2.6節 実験

 ヘリコプターが来た。このような人も住んでない島に来るということ,タイミングから判断して峡たちの捜索・救助に来たことはまず間違いないだろう。

 待ちに待った外部からの救助であり,火起こしに失敗したことで漂っていた失望感は,一気に払拭された。しかしながら,まだ安心はできない。小さいとはいえ一つの島の中から2人を見つけてもらわないといけないのだ。

 峡は,一瞬ためらったがこの機は逃せられないと,勇気を振り絞って雫に脱衣をお願いする。

「……雫!パーカーを脱いでくれ!!」

「出ましたね,脇フェチ野郎!」

 焦っているせいか言葉足らずの峡の発言に対して,からかいで応じる雫。それでも優秀な彼女は峡の意図をしっかり汲み取っていた。峡が自分の発言を思い返して慌てて言い訳しようとする頃には,脱いだ白色のパーカーを頭の上に掲げて,ぐるぐる回すようにして振り回し始める。

 自分の意図がしっかり伝わったことに安堵し,一緒に手を振りながら峡が言う。

「この先,脇フェチ野郎に,なっても,良いから,見つかって,くれ!」

「その,願掛け,全く,意味ない,ですよ!」

「なぜ!」

「だって,すでに,脇フェチ,野郎,だから!」

「なんてこった!」

 息も途切れ途切れの会話。千載一遇の好機,文字通り必死である。そんな2人に対して,無情にもヘリコプターは一向にこちらに近づいてくるばかりか,島の周囲を大きく旋回するばかりである。先程まで漂っていた楽勝ムードに影が差し始める。

「先輩,気づかれません!第2,プランへの,移行!!」

「後輩,そのような,プランは,ない!!背水の陣で,任務に挑みたまえ!」

「イエッサー!」



 xxx



 岩壁に囲まれた小さな湾,否,島の内部に位置しているこの泉は天然のプール。真夏の日光を僅かに揺れる水面がキラキラと反射している。文明から隔絶された領域。

 そこには……



 xxx



 ビーチに2人の若者が項垂れていた。 必死に存在をアピールしたが,見事にスルーされた2人の姿がそこにあった。

 チャンスを逃した結果,彼らの活動へのモチベーションはエネルギー曲面の底まで落ちていた。2人の間に会話はない。普段たちの彼女たちは決して騒がしくはないが,時間さえあればだらだらと益体のないことで会話を続けられるタイプである。特に,島に置き去りにされてからは会話を途切れさせたことはなかった。 それは,彼らなりの精神衛生を保つための工夫であり,共に賢明な彼女らは暗黙のうちにそのことを共有していた。その会話が途絶えてしまうほどのショック。

