第203話 後悔先に立たず


 知らぬ間に戦士たちの魂を百六十人分も捧げられてしまったヴィルヘルミネは、この数日とてもイライラとしていた。

 どのくらいイライラしていたのかといえば、道を歩けば瓶を蹴飛ばし、足の小指を痛めて蹲る。これが悔しいからと大地をぶん殴っては、ジーンとする拳を抱えて涙目になる程のイライラっぷりであった。


 お陰でゾフィーは大忙し。敬愛する主君の足を傷付けた瓶を粉微塵と砕き割り、ヴィルヘルミネのへなちょこ攻撃によって抉れた大地をならす、八面六臂の大活躍。


 それを横目にエルウィンは、「なるほど。瓶がこのような所に転がっていることから、ヴィルヘルミネ様は軍規の乱れを嘆いておいでか……流石は天才だな。フフッ」なんて思う始末。

「フフッ」ではない。ちょっともうピンクブロンドの髪色をした青年は、令嬢に対する評価がブーストした上に青天井。なのでヴィルヘルミネが何をやっても「天才」「凄い」「可愛い」など、語彙すら無くす始末なのであった。


 赤毛の令嬢が、どうしてイライラしているのかといえば、それはトリスタンが「勝利は確実」と言った割に、敵が総攻撃を仕掛けてきたからである。

 だから「迎撃せよ!」と命じた令嬢は、「なんだコンチクショウ! 全然まったく勝っていないのじゃ!」と短絡的な怒りを爆発させていたのであった。


 もっとも国家を統治する摂政、あるいは全軍を統帥する総司令官という自覚なら、ヴィルヘルミネだって持っている。なので誰彼構わず当たり散らして暴君と呼ばれるよりは、モノに当たって変人扱いされた方がマシ。というわけで、こうして外を出歩く度に憂さを晴らしているのだった。


 ちなみに迎撃を命じられたトリスタンは、状況を確認する為にロッソウ将軍が守備する南側の要塞付近まで出張っている。

 一方、北側の村落にはオルトレップが出向き、敵が迂回してきた場合に備えているのだった。


 もちろんプロイシェ軍が慌てて攻撃を仕掛けてきたことにも、大きな理由がある。補給部隊をフェルディナント軍の奇襲部隊に潰されたことから、焦ったグロースクロイツ大公が、戦術を長期戦から短期決戦に切り替えた為だ。

 もちろんジークムントは作戦会議の席上において、こうした叔父の決断に反対したのだが。


「叔父上――……残された糧食の分量を考えれば、ここは速やかに撤退し、本国へ引き上げるべきです」

「ジークムント、貴様は我が軍よりも遥かに数が少ない敵軍を目の前に、何もせず帰れというのか? その意味が分かって申しておるのか?」

「意味と申しますと?」

「知れたこと。今ここで我等が帰還すれば、北部ダランベル同盟が瓦解する! だからこそ、ここは何としても短期で決着を付ける他に道は無いのだッ!」

「ですが叔父上がここで負ければ北部ダランベル同盟どころか、プロイシェ全軍が瓦解しかねませんよ?」

「だからこそ、勝つのだッ!」

「そう仰られても、叔父上。敵は、かのヴィルヘルミネ=フォン=フェルディナンド。彼女は補給部隊の襲撃にも精鋭部隊を派遣していましたし、全くもって油断のならない相手です。正直に申しまして――……叔父上には少々荷が勝ち過ぎるかと」

「ジークムント、貴様、言うに事欠いて、この私を愚弄するかッ! 補給部隊の襲撃をを察知した事、また敵の奇襲部隊を一部なりとも壊滅せしめたことは褒めてやる。だがな、この軍の指揮官は私だ! これ以上の差し出口は叩くなッ!」

「はぁー、やれやれ――……わっかりましたぁ」


 こうしてプロイシェ軍は南側の石橋を主な攻撃目標とし、三個師団を順番に使い、昼夜を問わぬ攻撃を開始したのである。

 もちろん総攻撃である以上、北側にも一個師団が派遣されていた。結果として残ったジークムントは予備兵力となり、戦いを後方で見守ることになったのである。


 当然だが、トリスタンにはこうした状況の推移が手に取るように分かっていた。しかし彼が幾分か予想外であったことは、奇襲部隊が迎撃されて敵の補給物資が三分の一ほど残ってしまったことと、それからグロースクロイツの戦場における強さであった。グロースクロイツは決して無能ではなく、正攻法が通用する戦場では、相応に力を発揮する男だったのだ。


 この総攻撃は、戦場南端に近い橋の攻防が主であった。

 したがって大軍同士の激突、ということにはなり得ず、だからこそグロースクロイツは大軍の利を活かし、三個師団を入れ代わり立ち代わり、昼夜を問わず投入した。こうして絶え間ない攻撃をフェルディナント軍へ加え、精神的、肉体的な消耗を誘ったのである。


