第202話 戦士の本懐


 ブルーノは到着した敵本隊を望遠鏡で眺め、舌打ちを禁じ得なかった。


「ちっ……やはり厄介な敵だ。さっきの騎兵どもは、どうやら先遣隊に過ぎなかったらしい」

「ど、どうするのだね、ブルーノ少尉。ここは我々も一端退いて、体制を立て直すべきではないのかね?」


 ジーメンスが目を白黒させながら、ブルーノに問う。


「そうしたいのは山々だが……」


 肩を竦めたブルーノが、「お手上げ」といったポーズをした。


「ふざけている場合じゃあ無いぞ、ブルーノ少尉! ほら、奴等は砲兵を前面に出している。ここに居たら危険なのだよッ! さっさと退かなければッ!」

「どこに退くってんだ、ジーメンス。少しは考えろ、この森以外に敵を抑え込める地形はねぇんだ。脱出するだけなら難しい話じゃねぇが――……そうしたら敵は今からでも、こっちの本隊に追いついちまうだろう」

「ぐっ……じゃあ、どうするというのかね?」

「どうもこうもない。敵を、そうだな――……最低でも一日は、ここで食い止める」

「い、一日ッ!? まってくれ、ブルーノ少尉。敵は師団規模なのだよ!? それを一個中隊で凌ぐなんて、無茶が過ぎるのではないかねッ!? 全滅するに決まっているッ!」


 当初は死ぬことも辞さぬ覚悟だったジーメンスだが、鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼが鮮やかに敵を退けたから、うっかり命が惜しくなってしまったのだ。なので、こんなことを言っていた。

 だが実際、いかに鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼが精強とはいえ、たった二百の手勢で一個師団を相手にするのは荷が勝ちすぎる。ブルーノも頬を指で掻き、苦笑を浮かべてジーメンスを見た。


「うるせぇ、お前、俺たちを誰だと思っていやがる。フェルディナント最強を誇る鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼだぞ。

 しかしまぁ、万が一のことがあるかも知れんし、ガキの出る幕は既に終わった。てなわけでジーメンス、お前にゃあ一個小隊ほど付けてやるから、さっさと逃げろ」


 ブルーノは青い瞳に愉悦の色さえ浮かべていたが、彼が死を覚悟していることをジーメンスは鋭敏に察知した。


「な、何を言っているのだ、ブルーノ少尉。ボクは最後まで、共に戦うぞ……!」

「黙れ、ジーメンス。お前さんがいたら、足手まといだって言ってんだ」

「そんなことはないッ! 敵の一人や二人、必ず道連れにして見せるともッ!」

「……いいか、聞け、ジーメンス。俺たちは敵の補給物資を、三分の一以下にまで減らしたな? これは間違いなく、お前たちの功績だ」

「ボクたちの、だ。ブルーノ少尉、あなたの功績でもある」

「まあ、その点はいいさ。ともかく俺たちに補給物資を潰されたことで、敵は遠からず撤退するだろう。俺たちは勝ったんだ。あとは、どれだけ多くの兵が生きて帰れるかって問題でな……」

「だからあなたは、ボクたちを逃がすために犠牲になるっていうのか?」

「六百人全員が死ぬか、俺たちがここで踏ん張るかって話だろう。べつに犠牲になるつもりはねぇよ」

「ボクのせいだ。ボクが最初に、あなたの言うことを聞いていれば……」

「ばぁーか、今更そんなこと関係あるかよ。だいたいな、俺は死なねぇって言ってるだろ」


 優し気な笑みを浮かべ、ブルーノは静かに首を振っている。


「だ、だったら、ボクも残って最後まで戦う。勝てる可能性があるんだろう!? 鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼは最強なのだろう!? 死なないんだろう!?」

「おいおい、ジーメンス。馬鹿なことを言うな。お前は未来の元帥閣下だろう? 万が一流れ弾にでも当たったら、俺は死ななくても、お前は死ぬぞ?」

「ば、ばば、馬鹿なことを言っているのは、ブルーノ少尉の方だ! ボクはやると言ったら最後ま――ッ!?」

「やれやれ……世話を焼かせるんじゃない」

「――……うぐぅ、かはッ」


 ブルーノはジーメンスの腹部に当て身を入れて、気絶させた。これ以上、口論をしていても時間の無駄だと思ったからだ。

 それからシュミットを含めて四十人程の部下を呼び、ジーメンスを連れて逃げろと命令を下す。その部下達の全員が、妻子か恋人のいる者達であった。


「ま、待ってくれ、ブルーノ少尉! 俺もここに残るッ! 俺がいた方が、何かと役に立つでしょう!?」

「はぁ? 何言ってんだ、シュミット。お前が誰より役立つからこそ、このボウズを任せるんじゃあねぇか。たぶんコイツは、良い元帥になる。こんなところで死なせちゃあ、勿体ないだろう」

