第9話 波紋

 食事を終えた俺は早々に現代から取り寄せたテントへと引きこもった。

 四人用のテントで一人と一匹で寝るには十分な広さだ。


「少しやり過ぎたかな」


 クッションに寝転がったまま、年配の女性に渡したものとは色違いの使い捨てライターを眺める。

 LEDランタンの灯りが青色のプラスチックを透過する。


 魔法で簡単に火を起こせるすべと火打石とはがねで火を起こす術が混在する世界でライターにどれだけの商品価値があるのか。

 最初はちょっとした好奇心だった。


「予想外だった」


「ミャ?」


 俺の独り言にニケが反応した。


「何でもないよ」


「ミャー」


 テントに迷い込んだ小さな虫を追いかけるのに飽きたのか、そこが定位置とばかりに俺の腹の上で丸くなった。

 俺はニケをなでながら再び思考の淵へと沈む。


 まさかライターの機能よりもプラスチックケースの方が衝撃を与えるとはな。

 カリーナと年配の女性の驚いた顔が蘇る。


 街に着いたら使い捨てライターを売ってある程度の資金を稼ぐ計画を立てていた。

 一般的な家庭でも利用できる価格帯で販売して、この世界の一般的な住人が必要とするものが何なのかを集められる情報のパイプを作るつもりだった。


 しかし、パイプ作りは別の商品ですることになりそうだ。

 当面は使い捨てライターをどう利用するかだな。


「さて、今夜と明日とでどこまで広がるかな」


 使い捨てライターの存在はこの隊商の間で間違いなく広まる。

 火を点ける道具としての価値よりもケースの価値が高いなら、他の人の前で火を点けるくらいのことはするだろう。


「ダイチさん、起きていますか?」


 カリーナだ。

 俺はニケを腹の上に乗せたまま返事をした。


「起きてる」


「夜分に申し訳ありませんが、商会長がお話をしたいとのことです」


 腕時計は二十時過ぎを指していた。

 カリーナの様子からして急ぎのようだ。


 昼間に渡した胡椒こしょうが脳裏をよぎる。

 まさか胡椒品質に問題でもあったか?


 これからの取引に影響しない程度の問題であってくれよ。

 一抹の不安が湧き上がる。


「分かった。すぐに仕度をする」


 俺はマジックバッグを装う擬装用のカバンと、腹の上で丸くなっているニケを抱きかかえてクラウス商会長のテントへと向かった。


 ◇


 カリーナは夜分と言っていたが隊商の人たちの大半はまだ起きていた。


 焚火を囲むグループが三つ。

 酒を飲む者もいたが、大半はおしゃべりに夢中になっているように見えた。


「随分と賑やかだな」


「……ええ」


 短い返事とジト目が向けられた。

 何か機嫌を損ねるようなことをしたかな?


 原因を考えるが心当たりがない。

 心当たりがない以上、それ以上考えても仕方がないので辺りを観察することにした。


 雰囲気がおかしい。

 やたらと視線を感じる。そのくせ俺とカリーナがそばを通ると急に声が潜められる。


「俺の恰好ってやっぱりおかしいのかな?」


「おかしくはないけど、珍しいからどうしても人目はくわね」


 なるほどそれでか。

 街に着いたら真っ先に服装を何とかした方が良さそうだな。


 そのときカリーナの脚が止まった。


「ここよ」


 彼女の案内で訪れたのは周囲のテントよりも大きく形状も異なっていた。

 モンゴルのパオに似たテントに通される。


「失礼します」


 待っていたのはクラウス商会長一人だけ。


「掛けなさい」


 促されるまま、俺はテーブルを挟んだ商会長の正面の椅子へと腰をおろした。


「夜遅くに申し訳ない」


「昼間お渡しした胡椒の品質に問題がありましたか? もし少しでも品質に問題があったのでしたお詫び申し上げます」


 すぐに新しい品物と交換する用意があることを申し出た。


「いやいや、胡椒の品質は素晴らしいものだったよ」


 昼間よりも穏やかな雰囲気が漂っている。


「それではどのような用件でしょう?」


「実はこれについて話をしたいと思ってね」


 テーブルに置かれた布の包みを開くと使い捨てライターが現れた。


「それは俺が食事の用意をしていた女性に差し上げたものですね」


「誤解しないでくれ。彼女から取り上げたりはしていない」


 使い捨てライターを貰ったはいいが、聞いたこともないような魔道具の扱いに悩んだ末、雇い主であるクラウス商会長に相談しに来たのだという。


 そんなに悩んでいたのか、気の毒なことをしたな。

 年配の女性に後で謝罪に行こうと考えていると、クラウス商会長が話を再開した。


「君はこれにどれほどの価値があるのか分かっていないようだね」


 テーブルに置かれた使い捨てライターを指す。

 口調と表情は穏やかだが、俺に向けられた視線は厳しい。


 不味いな、俺、何かやらかしたかな?

 使い捨てライターの存在をしったら、目の色を変えて「売って欲しい」と言ってくると思っていたがこの反応は予想外だ。


 一般家庭向けの消耗品として販売するつもりだったと言える雰囲気じゃなさそうだ。

 想定している価値を引き上げるか。


「貴族や富裕層が常用できる商品だと認識しています」


「君の国での価値はそうかもしれないが、この国での価値は……、おそらく途方もなく高い」


 クラウス商会長でさえどれほど価値になるのか予想もつかないと困惑した表情で付け加えた。


「それは道具としての価値でしょうか?」


 俺の質問にクラウス商会長がゆっくりと首を振る。

 魔道具とは魔力のある者しか使えない。


 魔力のない者まで使える使い捨てライターは、それだけで火を起こす魔道具よりも価値があるのだという。


 しかし、問題としているのはケースだった。

 宝石ほどの値は付かないにしてもガラスと同程度の価格で取引されるだろうとクラウス商会長が語った。


「市場に中途半端な数が出回ると、貴族や裕福な者たちに高額で売りつけようとするやからが間違いなくでてくる」


 それは困る。


 トラブルに巻き込まれる未来しか見えない。

 当面の資金源と考えていただけに痛い。


「軽率でした」


「知らなかったことだ。問題はこれからどうするかだな」


 なかったことにする、というのは無理そうな雰囲気だよなー。


 出来るだけ貴族とは関わらないよう、一般家庭向けの商品を販売する店を起ち上げるつもりだったがその路線はついえたか。

 となれば路線変更だ。


「実はこちらも貴族と富裕層向けに販売しようとしていた商品です」


 祖国でも高額な商品であることを付け加えながら、ガラス細工の置物をカバンから取り出した。


「な!」


 叫び声を上げて腰を浮かせた。

 顔には驚愕の表情を浮かべ、視線はバラをかたどったガラス細工にくぎ付けである。


 あれ?

 もしかして、やり過ぎたか?

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