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地図によれば、山を降りた先に空き地があるらしい。
クロヴィスはさっそくコートを着て、比較的綺麗な山道を降りはじめた。
昔はこの道路を使って物資を届けてもらったそうだが、今はただの雑草まみれでその面影もない。雨がしとしとと降り続く。足を滑らせないように慎重に歩く。
そして、それはいきなり目に飛び込んできた。
大きな車輪に革製の座席、何より繋がれている二頭の馬だ。
これが馬車という乗り物らしい。写真でしか見たことがなかった。
「こんなに近くまで来てたのか……」
里から歩いて十数分程度だ。
奥の方にはレンガ造りの家屋もあり、周囲も綺麗に整えられている。
人間が近づいてきている。
どんなことをしようとも、向こうが勝手にやってくるのだ。
「おい、そんなところで何をしている?」
馬車の管理者と思われる男に見つかり、クロヴィスは震え上がった。
白髪に赤い目の小柄な男だ。
「一体どこから来た? 侵入できないよう結界を張ったはずだが……」
どう伝えるべきか迷っていると、彼はタオルを投げ渡した。
「今は私しかいない。ゆっくりしていくといい」
タオルと男の顔を交互に見る。
「私はブラディノフ・ハーロウ。人は永久凍土の主と呼ぶ」
「ブラディノフ?」
「さて、貴殿は何者だろうな。
この結界をくぐり抜けてきたということは、何か目的があるのだろう?
ぜひ、話を聞かせてほしい」
彼は優しい笑みを浮かべ、家の中へ通してくれた。
勝手にとんとんと話が進んでいく。
ブラディノフは突然の来客を歓迎してくれた。
ずぶ濡れになった服とコートは外に干して、着替えを用意してくれた。
温かい紅茶とお菓子まで出してくれた。
ここまでしてくれる理由が分からなかった。
「どうした、遠慮することはないんだぞ」
「私はクロヴィス。いろいろとありがとうございます。
実はこの場所を探してるんですけど」
彼は地図を見せた。
雨のせいで紙がぐしゃぐしゃになっているが、どうにか解読できる。
ブラディノフは眉根を寄せた。
「ずいぶんと古いな……本当に何者なんだ?
時空でも超えてきたのか?」
「私はこの上にある里から来ました」
「里? 天使がいるとされているあの場所か。
ということは、貴殿が噂の天使なのか?」
彼をまじまじと見た。
期待がこもった視線に応えるように、ゆっくりと翼を広げてみせた。
「私は天使ではありません。ましてや、神の使いでも何でもないのです」
「そうか。私も人間の血が好きな化物だ。
こんな山奥でもない限り、外出なんてとてもじゃないができない」
「人間の血、ですか?」
「私は吸血鬼だからな。これで人間を襲うのだ」
おちゃらけたように口の端を引っ張り、歯を見せた。
綺麗に整えられている歯は獣の牙のように鋭かった。
襲われたらひとたまりもない。
「人間ではないのですか、あなたは」
「同じにしてもらっては困るな」
ブラディノフは鼻で笑った。
外の世界は知らないことばかりだ。
何も知らない自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
「今日、初めて里から外に出たんです。
ごめんなさい、迷惑ばかりかけてしまって」
「別に構わない。それで、どうして外に出ようと思った?」
二人の間に沈黙が降りる。吸血鬼は答えを待っている。
逃げたくて仕方がなかったが、答えるしかない。
「飛ぶ練習をしようと思って。地図には空き地があるとあったので」
「それで、この場所を探していたわけか」
無言でうなずいた。
彼は腕を組み、クロヴィスをじっくり見た。
「まずは翼を慣らすことから始めるべきだな。
動かし方さえ覚えてしまえば、どうとでもなる。
しばらくはここにいるから、明日以降も同じくらいの時間帯に来ればいい」
クロヴィスの思考回路は止まっていた。
そこまでしてくれる理由が本当に分からなかった。
だから、日記帳にあったあの一文を彼に問うた。
「『飛べない鳥に勇気は要るか?』と聞かれたら、あなたはどう答えますか?」
「おもしろいことを聞くな。
鳥がどうしたいかにもよるが、私だったら『要る』と答えるだろうな」
「それはなぜ?」
「空を飛べようが飛べなかろうが、何かを成すには勇気は絶対に必要だ。
特に、現状を打破したいと考えている時にはな」
紅茶よりも赤い瞳に心を見透かされた気がした。
そこまで言われてしまったら、行動するしかないだろう。
「一度、飛んでみます。見てもらえませんか」
「ああ、もちろんだとも」
二人は軽い足取りで外へ出た。
その勇気は今一番必要なものだった。
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