第10話 ガラス

「待て! 早まるな!」


 クラウス商会長が叫んだ。


 何だ!

 突然の取り乱しように俺も呆気にとられる。そのとき、銀色の輝きが突然視界に現れた。


 やいばだ。

 気が付くと俺の首筋に刃があてられていた。


 え?

 何が起きたんだ?


「何も問題は起きていない。私が勝手に取り乱しただけだ」


 蒼白な顔のクラウス商会長。

 俺の首筋から剣が静かに離れる。


 振り向くと彼女が長剣をさやに収めるところだった。


「失礼いたしました」


「アサクラ殿、申し訳なかった」


 カリーナに続きクラウス商会長が深々と頭を下げる。


 そこで初めて何が起きたのか理解した。

 俺がクラウス会長に危害を加えたと勘違いしたカリーナがテントに飛び込んで来たのだ。


『ただし、あたしから一メートル以上離れないこと』



 カリーナの涼やかな声と可愛らしい笑顔が蘇る。

 何が一メートルだ。

 テントの外からここまで二メートルはあるぞ。


 それを一瞬で詰めた。

 しかも、カリーナがテントに飛び込んでくるのにまったく気付かなかった……。


「護衛の仕事の最優先は私の身の安全の確保なのだよ。不用意に二人きりの状況を作ってしまった私の落ち度だ」


「お気になさらずに」


 不敵な笑みを浮かべて見せる。


「剣を突き付けられたというのに動じていないようだな」


「彼女がテントの外に控えているのは知っていましたから」


 本当は何が起きてたのか分からなかっただけなのだが、そんなことはおくびにもださない。


「それだけ落ち着いているなら、話を続けても大丈夫そうだな」


「カリーナさんも同席させてはどうでしょう」


 俺はガラス細工の置物を視線で示した。

 知られたのだから釘を刺しておいた方がいいのでは? とクラウス商会長に無言で問いかける。


「うん……」


「その方が彼女も安心でしょう」


 何よりも俺が安心できる。次に飛び込んで来たとき、剣が振り抜かれないという保証はない。

 俺はビビッていることを気取けどられないよう、意識して落ち着いた口調で話す。


 クラウス商会長の視線がバラをかたどったガラス細工の置物をとらえ、すぐさまカリーナに向けられる。

 大きく見開かれた彼女の目はテーブルの上に釘付けとなっていた。


「君がそれでいいならそうさせてもらおう」


 クラウス商会長はここで見聞きしたことは他言しないようにとカリーナに強く念を押すと、彼女にこの場に残るようにと指示する。


「承知いたしました」


 カリーナが即答すると、クラウス商会長は脱力したかのような勢いで腰を降ろした。

 俺は間を置かずに話を再開する。。


「これはガラスの彫刻です。下手な宝石など足元にも及ばない価格で取引される高額な商品です」


 二人が息を飲む音がかすかに響く。


「……これがガラス!」


 クラウス会長の声が震える。

 ガラス細工の彫刻へと伸ばされた震える手が、それに触れる寸前で止まった。


「触って質感などご確認ください」


「そうだな、そうさせてもらおう」


 固唾かたずを飲むと俺に視線を戻すこともなくガラス細工の置物を手に取った。

 バラをかたどったガラスの花弁かべんが魔道具の灯りを反射して美しく輝く。


「素晴らしい……」


 まるで魅入られたような表情でつぶやいた。


 ◇


「これらがそうだ」


 バラを象ったガラス細工の置物のかたわらに置かれたのは、青色、赤色、黄色、緑色の五つのガラスコップ。

 しばしガラス細工の置物を堪能たんのうしたクラウス会長に、この大陸でも高品質の部類に入るガラス製品を見せて欲しいとお願いして用意されたものだ。


 透明度が低いな。

 それに取り扱う様子から考えて簡単に割れるような強度なのが想像できる。


 俺はカバンから取り出す振りをして、トレードスキルで取り寄せたガラス製の置物をテーブルの上に並べていく。


 青色はちょう、赤色はリンゴ、黄色は小鳥、緑色は広葉樹の葉。

 次に、それらのガラスの置物と比較できるように四色の使い捨てライターを並べた。


「まるで違う……」


