第8話 上層の星の下で
「寒い……」
深夜――。
ふと目が覚めた。
ベッドが足りず、仕方なく床で寝ていた僕は顔を上げる。
窓が開いていた。
戸締まりはしっかりしたはずだ。
僕は首を傾げながら、外の様子を伺う。
屋根の方を見ると、長い銀髪がなびいているのが見えた。
「アストリアさん?」
僕は雨樋を伝い、屋根に登る。
やはり屋根の上に、銀髪を抑えるアストリアさんの姿があった。
「ユーリ君……?」
アストリアさんはこちらを向く。
僕はちょっと目のやり場に困った。
今、アストリアさんは宿屋の女将さんから借りた大きめのシャツに、ショートパンツという出で立ちだったからだ。
2度も裸を目撃している僕としては、その程度の刺激なんでもないように思えるかもしれないが、これはこれで際どかった。
けれど、アストリアさんは気にした様子はない。
こっちに来て、座りたまえ、とばかりに屋根を叩いた。
まあ、恥ずかしがりながらも僕は座ったんだけどね。
「起こしてしまったかな?」
「窓が開いていたので、物取りかどうか気になっただけです。……アストリアさんは?」
「星を見たかった……」
「星?」
アストリアさんは顔を上げる。
砂糖粒をまぶしたような星々が、夜空いっぱいに広がっていた。
「星を見たのは久しぶりだ」
「そう言えば、第2層以降は星が見えないんでしたっけ?」
「ああ……。どういう原理かいまだ不明だが、太陽の光は当たるのに、いまだに星が見えない。だから、下層に潜ると星を無性に見たくなる」
「そんな……もの…………ですか……」
なんだか不思議だ。
宮廷鍵師をしていた頃、こうして空を眺めることもなかった。
鍵師の仕事に疲れ果て、屋敷と宮廷の往復しかしていなかったからだ。
でも、僕は星を見たいとは思わなかった。
そんな余裕すらなかったのだろう。
アストリアさんはS級冒険者だ。
きっと僕よりも過酷な環境下に身を置いていたはず。
それでも星を見たいと思えるのは、きっとそれが彼女の強さなのだろう、と僕は勝手に解釈した。
「君は冒険者のことをどれぐらい知っている?」
「一般的な知識ぐらいしか……」
「なら『
「ああ……。名前ぐらいなら。世界最強の冒険者パーティーですよね。全員S級冒険者で、それぞれ聖剣所有者と聞いています」
「私はその『
「え? めちゃくちゃエリートじゃないですか!! でも、
「『
「裏切り……。第9層で?」
「我々は呪いの武具を付けさせられ、殺し合いを強要された。だが、私は奇しくも『ウィンドホーン』に落ちて、難を逃れた。でも、仲間は第9層に残ったままだ」
その時初めてアストリアさんの顔が歪む。
きっと僕は、その顔を生涯忘れることができないだろう。
心の痛みに耐えているような苦悶の表情。
声も出していないのに、アストリアさんの悲鳴のようなものが聞こえた気がした。
「仲間を助けに行くために、もう1度ダンジョンに?」
「ああ……」
「何故、僕なんですか?」
「あの呪いの仮面を外すことができた唯一の人間だからだ。あれは私が所持していた聖剣エアリーズでさえ斬ることができなかった。君の鍵魔法は、聖剣以上の効果を発揮したことになる」
「そんなこと――――」
「謙遜する必要はない。事実だ。君の鍵魔法は、聖剣以上の価値がある。そう思ったから、スカウトとした。それにだ――――」
「まだ何か?」
「君自身も強さだ。父上を亡くし、職を失っても、家族を守ろうとしている。やろうと思ってできることじゃない。私は君のそんな強さに惹かれたんだ」
「惹かれた……」
カッと顔が熱くなるのを感じた。
僕の反応を見て気付いたのか。
アストリアさんも、頬を赤くする。
「べ、べべべ別に君の好意があるとかそういうことを言ってるんじゃないんだ。それじゃあスカウトじゃなくて、まるでナンパ…………いや、この場合逆ナンというのか。私はよく知らないが、だからそのぉ……」
これまでどこか年上の余裕のようなものを見せつつ語っていたアストリアさんが、急に女の子らしくなり縮こまった。
大きめのシャツ姿の彼女は、三角座りをした足を引き寄せ、僕をうかがうようにチラリと視線を向ける。
なんかこの反応からして、アストリアさんってあまり年が変わらないんじゃないだろうか。
だとしたら、僕なんかよりずっと強い。
周りからS級冒険者と認められて……。
第9層まで下りて……。
何より誰も頼る当てがないまま、仲間を助けに行こうとしている。
アストリアさんにとって、仲間は家族も同然だったのだろう。
今すぐにでも飛び出し、ダンジョンに行きたいはずだ。
なのに、アストリアさんは足を止めて、僕に手を差し伸べている。
それだけ僕は、アストリアさんにとって価値ある人間なのだろう。
思えば、宮廷の中で当たり前のように存在していた鍵師の僕は、誰かから求められたことは1度もなかった。
魔王の封印も代々やってきた仕事だから、当然のようにそうしてきた。
僕が選ぶことも、選ばれることもしてこなかった。
だけど、今初めて僕の力を必要としてくれる人がいる。
仲間を助けようと、僕以上に絶望の淵に立たされた少女がいる。
なら、僕もまた選択すべきじゃないだろうか。
「アストリアさん、…………なります」
「え?」
「僕、冒険者になります。一緒にアストリアさんの仲間を助けに行きましょう」
「本当か、ユーリ君?」
「はい。不束者ですが、よろしくお願いします」
僕は頭を下げる。
アストリアさんも正座をすると、僕に頭を下げた。
「それは私の台詞だ。ありがとう! ユーリ君」
綺麗な緑色の瞳から涙が溢れる。
アストリアさんは泣いていた。
嬉しいのか。
それとも本当は心細かったのかわからない。
けれど、星空の下で輝く彼女の涙は、とても美しかった。
「綺麗だな……」
思わず呟いてしまう。
アストリアさんは涙を拭いながら笑った。
「また言った……」
「え?」
「覚えていないだろうか。最初に会った時、君が言ったんだ」
「あ……」
『綺麗だ……』
僕は呪いの仮面を壊した直後のことを思い出す。
「いきなりあんなことを言い出すから、びっくりして逃げてしまった」
「え? そ、それで逃げたんですか?」
思わぬ真相の解明に、僕の方がビックリした。
すると、アストリアさんは僕の方に手を差し出す。
あの路地裏で差し出された手と同じものだった。
「よろしく頼む、ユーリ君」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、アストリアさん」
満天の星空の下で、僕たちは共に下層へと向かうことを誓うのだった。
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