NORMAL WORLD END

神条

四年前の邂逅

 ジリジリと照りつける太陽の暑さに空を仰いだ僕――上城かみしろユウタは、まさに今から学校へ行こうというところだ。暑いし眩しいし学校はだるいし。いろんな意味で眉間にしわが寄る。

 今日はたしか総合学習のプレゼンがあったんだった。グループで課題に取り組んでそれを発表しあう、よくあるような授業だ。


 それより。


 今日はなんだか朝から変な感じがする。身体が重い感じというか――まあ学校はだるいから気が滅入るのはいつものことなんだけど――なんだかふわふわする。うまく言い表せないけど、とりあえず気持ちがいいものではない。朝食べたトーストもなんだか変な味がした。全てにおいて違和感がある。

 あれこれ考えていてもしょうがない。ネクタイを緩ませ、ワイシャツの一番上のボタンを外して首下でパタパタと扇ぎながら横断歩道を渡る。全然涼しくない。あまりの暑さにスマホで今日の気温をチェックする――画面には34℃の文字。殺す気か。


 ふと前を向いて、立ち止まった。地面からゆらゆらと陽炎がたっている。その陽炎が僕を呼んでいる気がした――。


 そうだ。きっと暑さのせいだ。朝から感覚がおかしいのも全部このくっそ暑いのが悪いんだ。

 こういう日もある。そう言い聞かせて、少し足早に学校に向かう。いつもはうるさい教室に嫌気が差すのに、今日は変な感覚の恐怖のせいかあのうるさい教室に早くたどり着きたい気分だった。


   *


「気をつけ~さようなら~」


 日直の号令のあとにさようなら~という覇気の無いバラバラの声。直後に椅子をしまう音が教室に響く。下校の時間だ。

 幸い、この時間までにあの変な感覚に襲われることはなかった。


「ユウタ、この後ヒマ?もし空いてたら駅前にできた餃子屋いかねー?」


 四人ほど引き連れてきたクラスメイトに誘われた。気持ちはありがたいが何だか行く気になれない。餃子はとても食べたいのだが。


「悪い。ちょっと体調が優れなくてさ。また誘ってくれ」

「そっかー。ちゃんと休めよ?」

「ありがとう」


 授業中はとてもうるさいし、いたずらばっかする連中だが根はいい奴ばかりだ。


 校舎を出る頃には朝の暑さはいくらかマシになっていた。やっぱり暑さがあの変な感覚を呼んでいたんだ。そう思った。

 でも。

 朝からずっと身体が重いのは変わらなかった。もしかして本当に体調が悪いのだろうか。それにしては何かが違う。教室にいたときは何ともなかったのに不思議と気分が高揚している。呼吸が速くなっていく。


「あれ……?ここ、どこだ?」


 なんとなく歩いてきた。たどり着いたのは堤防の下にある大きな駐車場だった。どうやってここに来たのか覚えていない。たしかに僕はいつも通り家を目指して歩いてきたはずだ。


