第19話 魔導書

「若旦那さん、これは売れますよ」


「私にも是非売ってください」


 既に試飲の域を超えて飲んでいる商人たちが景気よく購入を申し出だした。

 リネットさんもかなり飲んでいた。


「どれも美味しいですねー」


 頬を染めて艶っぽい声で話しかける。

 この人の場合、どこまでが演技でどこまでが本当なのか判断が難しいんだよなー。


「気に入って頂けて何よりです」


「お酒だけじゃなくて、ダイチさんのことも気に入っちゃたわー」


「大勢の人が見ているんです。冗談はやめてください」


 その他大勢なんてどうでもいい。


 アリシアが頬を引きつらせてこちらを見ている。

 いい加減に離れてくれ。


「照れちゃってー、可愛いー」


「商談をしたいので少し離れて頂けますか」


 リネットさんのはだけた胸元をガン見しているおっさんをダシにリネットさんを押しやった。


「商談ならあたしが先でしょう」


 そう言うと最初に飲んだウィスキーと赤ワインを十本ずつ仕入れたいと口にしてしな垂れかかる。


「十本ずつですね、承知しました」


 しな垂れかかるリネットさんをあしらいかねていると、突然、反対側の腕を強く引かれた。


「え!」


「キャッ」


 リネットさんがバランスを崩して地面にへたり込む。


「あらー、大分酔っているようですね。商品の受け渡しは明日の朝にして今日のところはお休みになっては如何ですか?」


 腕を引いたのはアリシアだった。

 俺と身体を入れ替える位置に立つと、しゃがみ込んでいるリネットさんを引きつった笑顔で見下ろした。


 リネットさんの方も負けていない。


「小娘がやってくれるじゃないの」


 とつぶやきながら立ち上がる。

 先ほどまでの足下の覚束ない様子はない。


 やっぱり酔ったのは演技だったか。


「何でしょうか、おばさん」


「おば……!」


 酒を選んだのは間違いだったかも知れない。

 思わず天を仰ぐ。


「随分と賑やかですね」


 そのとき、試飲をする人たちの向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。


 人混みの間を起用にすり抜けてくるのは燃えるような赤毛の少女と若草色の髪の少女。

 レイチェルとノエルだった。


「二人ともどうしたんだ?」


「どうしたのですか?」


 思わぬ援軍に心の重荷が少し軽くなった。

 アリシアも二人が現れたことで気が削がれたのか、いつもの穏やかな表情に変わる。


「お店番を変わりますよ」


 とレイチェル。


「アサクラ様とアリシア様も他の方たちの商品を見てこられては如何ですか? ここは私とレイチェルとで見ていますから」


 ノエルが続いた。


「どうする?」


「そうですね、せっかくですからお言葉に甘えさせてもらいましょうか」


 俺の中でここに残ってリネットさんの相手をするという選択肢は消えていた。

 何か言いたげなリネットさんの方は振り向かずにレイチェルとノエルに店番の説明をする。


「瓶にお酒の名前と値段が書いた紙が貼ってあるから、仕入れたいという人がいたら価格を伝えて欲しい数だけメモを残しておいてくれるかな」


 代金は商品と引き換えに後で受け取るから、と伝えた。

 酔った相手と代金のやり取りをするのはトラブルのもとだし、彼女たちにしても金銭の取り扱いをしないで済む方が気が楽だろう。


 二人に任せて他の商人のところへ向かおうとしたときメリッサちゃんが声を掛けてきた。


「アサクラ様、ちょっと珍しい商品を扱っている方がいたのでお連れしました」


 彼女の傍らには何冊もの書物を抱えた中年の男性がいた。

 彼が抱えていたのは魔導書だった。


 中年男性が荷物の整理をしているところに通りかかったメリッサちゃんが、見覚えのない魔導書を何冊か見かけてここへ引っ張ってきたのである。


「魔導書ですか?」


 アリシアが真っ先に興味を示した。


「魔導書?」


「魔法の専門書のことです」


 錬金術や付与魔術、精霊魔法などについて書かれているものもあるのだ、とアリシアが付け加えた。


「これはアサクラ様が得意な無属性魔法について書かれたものです」


 メリッサちゃんが古びた書物を俺に差しだして言う。


「先ほど少し読ませて頂きましたが、魔装についてかなり詳しく書かれていましたし、考察もこれまで聞いたこともない切り口でした」