「し、しかし――」

「それに俺は、結構な利己主義者でな。妹の旦那を、戦場で死なせたくねぇのさ」

「だからって――……兄さん……」

「おう。嫌だ嫌だと思っていた呼ばれ方も、案外と良いもんだな。ハハハ」


 カラカラと笑うブルーノの顔を、しかし溢れる涙でシュミットは見ることが出来ない。自分は屈強で血も涙も無い男だと思っていたが、どうやら随分甘かったらしいと、このとき童顔の戦士は思っていた。


「兄さん……これからはずっと、そう呼ぶことになる……だから……ぐすッ」

「ハハハ、まあ、それはそれとして、これをクララに渡してくれよ。一応、念の為にな。それから――……ジーメンスには、この徽章を渡してくれ」


 そう言ってブルーノは懐から手帳を一冊、ポケットから徽章を一つ取り出した。徽章は銀色の薔薇と刀剣サーベルが交差した意匠だった。


「これは、俺たちの隊員徽章……?」


 手帳を大事そうに懐へしまってから、シュミットは言った。隊員徽章は部隊結束の証だ。


「ジーメンスのヤツに伝えてくれよ。お前はもう、鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの準隊員だってな」

「分かりました」

「おう。じゃ、時間も惜しい。もう行け――……シュミット。クララと幸せになれよ」

「はい。ですが必ず、生きてお戻り下さい……隊長」

「おうよ。だいたい俺が戦場から生きて戻らなかったことなんざ、一度だってあるか? ハハハ――……似合わねぇ敬礼なんぞしてねぇで、さっさと行きやがれッ!」


 こうしてブルーノはシュミットの尻を蹴り、四十名ほどの部下を追い出した。そして懐から酒の小瓶を取り出すと、残った百六十人の前で掲げて見せる。


「さて、どうしてお前らが残ったか、もう分かっているよなぁ?」

「俺たちこそ最強無敵、真の鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼだからであります!」

「おう、その意気や良し。だが違うんだなぁ。今残っているのは、国に恋人や妻のいない、モテない奴等ってことさ。もちろん、俺も含めてなァ!」

「「「「ウワハハハハハハ! そんなこったろうと思いましたよ! 隊長!」」」」

「だが、命の惜しいヤツは立ち去れ。止めはしない――……」

「隊長、そいつは俺たちを馬鹿にしてるんですかね? いる訳ないでしょう、そんなヤツ」

「そうか、助かる。それなら諸君、一つだけ朗報だ。ここで俺たちが踏ん張れば、ヴィルヘルミネ様の寵臣が二人も生き残るぞ」

「「「「「なんだ、なんだ? どういうことです?」」」」」

「つまりヴィルヘルミネ様の、お役に立てるってことさ」

「そりゃあいい。あの方の為に死ねるなら――戦士の本懐。天上界ヴァルハラで、戦神トゥールに自慢できるってモンだぜ」

「ああ、そうだな」


 ブルーノは不敵に笑い、「さあ、お前達も酒を出せ」と言った。


「「「「「おうッ!」」」」」


 鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの面々は全員、懐から酒の小瓶を取り出した。誰の顔も不敵に笑っている。


「今こそ女王陛下ヴィルヘルミネさまに、我等が魂を捧げよ――……乾杯プロージット!」

「「「「「乾杯プロージット!」」」」」


 ■■■■


 翌十七時五分――鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼは見事に一日以上の時間を稼ぎ、百六十名全員が死亡した。

 

「フフッフー――……流石はヴィルヘルミネの精鋭部隊。ずいぶん手を焼かせてくれましたが、これにて終幕でぇす」


 焼け野原となった森の中、ブルーノの死体を見下ろし、薄笑みを浮かべるジークムント。

 その手には最後の襲撃を仕掛けてきたブルーノを迎撃し、彼の身体を両断した刀剣サーベルが未だ握られている。


 ジークムントは不思議な動きで刀剣サーベルをクルクルと回しながら、ブルーノの突撃をいなすと同時に、胴体を斬りつけた。フェルディナントの者は誰も見たことが無い、不思議な剣術であった。

 体格的には圧倒的に劣るジークムントが、均整の取れた肉体を誇るブルーノを圧倒したのだ。


 いや、それだけでは無い。

  

 ジークムントは同時に三方向から鋼鉄の薔薇シュティーム・ローゼの生き残りに襲われながら、それらを斬り、薙ぎ、払い、秒殺している。

 そもそも鋼鉄の薔薇シュティーム・ローゼは護衛たちに気付かれることなくジークムントへ接近し、攻撃を加えた程の猛者たちだ。それを軟体王子はたった一人、細身の身体で一蹴したのだから、恐るべき剣の腕前であった。


「ご無事ですか、閣下!?」

「問題ないよ。こういう場合も想定して、私は訓練をしていたからねぇ」

「そ、そうでありましたか。しかし、その剣術は一体どこで?」

「フフッフー。この技は『輪廻』と言ってね。先生は東方からやってきた人で、凄く華奢なんだ。私にピッタリの武術だと思ったから、無理を言って教えて貰ったのさ。興味があればキミにも教えてあげるけれど、最初は痛いよぉ?」


 ピタリと止めたジークムントの刀剣サーベルから、まだ暖かい血が刀身を伝い、大地へと零れ落ちた。

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