「やあ」


 背後からいきなり声をかけられた。後ろを振り向くと――僕は唖然とした――もう一人の僕がそこには立っていた。姿形は全く一緒。右手にはバタフライナイフが握られている。


「まあそう驚くのも無理はないね。キミは僕に出会ってしまった。大丈夫、今すぐには殺さないさ」

「……!」


 僕が声を出せずに口をパクパクしていると、彼はナイフで自分の首を切った。鮮血が吹き出る。しかし彼の表情は微笑を保ったままだ。


「どういうことだ……」

「キミが見ているのはドッペルゲンガーではないよ。キミの中に潜む僕さ」


 首からは血を垂らしたまま彼は僕に詰め寄って来た。


「教えてあげよう。――ここは現実世界ではない」

「ッ!?」

「キミの想像世界だ。キミが作り出したキミだけの世界。主人公はキミだ」


 ケタケタと笑う彼は自分とは真逆だ。嬉々とした表情で何度も首を切りつけている。常軌を逸した振る舞いはやがて僕に吐き気を催す。


「オイオイ。まだ目的は終わっていないぞ?」


 目的?何のことだ。だいたいここは僕が作り出した世界じゃない。ついさっきまで学校にいたんだ。そこで僕は息をしていた。生きていた。

 唐突に恐怖感が襲う。振り返って立ち去ろうと――


「――決して振り返るな。もうキミは戻れなくなる」


 突然声色を変えてそう言った彼の表情は真剣だ。目はすわっている。まるでこの先の行く末を知っているかのようだ。


「わかったらこっちを向け。絶対に振り返るな」

「あ、ああ」


 視線を彼に向けたその瞬間、彼は僕の腹めがけて飛び込んできた。鈍い痛み。何かが僕の腹に刺さったようだ。

 意識が朦朧とする中、僕は必死に腹を押さえる。押さえても押さえても血は止まらない。彼の握っていたナイフは僕の腹に突き刺さっていた。


「何で……ッ」

「戦え」

「は……?」

「戦え。キミは能力を持っているだろう」


 何を言っているかわからない。本当に何を言っているんだこいつは。

 能力者?目的?

 そんなことはどうでもいい。とにかく僕を帰らせてくれ――


「なッ――」


 突然、右手にハンドガンが形成された。ずっしりとしたそれはどうやら本物のようだ。さらに腹に突き刺さっていたはずのナイフは消えて無くなり、傷も完全に治っており、鈍い痛みだけが残っていた。


「今キミは、『生きたい』と願った。それが武器となって現れたんだよ」

「どういうことだ」

「キミは、現実世界ではもう既に死んでいるだろう?」


 頭に電撃が走ったかのような衝撃が襲う。


 そうだ。思い出した。


 僕は、もう、いないんだ。


「キミは四年前、朝の登校中に何者かに後ろから刺された。違うか?」

「ああ、そうだ」

「キミを刺した犯人を僕は知っている」

「……誰だ」


 彼は自分を指差した。その表情は未だに真剣そのものだ。


「なぜだ?」

「答えはキミがよく知っているはずだ。キミはあの時『死にたい』と願っていた。違うか?」

「そう、かもな」

「『誰か僕を殺してくれ』、そうキミが心の底から願った。だから僕はキミを刺し殺した」


 肩の力が抜ける。もう何も考えたくない。あの日のことは。


「今朝、変な感覚に襲われなかったか?」

「ああ。とても気分が悪かったよ」

「あの日の朝と似ていただろう?」

「とても」


 あの日。四年前のある朝。僕は死にたかった。

 代わり映えのない日常に嫌気がさしていた。

 あの日の朝もとても暑かった。死ぬほど暑かった。このまま溶けてしまえたらって思ってた。もちろん溶けるはずがなかった。

 今考えると、なぜ死にたかったのかわからない。ただ、虚無感がその時の僕には一番苦痛だった。

 軽い気持ちで、死にたいと思った。死んでから、後悔した。


「陽炎はキミをよく見ていたんだね。あの日の暑さを覚えていたんだ」

「ゆらゆらしてた。不思議と踊ってるように見えたんだ。楽しそうにな」

「そうだろう?キミは陽炎に呼ばれたんだ」


 彼はさて、とその場に座り込んだ。


「もうやることはわかってるよね」

「ああ」

「儀式を行おう。簡単だ」


 ――このハンドガンでお前を撃つ。


「わかってるじゃないか。ならあとは引き金を引くだけだ」


 さあ、と手を大きく広げる彼。先ほどまでの真剣な表情と打って変わり、微笑んでいる。


「ありがとうな、僕。また会おう」


  *


 耳にうるさく鳴り響くスマホのアラーム。眠たい目をこすって僕は起き上がった。

 画面に触れようとした手を見て僕は驚いた。


「血……」


 そうか。僕は、帰ってきたんだ。

 僕が死んでから四年の時間が経っていた。


 自然と涙がこぼれていた。

 もう二度とあんな後悔はしたくない。


 生きたい。そう、強く願う朝はあの日と同じ酷暑だ。

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NORMAL WORLD END 神条 @kami8a_

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