 俺自身が使う無属性魔法とニケが使う精霊魔法に関する資料は是非とも欲しいところだ。


「重いでしょう、一先ずこちらに置いてください」


 アリシアがテーブルの一画にスペースを作った。


「ありがとうございます」


「随分とたくさん持ってこられたのですね」


 中年の男性は顔を赤くするとしどろもどろになりながら、ここへ持ってきた魔導書が一部分でしかないことを告げた。


「魔導書だけじゃなく、他国の文化や食べ物について書かれた本もあるんですよ」


 メリッサちゃんがテーブルの上に置かれた本の中から目的の本を探し出そうと選り分ける。


 不意に一冊の本に目が留まった。

 黒字に金文字でタイトルが書かれた派手な装丁の本だ。


「これも無属性魔法の魔導書だな」


 本のタイトルである『無属性魔法を使った遠距離攻撃』を読み上げた。


「え!」


「それって……」


 アリシアとメリッサちゃんが驚きの声を上げた。


「アリシアでも知らない情報だったのか」


 目を上げると二人だけでなく、レイチェルとノエルも目を見開いていた。

 改めて周りを見ると周囲の人たちも驚きの表情をしている。


「アサクラ様、この本に何が書いてあるか分かりますか?」


 メリッサちゃんが一冊の本を差しだす。


「神話のなかの魔法体系と現代の魔法体系の相違」


 俺はそのタイトルを読み上げた。


「じゃ、これは?」


「祖母から孫へ伝えたい水魔法のコツ」


 周囲からどよめきが上がり、メリッサちゃんとアリシアから表情が消えた。


「アサクラ様は何カ国語ができるんですか……?」


 しまった!

 単に転移した先の国の文字や言語が理解できるだけだと思っていたが、もしかしてこの世界全ての文字や言語ができるのかも知れない。


「えーと、二十カ国語くらいは読み書きできると思いますよ」


 ここで過少申告しない方が後々のためだろう。


「ダイチさん、こちらは何と書いてありますか?」


「精霊魔法の付与魔法への応用」


 本を手にしたアリシアの目が大きく見開かれた。


「これ、古代ノルト王国の写本です」


 不味いのか?

 やっちまったのか?


「古代ノルト王国って?」


「いまから七百年以上前に滅んだ魔法大国です」


 メリッサちゃんの冷静な声が妙に耳に響いた。

 それとは正反対にアリシアが誇らしげに破顔する。


「古代ノルト語の解読は王都の魔法大学で専門チームを組んで解読にあたっている言語です。それが読めるなんてダイチさんは博学ですね」


 ちょっとずれている娘で助かった。


「俺の故郷では解読が終わっていたようで、普通に翻訳された本が出回っていたな、確か」


 苦しい、苦しい言い訳だ。


「珍しい家名と容貌だと思っていたけど、もしかして旦那の祖先は別の大陸から渡ってきたんですか?」


「旦那の故郷は無属性魔法がよっぽど発達しているんですね」


「なるほど! あの凄まじい無属性魔法も別大陸の魔法知識があるからか!」


 助かった。

 何人かが納得の声を上げると酒の勢いも手伝って口々に納得の表情を見せている。


「これはどんなことが書いてあるんですか?」


 アリシアが興奮気味に目次を開く。

 未解読の古代ノルト語の魔導書。


 それも、精霊魔法の付与魔法への応用が書かれたものだ。

 アリシアとしては是が非でも知りたい知識だろう。


「あとでゆっくり目を通したいな」


 彼女の気持ちは分かるがそれは後回しだ。

 取り敢えずこの場を離れたい。


「アサクラ様の故郷はどちらですか?」


 本の束を抱えてきた中年の男性が聞いた。


「申し訳ありませんが、その辺りのことはお話しできません」


「そうですか……」


 残念そうな表情。

 何を残念がっているのか聞きたいような聞きたくないような……。


「取り敢えず、この本と他にも何冊か買わせて頂きたいのですが構いませんか?」


「え? ええ」


 俺は十数冊の魔導書を買い取り、アリシアと一緒にテントへと向かう。

 すぐ後ろをメリッサちゃんが追ってきていた。


 色々と問い詰められるんだろうな……。

 俺は言い訳を考えながらテントへと駆け込んだ。

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