3
ブラディノフとの飛行練習は数ヶ月に及んだ。
昼時には必ず里から下りて、彼の下へ通った。
クロヴィスは翼の動きについていくだけで精一杯で、帰るときは泥のように眠った。
普段の生活でもなるべく飛ぶようになった。
他の仲間たちも普段からこのような生活を送っていたのだろうか。
通っている間に、最終目標は彼を抱えて屋敷一帯を飛行することに決まった。
彼曰く、「それだけできればどんなこともできるだろう」とのことだった。
人より重い物を持つこともそうそうないだろうし、基準としてはちょうどいいというのだ。
「しかし、あなたは翼がなくとも空を飛べるんですよね?
馬車もありますし、私が運ぶ必要はないのでは?」
ブラディノフは魔法で空を飛んでみせたのだ。
風の力を利用し、軽々と浮いていた。
背中に生えた翼を使うより便利そうに見えた。
何よりも、毛並みが美しい二頭の馬が引く馬車がある。
わざわざ自分を頼らなくてもいいのではないだろうか。
「そんなに私が嫌なら、そこの馬でも別に構わんが……」
馬車に繋がれた馬を指さした。
暇そうに地面の草を食べていた。
おもしろ半分で付き合っていることは何となく理解した。
この男はよほど暇を持て余しているらしい。
そうでなかったら、山から下りてきた自分を受け入れることもなかったはずだ。
そうなると、残りの半分は何なのだろうか。
余計に分からなくなってしまった。
「そういえば、あなたは何をしにここまで来たのですか?」
「今の季節は太陽の光がきつくなるからな。
少しでも避けるために、こうして山奥に引きこもっている」
紅茶を傾ける。仕草の一つ一つが本当に優雅だ。
吸血鬼という種族は太陽の光に弱いため、外出は夜にしかできない。
昼夜逆転生活を送らざるを得ないが、夏は天敵と言っても過言ではない。
光の強さが増し、さらに気温も上昇する。
季節に殺されてはたまらないと思い、彼らは涼しさとほんの少しの影を求めた。
木々の枝葉に太陽光は遮られ、光はある程度弱くなる。
山奥に家を建てることで、昼間でも自由に行動できた。
クロヴィスと出会ったのは本当に偶然だった。
天使の里があるというのは噂でしか聞いたことがなかった。
害を与えなければ何もしてこないだろうと思い、放置していたようだ。
「妻は友人と共に遊びまわっている。貴殿のことは何も知らないはずだ」
「なぜ、一緒に行かなかったのです?」
「……買い物に買い物に買い物と、考えられるか?
飽きもしなければ、懲りもしないのだよ。
物ばかりが増えていくんだ」
「興味はないのですか?」
「散々付き合わされたからな。もう十分だ」
紅茶を一気に飲み干した。
貨幣は人間たちが物の価値を決めるために使っている道具で、天使の里にもたびたび持ち込まれた。最も、取引する物がないから使われることはあまりなかった。
祖父から貰ったこともないし、持っているという話も聞いたことがない。
タンスでも漁れば出てくるだろうが、無断で持ち出すのは気が引ける。
「そんなことよりも、今は少しでも飛べるようになったほうがいい。戻るぞ」
ブラディノフはそそくさと外に出た。
そこまで執着する理由がやはり分からなかった。
***
さらに数か月が経って、山の姿もかなり変わった。
空気が冷えてきた頃には、空を自在に飛べるようになっていた。
枝についていた葉は赤や黄色に染まり、地面に落ちていく。
木々に果実が実り、動物たちがせっせと冬支度を始めていた。
「本当に美しいですね、この季節は」
「変化が一番分かりやすい季節だからな。
少し離れたところに滝があるんだ。
案内するから、連れて行ってほしい」
里の近くにある湖から流れ出て、川となり海へ繋がるのは知っていた。
山の間をどのように下っていくか、その姿を見たことがなかった。
その流れの一つに滝というものがあり、川が高いところから落ちていく。
色とりどりの木々に囲まれているから、より美しいのだろう。
連れて行くという言い方に少しだけ引っかかったが、彼の心は弾んだ。
まだ見ぬ景色に思いをはせる。
「分かりました。ぜひ行きましょう」
言われるままにブラディノフの胴体を抱え、助走をつけて三段跳びをする。
翼をはためかせ、森の上まで飛ぶ。今は意識せずとも自由に動かせる。
穏やかに流れる青い空へ一歩を踏み出した。
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