第7話 カリーナ・キルシュ

 クラウス商会長とロイドが立ち去ったのを見届けた俺は傍らのカリーナに微笑む。


「よろしく、カリーナ」


「アサクラ様、こちらこそよろしくお願いします」


「大地で頼むよ」


「商会長のお取引相手です。そういう訳にはいきません」


 まあ、そうなるか。

 それも只の取引相手じゃなく、希少な胡椒を大量に扱う取引相手だもんな。


「堅苦しいのは苦手なんだ。友人のように接してくれると嬉しいんだけどな」


 俺はカリーナの隣に並び、彼女の可愛らしい顔を覗き込んだ。


「え!」


「どうしたの?」


 不意を突かれて驚いたのか、カリーナが眼を大きく見開いた。


 改めて間近でみると大きな眼だな。

 まつ毛も長い。


「わ、分かりました! 分かりましたから、もう少し離れてください!」


「ごめん」


 頬を染めたカリーナが抗議する。


「身体強化を使って女性に近付くなんて失礼にもほどがあります」


「身体強化?」


「いま、使いましたよね?」


「普通に近付いただけだよ」


 俺の答えにカリーナが不思議そうな顔をした。

 そして何かを思い出したように溜息を吐く。


「アサクラ様は他の大陸からいらっしゃったばかりでしたね」


「それと身体強化が何の関係があるんだ?」


「無属性魔法はご存知ですよね?」


「知っている」


 検証はしていないけど、ステータスボードに書かれていた魔法だ。


「無属性魔法の代表的な利用形態が身体強化です」


 身体に無属性の魔力をまとわせて身体能力を一時的に向上させることを『身体強化』と呼ぶのだと説明してくれた。

 また、熟練者になれば武器や防具に無属性の魔力をまとわせて、耐久力や硬度を上げることができるのだという。


「もう一度聞きます。身体強化を使いましたよね?」


 カリーナの剣幕から、それがとても失礼な行為なのだと察しがついた。


「ごめん。もしかしたら無意識に使ったかもしれない」


「無意識ですか……」


「これまで、気にしたことがなかったんだ」


「わかりました。これから気を付けて下さればそれで十分です」


 気を取り直して先導しようとするカリーナに言う。


「どこへ行くんだ?」


「護衛隊長のところへアサクラ様のことを説明に行きます」


「俺のことは大地と呼んでくれ」


「ですから――」


 振り向いたカリーナの眼の前にニケを突きだして彼女の言葉をさえぎる。


「で、これが俺の相棒のニケ」


「ニャー」


「モフモフの猫ちゃん……」


 ニケを眼の前にしたカリーナが思わず微笑んだ。

 やっぱりそうか。


「触ってもいいんだぞ」


「な、何を言っているんですか」


 頬が緩んだ。


「フワフワのモフモフだぞ」


 さらにニケを近付けると毛先がカリーナの頬にかすかに触れる。

 絶妙のタイミングでニケが鳴いた。


「ミャー」


「抱っこする?」


 問いかけるとカリーナが遠慮がちに俺を見上げる。

 上目遣い、可愛いねー。


「し、仕事中です」


「手、離すよ」


「え! そんな! 可哀想じゃないですか!」


 カリーナが空中でニケを抱きとめると、間髪を容れずにニケが甘えた声を上げる。


「ゴロゴロー」


「ニケちゃん、っていうの?」


「君が抱きしめているのがニケ。俺は大地」


 俺がニケに手を伸ばすと、彼女は俺の手から守るようにニケを抱きかかえたまま背を向けた。

 無言で固まるカリーナに言う。


「抱いたまま護衛隊長のところへ向かおうか」


「そ、そうですね。行きましょう」


「よく聞こえないな」


「ダ、ダイチ様、行きましょう」


「様?」


 仰々しいのはやめてくれと目で訴える。


「ダイチさん、こちらです」


 勝った!


「カリーナ、しばらくの間、よろしく頼むね」


 俺は上機嫌でカリーナと並んで歩きだした。


 ◇


 護衛の冒険者や隊商の従業員たちが慌ただしく夜営の準備をしているなか、テントの一つでベルトラム商会の商会長であるクラウス・ベルトラムと側近のロイドがテーブルを挟んで向かい合っていた。


 テーブルの上には大地が渡した胡椒こしょうの入った袋が一つ。

 数粒の胡椒が小皿に載せられている。


「ロイド、あの若者をどう思う?」


 クラウスの問い掛けにロイドは先ほどのやり取りを思い出しながら慎重に答える。


「他の大陸から来たばかりにしては少々言葉が流暢りゅうちょう過ぎるようですが……、頭の回転は速いようですし、礼儀も弁えています。労働をしたことのない綺麗な手をしていましたから、恐らく裕福な家庭で育ちしっかりとした教育を受けたのでしょう」


 ロイドは前置くように疑念を口にしてからクラウスの質問に答えた。


「私も同意見だ」


 クラウスは小さくうなずくと、


「それで、こちらをどう見る?」


 胡椒を乗せた小皿に軽く触れた。


「素晴らしい品質ですな」


「ああ、これほど管理の行き届いた胡椒を見たのは始めてだ」


 ロイドとクラウス、表情をこわばらせた二人がうなった。


「これほどの品物を惜しげもなく対価として渡すとは、よほどの資産家の子息か世情にうとい貴族のバカ息子のどちらかでしょう」


 ロイドがバッサリと切り捨てるが、クラウスはゆっくりと首を振って別の可能性を示す。


「案外、将来の大物かもしれんぞ」


 大物の素養はあるとしても、まだまだ世間知らずのひよっこだとその表情と口調が語っていた。


「これほど保存状態がいいと言うことはアイテムボックスでしょうか?」


「恐らくな」


 ロイドの言うように、マジックバッグに保管してあったにしては状態が良すぎた。

 アイテムボックスは神の恩寵おんちょうであるスキルのなかでも希少なスキルである。


 格納場所はスキル所有者の作りだす異空間で、その収納量は所有者の魔力量に準じる。また、所有者しか出し入れすることはできず、収納空間内では時間が経過しない。


 マジックバッグはカバンやポーチに魔法を付与した魔道具で、本来の収納量を大幅に拡張して見た目以上の量を収納することができる。

 だが、アイテムボックスとは異なり収納量は固定でバッグのなかの時間が止まることはない。


「マジックバッグから出す振りをしていたが、まず間違いないだろうな」


 とクラウス。


「海を渡ってもやっていけるという自信のみなもとはアイテムボックスでしたか。若いですな」


「アイテムボックスのなかには価値のある商品がまだあると見るべきだろう。何よりも、我々の知らない国の知識を持っている」


「丁重な対応をするように周知いたしましょうか?」


「いや、そこまで必要はないだろう。だが、失礼のない対応をするよう商会の者だけでなく、護衛にも周知しておけ」


「畏まりました」


 ロイドは一礼するとテントの外へと消えた。

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