第三章:名医
第13話 医療ミス
広大な敷地に建てられた死神総合大学病院は、テレビのドキュメンタリーで難しい手術を成功させるといった事がたまに流れ、他の病院で匙を投げられた患者が藁にもすがる思いでたどり着く場所。
この病院には名医揃いだが、その中でも一二を争うのが、道明寺明彦外科医と猪狩直史外科医であり、特に道明寺の腕前は日本一なのではないのかと噂される程。
手術室の前、ある老夫婦が祈るようにして待合室に座っている。
移動式ベットからは、中年の女性が寝ており、点滴を打たれながら運ばれている、その傍らには明彦と猪狩がいる。
「先生、娘をよろしくお願いいたします」
老夫婦は立ち上がり、明彦達に一礼をする。
「分かりました」
(必ず助けてやるからな……! )
この老夫婦の娘は癌であり、ステージは2だが、手術をして腫瘍を完全に取り除き、抗癌剤治療を行えば10年は長生きできるのが明彦達医師の見解。
癌の場所は動脈の側にあり、取り除くのは難しく、執刀医が二人つく事になる、通常は一人なのだが、あまりにも困難な為に上層部が指示を出したのだ。
手術室のドアが開き、彼等は手術室に入っていった。
¥
夜の帳が下りはじめた、夏の日の午後19時頃、健吾達は廃品回収で稼いだ日銭で、公園から少し離れた場所にある業務用スーパーで一番安い発泡酒を購入して、床に座り酒を飲み交わしている。
「なぁ、クマさん、すげぇ気になるんだけれど……」
健吾は、隣で満月を見ながら物思いにふけっているクマに尋ねる。
「何だ?」
「君島さんの入院費用は一体どこから出たんだ?てかうちらにそんな金はないんじゃねえのか?」
「……それはな、予め一色から着手金に30万円貰っていたんだよ。それで入院費用と、早苗ちゃんの療育費用を渡した、まぁその前に、別の会社の株で儲けたがな」
「えー!そんな金あるなら、普通に暮らせるんじゃねぇか!アパート借りてさ! 」
「ど阿呆、保証人がいねぇだろ、それにな、俺たちホームレスは社会の歯車からはぐれた不適合者、誰にも束縛されない暮らしが似合っているんだよ、お前もそうだろう? 」
横から天狗はそう言って、ふふふ、と笑った。
「いやそうだけどさ……つうかよ、俺達ってよく考えたら国民年金とか支払ってないし国民健康保険とかマイナンバーとか入れてないから、病気になったら終わりなんだよな……」
「それなんだがな、懇意にしてくださる病院があるんだよ、ホームレスさん御用達のな。お前も病気になったらそこでお世話になれ……」
クマは再び視線を満月に移し、酒をぐいっと飲む。
マイコンが持ってきたパソコンからはYouTubeが流れており、一月前のテレビニュースが放映されている。
『死神総合大学病院で医療ミス メスを患者の腹に入れっぱなし……』
「やっぱりな、こんなミスが起きてるから、でかい病院ってのはあてにならねぇんだ」
マイコンは缶チューハイを口に運ぶ。
「でもねぇ、このヤブ医者イケメンじゃない?濡れるわね……」
「まぁイケメンだが、かわいそうだなこいつ、どこも雇ってもらえないぞ」
パソコンには憔悴しきった今回の執刀医が映し出され、そこには道明寺明彦、と表示されている。
「あーあ、勿体ねぇな、こいつ医師免許持ってるんだろ?剥奪とは書いてないが、ネットに名前とか出てるしニュースに載るようでは、普通の病院はおろか、企業さんでも雇ってもらえないぞ」
マイコンはスマホを見て溜息をつく。
「勝ち組なのに勿体ねーな、医者の年収って一千万超えてんだろ?ホームレスにでもなるんじゃねーか? 」
負け組の健吾は、メシウマ、という顔をしてネットのニュースを見やる。
「だが俺には、誰かに嵌められているようにしか見えないがな……」
クマはパソコンから目を離し、再び満月を見やる。
「クマさん」
無精髭を生やし、20年は楽勝で経過しているであろう継ぎ接ぎと穴だらけのボロ切れの様な服を着ているのだが、ミカドの作る料理で肌ツヤが良い中年の男性ホームレスが不安そうに、クマに訪ねてくる。
「どうしたんだ?」
仲間のホームレスの尋常ではない表情にクマは何事かと勘を働かせる。
(まさか、あの計画がお上の連中にバレたっていうのか……? だとしたら、こいつらはどうなるんだ?いや、死んでも守り抜いてやる……)
「いやな、変な野郎が公園に来たんだよ、ベンチで寝てるんだ」
自分の計画がバレていないという安堵の気持ちで肩をなでおろしたのだが、その変な野郎がもしかしたらそっち側の人間では無いのかという不安に駆られ、雲がかかった朧月の風情ある景色から視線を仲間に移して、マイコン達に顎で合図を送る。
「分かった、今すぐそっちに行くわ」
クマ達は酒をその場に置き、ベンチの方へと足を進める。
☆
人間は、一生のうちに何度か目の前が真っ暗になる時があるという。
明彦の目の前には、夕張の闇夜に電灯の明かりで朧げに裸眼視力0.8の眼の先には都市には不釣り合いな緑豊かな森林がある。
それは、明彦の目の前にはただシンプルな灰色の景色しか広がっていない、網膜では景色を認識できるのだが、肝心の脳に強いストレスが掛かり、景色自体に薄い灰色の靄が掛かっているといった具合である。
(畜生、俺ではない、俺じゃないんだよ……! 何で誰も信じてはくれないんだ!?)