 一方トリスタンも同様に部隊を三つに分けて対処したが、その主将たるロッソウは一人であった。

 いかにロッソウが鬼人と恐れられる武人とはいえ、不眠不休では戦えない。

 ゆえにフェルディナント軍は、常に変わらず安定して攻め寄せるプロイシェ軍に対し、徐々に劣勢に立たされていくのだった。

 

 ■■■■


 二日後、敵の攻勢が余りにも激しさを増したことから、ヴィルヘルミネは自分の置かれた状況が不安になってきた。こんなことならトリスタンの言葉など信じず、さっさと公都へ帰っておけば良かったと思う。

 奇襲に行ったというジーメンスとユセフが戻って来ないことから、もしや作戦が失敗したのでは――なんて思う始末なのであった。


 しかし僅かばかり本営に戻ったトリスタンを問い詰めても、「問題ありません。敵の攻撃は長く持ちますまい」と言うばかり。そんなわけで、ますます赤毛の令嬢の脹れっ面は増すばかりなのであった。


 しかも今日に至ってはヴィルヘルミネがいる大本営まで、敵の砲声が届いている。怒りに我を忘れそうな令嬢も、流石にビクリと肩を震わせていた。


 ――橋を占拠されたら終わりじゃ。どうしよう、これはもう降伏した方が良いのじゃろか?


 ついに弱気なことを令嬢が考え始めた時、タイミングよくユセフとジーメンスが帰還した。


「二人とも、よう戻ったの。して首尾はどうじゃった?」


 さっそく大天幕へ二人を招くと、ヴィルヘルミネは問うた。彼等が無事に戻ったという事は、任務も達成されたに違いない。となれば敵の食料は遠からず尽きるはずで、トリスタンが言うように勝利は間違い無いだろう。ホッとした。


 安心感から頬を緩めるヴィルヘルミネの姿は、さも二人の無事を祝うかのようで、ジーメンスとユセフは主君の温かさに感激しきりである。


 側にいるエルウィンとゾフィーも、心なしか安堵の表情であった。実際彼等も、敵の攻勢を不気味に思っていたのだ。もしも奇襲が失敗して敵が食料も物資もふんだんに持っているのなら、フェルディナント軍こそジリ貧になるのだから。

 

「任務は成功しました。ですが敵の補給物資を全て潰せたかと言えば、それは残念ながら力及ばず。およそ三分の一ほどの物資が、敵の手には残っております。また撤退時に敵の援軍を迎え撃った中隊から、百六十名ほどの戦死者が出ました」


 ユセフが淡々と、事実を言う。他にも報告すべきことはあったが、それを語るのは自分では無いと考えていた。


「なんと、それでは全滅も同然じゃ。いやしかし、まだ戦死と決まったわけではなかろう。迎撃したとはいえ、勝てぬと判断すれば、降伏という選択肢もあるのじゃからして、して」

「いえ。ブルーノ少尉は決して降伏など、しなかったでしょう。一個師団に囲まれて、生き残れたとも思えません――……それについては、ボクから説明をさせて頂きます」


 ジーメンスは空色の瞳でジッとヴィルヘルミネを見つめ、片膝を付いた。


「敵の補給部隊を壊滅しえず、味方を百六十名も死なせた責任は全て、ボクにあります。ボクを罰してください。どのような罰であれ、甘んじて受ける所存であります。そして散っていった鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの家族を、どうか――……どうか厚く遇して下さりますよう」

 

 前に会った時のポヨヨンとした表情から余りにも変わったジーメンスの鬼気迫る顔に、ヴィルヘルミネは唖然とした。しかも彼の語るところを聞けば、自らの失敗を詫びているらしい。


 だが点数だけは九十三点と男前になったことから、赤毛の令嬢はジーメンスに対する好感度を急上昇させた。お陰でしっかり話を聞こうと、彼の両手を取って自ら立たせている。何なら、「お茶をもて」とでも言いだしかねない雰囲気であった。


「ジーメンス――……余には卿の言葉の意味が、よく分からぬ。つまり戦場で一体、何があったというのじゃ? 卿を処断せねばならぬかどうか、余が理解できるよう、しっかりと報告せよ」


 ジーメンスから話を聞いたヴィルヘルミネは感動し、同時に激しく後悔をした。正直ジーメンスの処断とかは、もうどうでも良い話に変わっていた。


 ――なぜブルーノというイケメンを、余は見逃しておったのかァァァァ!? 聞けばトリスタンとの仲も中々というし、知っておればエルウィンとの三つ巴がァアアアア! 否、エルウィンはオーギュじゃからトリスタン&ブルーノが正式カプになり得たのでは――プギャァァァァ!


 こうして即座にブルーノが率いたという鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの生き残りの下へ、赤毛の令嬢は目に涙を溜め、駆け出したのであった。

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