第4話
「はい、はい……すみませんが……はい、熱がかなり高くて……はい、本日はお休みを……」
視界が陽炎のようにぼやける。分厚い布団の中にいるのに、悪寒が体を震えさせる。
「あっ、私ですか? ……宮部の姉です」
ぼやける意識の中でも、リビングから聞こえる流花ちゃんの声ははっきりとわかった。
もう、そんな嘘吐いて……。……琉花ちゃんは妹っぽいのに。
「宮部、会社には電話しておいたから。今日はゆっくり休もうね」
ドアが開くと琉花ちゃんが入ってきて、優しい笑みでそう言ってくれた。
「うん」
親にも胸を張って誇れる会社に入って八ヶ月。まさかこの私が体調を崩すとは……。琉花ちゃんパワーでどんなことでもどうにかなると過信してしまった。大学生の時が忙しさのピークだと思っていたのが恥ずかしい。
まさかこんなにも追い詰められていたとは……。
「……ありがとう、流花ちゃん」
琉花ちゃんは何も言わずに手を握ったまま、私の頭を撫でてくれる。
本当に私は……いつも大事なところでこうだ。せっかく……せっかく……
「せっかくのクリスマスなのに、ごめんね」
「気にしないの。宮部が傍にいてくれるだけで嬉しいよ」
今日は私が就職してから初めてのクリスマスなのに……。仕事が終わったら……ささやかなパーティーを二人で開いて……それから……ちゃんと……プロポーズしようと思っていたのに。
「宮部、どこがつらい? 食欲はどう? 氷枕変える?」
「大丈夫だよ。琉花ちゃん……その、嬉しいけど、風邪移っちゃうから……」
甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれようとする琉花ちゃんへ断腸の思いでそう言い、私の方から手を離すと――
「……わかった」
――琉花ちゃんの冷たくて美しい手が、私を解放した。
「なにかあったらすぐ呼んでね」
そして愛おしい人は、あっさりと部屋から出ていってしまう。
ああ、強がらなければ良かった。
寂しい。一人にしないで欲しい。
琉花ちゃんと離れただけだというのに、急激に具合が悪くなった。
寒い。暑い。頭が痛い。気持ちが悪い。
眠れ。
眠ってしまえ。寝ればなんとかなるだろう。
早く治さないと……私は……琉花ちゃんを養うって決めたんだから……!
×
「ひゃっ…………」
私はいつもこうだ。失敗しちゃいけない肝心なところでいつもミスをする。
高校受験の当日。単語帳に齧り付いていたせいで足元が見えず、踏み固められた雪に滑って尻餅をついてしまった。
手放した単語帳同様、スカートにも溶け出した雪水がグングンと染み込んできて、押し出されるように涙が溢れてくる。
「ぷっ……あはは」
と、心が黒く染まりそうになった瞬間、私の絶望を虹色の笑い声に変えてくれた人がいた。
「いやごめんごめん、笑っちゃダメだったね。でもすっごい豪快に転んだから」
その子は転がった単語帳を拾い上げると、今度は尻もちをついたままの私に手を伸ばしてくれる。
「おかげで緊張解けたよ。立てる? 痛いところはない?」
「……えっと、はい」
「じゃあほら、一緒に行こ? もーほら、こんなに単語帳使い古してるなら大丈夫。暗い顔しないで」
「……あ、あの、手は……」
「こうやって繋いどいたら、次どっちか転んでも大丈夫でしょ? それとも嫌?」
「嫌じゃないです! 全然!」
こうして私は、霧島琉花に恋をした。
あっという間の一目惚れ。一瞬で好きになったのに、別の教室に向かうまでずっと手を握ってくれていた琉花ちゃんに、秒速で好きが増幅していく。
「それじゃ、今度は入学式で会おうね」
「はいっ!」
そんな素敵過ぎる去り台詞は、入試で私の100%を引き出すカンフル剤となり、結局は主席合格へと導くことになる。
「やっぱり試験前に滑っといたのが効いたんだね」
「きっかけはそうかも。だけど入試で頑張れたのは霧島さんが声を掛けてくれたおかげだよ」
「またまた~。宮部ってホント人当たり良いよね。人気出るのもわかる」
自称ドベ入学を語る琉花ちゃんと同じクラスになり、数多の部活勧誘を断って琉花ちゃんが作った料理同好会に入り、一緒にいられる時間をなるべく作った。
全ては琉花ちゃんに振り向いてもらうために。
友達以上の、存在になるために。
……まぁ鬱陶しくも他の人から何度か声を掛けられてしまうことになったけど……。
でも結果オーライ! 努力したおかげで私は琉花ちゃんと甘々デイズを過ごすことができてるんだから!
