。
すると、ルナと呼ばれた天翼族もまた微笑んだ。
「到着が遅くなってすみません。魔力溜まりで魔力を補充していたら、トラブルに遭ってしまって」
「トラブル?」
「まあ、それは追々お話ししましょう。ところで、そこにいる方は……」
ルナは横を向く。
そこにいたのは、涙と、鼻水と、涎を垂らしたゲヴァルドだった。
「彼は内大臣の息子で、ここの鍵師よ」
「まあ、そうですか。その割には無様な手並みでしたね――――あっ」
つい――という感じで、ルナは口に手を添える。
エイリナは咎めることなく笑い、ゲヴァルドもまた言い返すことはない。
ルナは改まると、着替えた真っ白な導師服の裾を掴む。
「援助の申し出により、参上しました。天球城パラスヴィアの女王の娘――ルナミルと申します」
第7層の姫は優雅に挨拶をするのだった。
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ルナミル様は、お口が悪いようですw
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