第205話 神算鬼謀のヴィルヘルミネ

 

 国宝ともいえるイケメン達を敵に殺されたヴィルヘルミネは、怒りのままに命令を下す。紅玉のような瞳には、溢れんばかりの闘志が宿っていた。


「エルウィン、近衛連隊を急ぎ招集せよ。余はこれよりトリスタンの下へ行き、自ら全軍の指揮を執る。それに先立ちベーアに伝令じゃ。北側より進軍し、敵の右翼を撃滅するよう命じよ。

 プロイシェ軍め、グロースクロイツの大馬鹿者め――……タダでは帰さぬぞッ! 鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼが受けた屈辱、何倍にもして晴らしてくれるッ!」


 完全に私怨からくる、滅茶苦茶な命令だ。しかし凛とした佇まいとソレっぽい口調、そして「軍事の天才」などという尾ひれしか無い評判のせいで、あれよあれよという間に周囲を巻き込んでいく。


「御意ッ!」


 エルウィンは伝令兵を呼び、命令を復唱させてからオルトレップの下へ送る。近衛連隊はラッパ手が規定のメロディを吹くと、即座に所定の場所へ集まった。


「お待ちください、閣下! 我が部隊の為に戦うと仰るのなら、我々もぜひ、お連れ下さいッ! きっとお役に立ちますッ!」


 毅然として踵を返そうとしたヴィルヘルミネに、シュミット准尉が声を掛けた。


「ふむ――……しかし卿等は戻ったばかりじゃ。ゆるりと休んでおればよかろうに」


 僅かばかり眉根を寄せて、赤毛の令嬢が言う。彼女としてはイケメンを、これ以上失いたくないのだ。だから前線へ出したくはない。

 だというのに、ジーメンスまでシュミットと共に頭を下げはじめた。ヴィルヘルミネとしては、「ああもう!」と地団太を踏みたい気持ちである。


「ヴィルヘルミネ様、ボクからもお願いします。鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの強さを、ぜひあなたに知って欲しいから」

「ふむ。じゃが、指揮官が不在なのじゃろう? それでは戦えぬぞ」

「摂政閣下にお許しが頂けるのなら、ジーメンス少尉に隊長代理を、お願いしたく存じますッ!」


 シュミットがヴィルヘルミネへ最敬礼を向け、言った。


「シュミット准尉、ボクは、しかし――……」

「嫌なのか、ジーメンス?」

「嫌なわけが無い! もしもあなた方を指揮できるのなら、それに勝る喜びは無いよッ! ヴィルヘルミネ様! ボクが代理で指揮を執ります! だから、ぜひッ! 連れていってくださいッ!」

「ジーメンス――卿にそこまで頼まれては、仕方が無いのう。ただし卿等――決して死ぬなよ?」


 悩んだ末、ヴィルヘルミネは渋々承知した。

 実際、イケメン達の仇を討つ為にイケメンが死んだのでは、目も当てられない。それこそ百円を千円で買うようなもので、大損だろう。

 とはいえ自分の周りにイケメン達が居ることは嬉しいから、赤毛の令嬢は少しだけ鼻の穴を膨らませている。


 ――特殊イケメン部隊が、余と共に。じゃがじゃが、とにかくプロイシェ軍め、グロースクロイツめ、絶対絶対許さないのじゃからのッ! むふんッ!


 喜んだり怒ったりと著しく情緒が不安定なヴィルヘルミネは、こうして出来もしない戦争指導に自ら乗り出そうというのであった。


 ■■■■


 怒りに任せたヴィルヘルミネの基本構想は、南北からの挟撃であった。

 つまり自身は南方より主力を率いて前進し、敵の左翼を打ち破る。同時に北方より進軍したオルトレップ師団が敵右翼を打ち破れば、晴れて後方に控える敵主力を南北から挟撃することが出来る、という算段だ。


 だがしかし、もちろんヴィルヘルミネの作戦は穴だらけのポンコツ。それどころか鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼをイケメン部隊と思っている所からして、彼女の大きな勘違いなのである。


 そもそも鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの生き残りである四十名は、全員が恋人や妻がいる男達なのだ。言ってしまえば、モテ男ばかりが生き残ったのだと言えよう。