 数分の後,ようやく峡が声を発した。

「……ご飯の支度をしようか」

 ボソリと絞り出されたそれは,立ち直ったとはとても言えないものだったが,「ご飯」という響きが少しだけ2人の悲壮感を緩和させた。雫もそれに続く。

「海老とか焼きましょう,海老」

「それ誰がとるの」

「2人で取りましょうよ」

「なるほど,つまりこれはあれだな。伝統の『どっちが取れるか勝負しよ』ってやつだ」

「萌声作るのやめてもらって良いですか。需要ないです」

 平時ほどのキレはないが,徐々に調子を取り戻してきた2人。彼らが今まで意識を逸らしてきた話題に,雫がさらりと触れた。

「エネルギー計算無駄にならなくてすみましたね」

「あぁ,幸か不幸か。今だからいうけど,昨日の段階では,俺の読みとしては間違いなく次の日の午前中までには救出される読みだった」

「え!」

「真剣にはやっていたけど,気を逸らしたかった方が強かった」

「……そうだったんですか。なんか前向きで頼もしい!とか思ってしまいましたよ」

「それは忍びないな,そんなに頼りになる人間ではないよ,自分は」

「そんなこと,」

 雫が否定しようとしたが,峡がそれを遮るように言葉を続ける。峡は自分がネガティブな発言をしたときに,フォローされるのが苦手で,日頃からよく使っている手だ。

「それよりも,頼りになると言えばあの人だよ,会長」

「なんだかんだで,ちゃんとヘリ出してくれましたね,さすがです」

「え」

「え」

「いや,雫。逆だろう……あの人,何でこんな朝早く捜索出したんだよ」

「一刻も早く捜索隊出したいのは普通だと思うんですが……夜型とか遭難しても有効だとは思いませんよ」

「うーーーん,まぁそうなんだけど,確かに普通なんだけど!」

「納得いかないです?」

「何となくね。あの人,めちゃくちゃ優秀だから」

「知ってますよ,落単で有名な落合先生の講義だって一発で通ったんでしょう?しかもS評価」

「そういう意味じゃなくて,想像力とか見通力というか,そんな感じのやつ。まぁ勉強も研究も優秀なんだけど。あと落合先生の単位は俺も一発だった」

「なるほど。確かに会長ってボドゲとか異常に強い。張り合わなくて良いですよ,評価Cギリギリだったくせに」

「ぐぬぬ」

 こんな時でも負けず嫌い——すでに負けているが——が滲み出る峡を,すかさず煽る雫。この辺りはすっかり平常運転である。

「でも,それなら尚更おかしなところないですよ。朝イチでヘリ出せるように,おそらく昨日の夜から交渉してくれたんじゃないですか」

「いや,俺の知る普段の会長なら,どうせ朝早くにヘリ出しても,俺らの姿を見つけられない可能性くらい考慮する。それなら,数時間程度遅らせても,俺らが準備する時間を与える方が成功率が高いと考えるのが会長だと思うんだ」

「峡先輩」

「何よ」

「それは期待しすぎじゃないです?」

「……」

 さて,峡の期待した会長の行動は,彼女に対して期待しすぎであろうか? もちろん,(自分を含め)普通の大学院生に対して,それを求めるのは酷な話だ。それは峡も同意する。そういう学生がいたら,名前を書くと殺人できるノートを使って新世界の神を目指して欲しい。その点,忍野八海は,グループに属している。少なくとも,彼がこれまで出会った人間の中で最上位に位置する。特に,卓越した見通しの正確さ,それをもとにした布石の打ち方。サークルで行動してきた数年で嫌というほど思い知らされている。押野と比較したことで,峡が自分の段取りの悪さに落ち込んでいるのを見て,よく忍野は「自分は咄嗟の機転が利くタイプじゃないから,先に精一杯準備しておくだけ」と言っていた。それができるのは類稀な才能だと,峡が逆ギレしたことは数知れず。

 ただ,今は明らかに想定外の状況であり,峡自身の精神状態は正常とは言えない。よって,峡が判断を間違っている可能性の方がより高い。遭難者が出たら,できるだけ最速で救助を出すのは,雫のいうとおり普通のこと,基本,セオリーである。

「やっぱり,期待しすぎとは思えないけど,雫の言う通りなる早で捜索するのが,セオリーか」

「思わぬところで,峡先輩の会長リスペクトが垣間見えましたね」

「普段からリスペクトしている」

「さいですか」


 ともかく,と峡が膝を打ってついに立ち上がる。

「ここでしばらくサバイバルする覚悟ができてしまった。幸い,計画は立案済み。頼もしい後輩もいる」

「私も現実感なさすぎて,逆にすっきり受け入れてしまいました。頼もしい後輩として精一杯応援しますね」

「主体性もビーチに置いてきたか」

「とりに行ってもらえます? ついでに,鞄にスマホがあるのでそれも」

「あぁぁ,誰かちゃんと俺の端末拾ってくれたかなぁ。新しくしたばっかりなんだ」

「急に文明人の心配しちゃって。今日食べるご飯もないくせに」

「……雫。それ言ってて自分もダメージ受けない?」

「……言いすぎました。反省しています」


 食料の確保という重要問題を前にして,とりあえず2人は黙って海に歩き出したのだった。

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[卒業研究] 非人類文化圏におけるヒトのヘテロ性別個体間に発生するつり橋効果発生機序の考察 RASE @raryo

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