第206話 主従の絆
近衛連隊を率いて右翼の司令部にやってきたヴィルヘルミネは、さっそくトリスタンを叱責した。まずは勝手に
「何故、余の許可なく
馬上から憤怒の形相でトリスタンを睨み、赤毛の令嬢がプンスコと怒っている。はっきりいって、どこまでも理不尽な怒りであった。
だってトリスタンは参謀総長であり、軍制改革の実務を全て任されていたのだ。彼の発案によって変革された部隊は、それこそ山のようにある。にも拘らず
「はっ。全軍の範たる教導隊という意味もあり、戦技、語学、人格ともに優れた者を集めました。近衛連隊の戦技指導も彼等が担当しており――……」
「ぐぬぬ! ならば余計に、余が選抜すべきであったものをッ!」
ヴィルヘルミネの怒りは止まらない。どころか絶賛暴走中だ。
トリスタンも令嬢に叱られるなど初めてのことであったから、面食らって自分が悪いような気がしてきた。言われてみれば部隊の創設に際し、彼女を呼ぶべきだったかも、あれ? すみません――なんて思い始めている。いついかなる時も冷静沈着なオッドアイの参謀総長にしては、非常に珍しいことであった。
「はっ。申し訳ございません」
「じゃがの、教導隊と申すなら、何故これを奇襲作戦へ投入したかッ!? 結果として部隊が壊滅したのじゃから、もはや他の部隊に教えること能わず! これは大きな損失であろうがッ!
今更言うても詮無きことじゃが、なぜ
令嬢の言い分としては、「イケメンは余に選ばせよ。その上で、彼等は最奥で愛でるもの。なんだって最前線に投入しちゃうかな!?」というものである。
けれど、これを堂々と言うわけにもいかないから、ヴィルヘルミネは上記のような台詞を吐いていた。理屈としは何となく通っているような、いないような――……。
「壊滅……? ブルーノを……失った……? まさか、私の作戦を読んだ者が――敵将の中にいたのですか……?」
けれどヴィルヘルミネの言葉は、意外なほどトリスタンの心に突き刺さった。まるで串刺しにされた川魚の心境である。
そして彼は独自の推論により、今回の出来事を「失敗」と結論付けた。それは自らの身体に塩を振り、炎の中へ飛び込むような行為であるとも知らず……。
実際トリスタンはブルーノに、ユセフとジーメンスの護衛を命じている。無論あの時はプロイシェ軍に自分の作戦を見破る人物などいないと考えていたから、保険のつもりであった。
だからまさか
――敵に私の戦術を読む指揮官がいたとすれば、これは確かに私の油断が招いた失敗であろう。つまりヴィルヘルミネ様は、全てをご承知であられたのだ。
もちろんヴィルヘルミネは何一つご承知ではないから、トリスタンの作戦を読んだ敵将など知らない。ましてやジークムントなんて宇宙に輝く星々よりも遠い存在だと思っていたから、名前すら記憶の奥底に積み上げた木箱の中で眠っている。
しかし自ら塩焼きになったトリスタンが、その身を差し出してきたのだ。これを食べない令嬢ではない。さも全てを見通していたかのような顔で乗っかり、ヴィルヘルミネは参謀総長を見下している。
「――そういうことじゃ、愚か者めッ!」
こうしてフェルディナントが誇る稀代の参謀総長は直立不動で主君を見上げ、目に涙を溜めて謝罪の言葉を述べたのだ。
「申し訳ございませんでした、流石はヴィルヘルミネ様です――……やはり、全てを見通しておられましたか。今回のことは私の慢心が招いた失敗であり、弁明のしようもございません」
理不尽に叱られながらも納得し、謝罪の言葉を述べた挙句、「流石はヴィルヘルミネ様」なんて思ってしまうのだから、トリスタンの頭も大概毒されていると言わざるを得ない。
だが、お陰でフェルディナント最高の用兵家が、ついに敵将たるジークムント王子の存在を捉えたのだ。これによりトリスタンはあらゆる点を修正して対プロイシェ作戦を考えることになるのだから、ヴィルヘルミネの叱責もあながち無駄という訳ではなかったらしい。
一方、申し訳なさそうに表情を曇らせるイケメン参謀総長の姿に、思わずキュンとしたヴィルヘルミネはデレていた。
――め、目が潤んでおる。はー、あのトリスタンがシュンとするとはの。綺麗でカッコイイのにカワイイとか、反則なのじゃ……。ちょっと余、言い過ぎたかもしれぬ。
なんて思いながら口をモゴモゴと動かすミーネ様は、しかし素直になれないお年頃。だから結果、吐き捨てるように言った。
「トリスタンの馬鹿者め! わ、分かれば良いのじゃ……今度から気を付けるのじゃぞッ!」
こうして顔を背けた彼女は、頬を僅かに赤らめている。一体、どこのツンデレヒロインなのであろうか。
「御意。お叱り、肝に銘じまする。ところで閣下……ジーメンスとユセフは、無事に戻られましたか?」
「ん、無論じゃ。ブルーノ少尉が身を挺して時間を稼ぎ、彼等の撤退を援護したのじゃからの」
「そうで……ありますか」
トリスタンは瞼を閉じて、拳を握る。ならば、最悪の事態は避けられた。
だが自らの油断から、得難い友を死なせた事実は変わらない。辛うじて泣くのを堪えたトリスタンは、ぐっと奥歯を噛み締め震えていた。
一方ヴィルヘルミネはトリスタンにデレた結果、怒りの矛先が再びプロイシェ軍へと向いている。そもそもここへ、何をしに来たのかを思い出したのだ。
「トリスタン。以後の指揮は、余が直々に執る。我が忠勇なる臣下を屠りしプロイシェ軍に、正義の鉄槌を下してやるのじゃ! ゆえに卿は以後、参謀総長として余の傍らにあり、戦争指導の補佐をいたせッ!」
「――御意」
このように言われてしまえば、もはや参謀総長と言えども異論、反論の余地はない。ましてやヴィルヘルミネは戦争の天才だ(みんなの勘違い)。であれば戦争遂行にあたって彼女が指導するということは、誰にとっても頼もしいことなのである。
何よりトリスタンはヴィルヘルミネがブルーノの仇を取ろうとしているのだと知り、心が震える思いであった。
――ああ! ヴィルヘルミネ様は、なんと気高いお心の持ち主なのであろうか! 称うべきかな、我が主君よ!
トリスタンのヴィルヘルミネ像は、もはや勘違いと誤解と妄想で膨らんだ巨大風船のようなもの。だから彼女の実態が、あくまでも己が欲望に忠実なだけの少女だとは、断じて思えないのだ。
いつか真実を知った時、トリスタンは果たして失望するのだろうか。それでもなお、主君の為に忠誠を尽くすのだろうか。
あるいはヴィルヘルミネの奇跡は終わらず、永遠に醒めぬ夢の中を揺蕩うことが出来るのか――それは未だ、誰も知らぬことなのであった。
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