そうだ……私が志望する会社に就職できたのだって、全部琉花ちゃんのおかげなんだ。
×
「宮部……ほら、起きて、今日は最終面接でしょ」
起こしに来てくれたエプロン姿の琉花ちゃんを、捕食するカメレオンのように捕獲しベッドの中に引きずり込む。
「みーやーべー」
無言と抱擁で返していると、突然、頭頂部に優しい感触……!
「っ? 何で? 何で今撫でてくれたの!?」
「えっなんか……赤ちゃんみたいだったから」
「もっと撫でて!」
微睡んでいた意識が一瞬で覚醒した。
「私、流花ちゃんが思ってる以上に赤ちゃんだから!!」
「こんな圧の強い赤ちゃんいないと思うけど……」
「赤ちゃんって言うのは圧が強くなくちゃ生きていけないんです!」
「はいはい。それだけ元気ならママは安心でちゅよ~。早く起きてくだちゃいね~」
私の手を引き剥がして布団からの脱出を図る琉花ちゃんの……腰へ……ふふふ……。
「んっ、やだ、宮部! まだ朝ですけど!?」
「なんかその……ママとか言っちゃう琉花ちゃんの……全部がえっちなので……止まれません」
「だ……だめ! 今日はダメ! 最終面接なんだから!」
いつもだったら直接肌が触れたあたりで折れて抵抗しなくなる琉花ちゃんが、今日は私を完全に制し、そそくさと部屋を出ていってしまう。
「うぅ~! 最終面接なのに~!」
ベッドの上から、部屋の外へ聞こえるように批難の声を叫ぶも、帰ってきたのは宥めるように優しい声音だけ。
「宮部が緊張してるのわかるよ。不安で布団から出たくないのもわかる。だけど今日で終わりじゃん。宮部の頑張りが報われる日なんだよ。頑張ろうよ」
「……頑張ったらご褒美くれる?」
「当たり前じゃん」
「内定もらえなくても?」
「頑張ったで賞がちゃんとあるから」
「どんな?」
「えぇと……割と高めの入浴剤使ったお風呂と、美味しいご飯……良いお酒もそれに合うおつまみも用意する!」
ふふ、あんまり深くは考えてなかったな。慌てた声の返事に頬が緩む。
「可愛い同居人の独占権はー?」
「……あ、あるに決まってるでしょ。その同居人が、とびっきりの祝勝会しようって言ってんの」
「あはは、それじゃ絶対に内定もらわなくちゃね」
じんわりと琉花ちゃんの気遣いが効いてきて、体中に力が漲ってくる。布団を蹴っ飛ばして立ち上がり、大きく背伸びをした。
「落ちないよ」
すると、エプロン姿の琉花ちゃんが再び部屋に入ってきて、彼女らしい、強く凛とした笑みで言う。
「宮部はこの三年間、ううん、出会った頃から……誰よりも努力してきてるの、私は知ってるから。絶対に落ちないって確信してる。だからリラックスして」
「じゃあ、琉花ちゃんの確信を嘘にしないためにも、頑張らなくっちゃね」
長かった就活も今日で一段落……できるかもしれないと考えただけで、じんわりと手汗が浮かぶほど緊張してきた。
そんな私の感情を読み取ったかのように、彼女は私の両手をとる。
「入試の時みたいに会場まで手ぇ繋いであげよっか?」
「魅力的な提案だけど、琉花ちゃんにはお留守番っていう何よりも大事な使命があるからね」
からかうように笑っていた琉花ちゃんが「むぐぅ……」と表情を変えもがく程きつく抱きしめた。
「あの頃よりかは、ちょっとばかし成長したところを見せてあげる」
「わかった、わかったから……離して宮部ぇ~」
念入りに琉花ちゃんチャージを済まし、私の好きなメニューばかりの朝食を食べ、少し長いキスをして出発。
そして私は、その年の入社組ではたった一人、激務と優秀な人が集まることで有名な人事管理部へと配属された。
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