 一方散っていった百六十名はブルーノ本人も言っていたように、モテない組の面々であった。

 だから散っていった百六十名を入れて鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼのイケメン度数を計ったならば、精々が六十点を若干上回るといったところ。

 もしもこの事実を知ったなら、赤毛の令嬢はこれ程までにブチキレたりはしないはずだ。もっと言えば、「あー、それは残念じゃったの」で済む話なのである。


 こうした勘違いで頭に血が上ったヴィルヘルミネに、真っ当な作戦など考えられるはずが無い。だって考えてもみてほしい。プロイシェ軍は六万の兵力。対してフェルディナント軍は二万三千の兵力なのだ。普通、これで挟撃などしようと思うだろうか? 守りに徹することこそ、常道である。


 確かにヴィルヘルミネが到着した為、彼女の近衛連隊が千二百人ほど増えてはいる。しかしだからといって、この程度の増援では戦局を覆すことなど不可能だ。にもかかわらず赤毛の令嬢は、「敵を挟撃する」と言っていた。

 こんなもの普通なら、「馬鹿かと」「アホかと」と幕僚達に止められるのが当然だろう。完全に無理筋であった。


 だがそこは「戦神の姫巫女」「軍事の天才」と、評価だけは無駄に高いヴィルヘルミネのこと。エルウィンもゾフィーも、


 ――ヴィルヘルミネ様のことだ、きっと何かお考えがあるのだろう。


 などと考え、唯々諾々として彼女の命令に従っている。


 それどころか、もっと恐ろしいのはオルトレップ少将と、彼が率いる師団だ。

 オルトレップは細い吊り橋を挟み、敵の一個師団一万に対し、僅か五千の兵力で北側の村を守っていた。トリスタンから「堅守」を命じられていたからだ。

 しかし伝令からヴィルヘルミネの命令を聞くや、彼はつるりとした禿頭を一撫ですると、ニヤリと笑い嬉々として麾下の全軍に命じたのである。


「フッフ。戦いとは、やはりこうでなくてはな。全軍、前進せよ。前方に展開する敵師団を速やかに撃破し、敵主力の側面を衝くぞ」


 むろん彼の幕僚は、「こりゃあ、ヤベぇ!」と思っていた。誰がどうして、二倍の敵と戦いたいものか。


「うちのハゲが狂った! どうしよう! 敵が目の前にいるのに、こんな吊り橋を渡るなんて自殺行為だ……!」

「こんなだから、ハゲるんだ!」

「でも、このハゲ強いしさ。敵が撃ってきたら、何とかしてくれるんじゃね?」

「何ともならねぇよ。吊り橋だぞ。大砲撃たれたら、どう考えても終わりだろうが!」

「ああああああ、死んだ! 俺、この戦いで死んだ! 何なら今死んだ!」


 下級士官達の心の叫びは、概ねこのようなものであった。あるいは声に出した者もいたようだ。しかし、「これはミーネ様の御下命である」と告げられた途端――……。


「なぁんだ。じゃあ、勝てるわ。心配して損した」

「てか敵、全然撃ってこなくね?」

「もしかしてさ、ヴィルへミネ様はそうと知って――……」

「流石、天才だ……」

「ヴィルヘルミネ様、万歳! 俺たちは絶対に負けないッ!」


 などと下級士官達の心は、百八十度変わってしまったのである。


 またこの時、実際にプロイシェ軍はフェルディナント軍が吊り橋を渡り切るまで、一切の攻撃を仕掛けてこなかった。

 このことが「神算鬼謀のヴィルヘルミネ」という評判と相まって、いかにも彼女が現出した魔法であるかのように思われたのである。


 むろんこれはプロイシェ軍にも思惑があり、その為に攻撃を仕掛けなかったのだが。そんなことは、オルトレップの知ったことでは無い。なので当然のように、ヴィルヘルミネへ対する信頼が増すばかりなのであった。

 

 ――流石はミーネ様! 今このタイミングでの前進であれば、敵軍が攻撃を仕掛けてこぬと分かっておいでであったとは! このオルトレップ、またしても感服致しましたぞッ! もはや、たとえ敵軍が何千何万いようとも、ミーネ様の御期待に応えるのみにございますッ!


 という次第でオルトレップの禿頭はますます輝きを増し、ヴィルヘルミネの勘違いから始まった大作戦は、誰のツッコミも受けずに粛々と進行していくのだった。

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