 クラウス商会長がうなった。


 使い捨てライターのケースに使われている安物のプラスチックと、現代でもそれなりの価格で流通しているガラスの置物。

 手に取るまでもなく違いを理解してくれたようだ。


「違うことは理解した。それでもこのライターのケースを高額で売りつけようとする者は出てくる」


 断言されてしまった。

 でも、想定してたことだ。


「ライターも貴族や富裕層向けの高級品として値段を設定しましょう」


 高く買う顧客がいるなら、悪徳商人なんか介在できないよう最初から高額商品として流通させればいい。


「しかし――」


 俺は「続きがあります」とクラウス商会長の言葉を遮って話をする。


「私もある程度のまとまった資金が欲しいので、その資金をガラス製品の販売で稼ぎだしたいと考えています」


 ガラス製品を買ってくれた顧客に、普段使い用の道具としてライターを無料で提供する案を説明した。


 一つや二つじゃない。

 百個、二百個単位で無償提供すれば貴族や富裕層の間でライターが高騰することはなくなると考えたのだ。


 元をただせば森に自生していた樹木と転がっていた岩だ。

 俺の腹は痛まない。


 トレードスキル、最高!


「頃合いを見計らってライターを市場に流通させるのか」


 クラウス商会長が押し黙る。

 しばし思考の淵に沈んでいたクラウス会長が口を開いた。


「妙案とは言い難いが他に代案もない。君の案で行こう」


「ご協力頂けるという認識でよろしいでしょうか」


「是非協力させてくれ」


「よろしくお願いします」

 俺はこの世界に来て初めて握手を交わした。


 ◇


 クラウス商会長のテントを後にした俺はカリーナと連れ立って歩いていた。


「先ほどは申し訳ありませんでした」


「また口調が固くなっているよ」


「ですが――」


「カリーナは仕事をしただけだろ?」


 まったく気にしていないことを強調する。


「そうですが……」


「口調を戻してくれないの?」


 カリーナの眼の前にニケを差しだす。


「ミャー?」


「はう……」


 予想通り顔が緩んだ。

 意外とちょろいな。


「堅苦しい口調よりも砕けた口調のカリーナの方が、お前も好きだよな?」


 ニケに優しく話しかける。

 ダメ押しである。


「わ、分かりました」


 少し照れくさそうに「これでいい?」と聞く彼女に笑いかけた。


「はにかんだ顔も可愛いよ」


「な!」


 カリーナが頬を真っ赤にした。

 本当、顔も反応も可愛いよな。


「ところで、さっきから隊商の人たちの視線が気になっているんだけど」


 クラウス商会長のテントに向かうときもそうだったが、チラチラとこちらをみてはヒソヒソと会話をしている。

 俺とカリーナのことを勝手に想像して盛り上がっているというのとも違う感じだ。


「ダイチさんがコレットさんにライターを上げたことが噂になっているんです」


 あの年配の女性はコレットというらしい。


「もしかして、他の人たちもライターを欲しがっているとか?」


「それもありますが、ダイチさんの正体をあれこれと想像して話のタネにしているようです」


 カリーナから詳しく聞くと、異国の大商人の跡取りで修行中の身だというのは未だ可愛い方で、身分を隠した異国の貴族が愛する女性を追いかけてきたとか、異国の王族の隠し子が命を狙われた末に流れてきた、などと想像力たくましい

噂が流れているそうだ。

 すげーな、俺。

 というか、ライター一つでそこまで想像力がき立てられるのか。


「凄い想像力だな」


「凄い想像力でしょ」


 俺とカリーナの言葉が重なったそのとき、森のなかから数人の男たちが飛び出してきた。


「助けてくれ!」


「すまない! 魔物を振り切れなかった!」


「キングエイプだ! キングエイプの集団が追ってきている!」


「あたしの側を離れないで!」


 剣を抜いたカリーナが俺を背にかばうようにして、飛び出してきた男たちと対峙した。

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