先週の光景――手術は成功して、中年の女性の癌細胞は確かに全て除去したのだが、肝心の後処理が良くなかった。
手術に使ったメスが、女性の体内に取り残されていた。
明彦は確かにメスを体内に入れておらず、一緒に手術に立ち会った朝比奈真知子がそれを確認している。
明らかに、一緒に手術をした猪狩がやったのだが、先週の裁判では朝比奈は猪狩がやったのでは無いと証言した。
何かしらの強い力が働いた――確信はあった。
病院内の上層部との間では、高齢で心臓が弱ってきた院長の代わりに次期院長を誰にするかという話が持ち上がり、明彦の名前が上がった。
明彦の腕は確かで、満場一致かと思ったのだが、猪狩の属する旧体制の派閥が32歳の若造に任せることができるかと猛反対をしていた。
猪狩は明彦の次に能力はあり、高いレベルなのだが、それ以上、もはや神のレベルに達した明彦に敵うはずがなく、周りの信頼は厚く、手術成功率ほぼ100パーセントの明彦を院長にする事を院長の角田は反体制の意見を押し切り、明彦を新院長に任命する矢先の出来事だった。
この手術ミスは全国ネットで広まり、裁判は大きな圧力が掛かっているのか速やかに行われ、敗訴、明彦はクビになり、ネットでヤブ医者だけでなく、個人情報までが載ることになってしまった。
手術ミスで病院をクビになった明彦を雇う病院はどこにも無く、貯金も遺族の慰謝料で全てがパー、自宅のアパートにいてもネット民による嫌がらせが続いており、大家から今すぐ出て行けと言われても親のいない明彦に誰も保証人になってくれる人間はおらず生活費の為に全ての家財を売り払い、無一文で出て行く羽目になってしまい、住んでいたc駅から一時間ほど離れた燈火公園へとたどり着いてしまったのだ。
ひと月ぐらいコンビニの廃棄弁当や、ホームレスの炊き出ししか食べておらず空腹、さらに運が悪いことに生ごみを食べていたら下痢をしてしまい栄養失調のガリガリの体になってしまっている。
ベンチで寝そべっていると、意識が遠のいてきた。
まぶたの裏に移るのは、奨学金を貰い高倍率の国立大学に予備校にも通わずに独学で首席合格、常に新しい発見で好奇心が満ち足りていた医学生時代の青春時代、彼女はいたのだが、後で金目当てだと知り別れたほろ苦い思い出、病院に入って医療現場の悲惨さを思い知らされて、少しでも多くの人を助けようとしてメキメキと実力が伸び誰にも敵う人間が一人としていなくなった事。
そして、病院で同期で入った外科医の猪狩と切磋琢磨しながら腕を磨いた事。
猪狩とは、長年の付き合いで、色々な相談を持ちかけ持ちかけられ、仕事後にキャバクラや風俗に遊びに出かけたり。合コンをして彼女、真知子ができた事。
職場恋愛はタブーなのだが、それでも愛を育み続けた。
だがそれも、医療ミスでの裁判の後に一方的な別れを告げられる。
深い絶望の中。明彦はこのまま死んでしまおうと深い眠りにつく。
(俺の人生は、やはり幸せにはなれなかったんだな……)
「いやあんた、起きろ」
健吾の声が鼓膜に響き、慌てて眼を覚ますと、そこにはクマ達がいる。
「やはりあんたは医療ミスをした道明寺さんだ、あんた何も食べてないだろ。今すぐ病院に行くぞ、極度の栄養失調だからな」
クマは明彦の身体を起こす。
「死なせてくれよ。俺はもう生きる意味がねぇんだよ」
「馬鹿野郎、死んだらその時点では人間は終わりなんだよ! 」
クマの激を明彦は虚な目で見つめているのだが、強烈な睡魔には勝てずに、深い闇の眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます