第201話 血は血で洗え


「ふぅん――……つまり、あの森に入った途端、馬が勝手に転び、落馬した兵達に敵の銃弾が降り注いだ、ということかい?」


 十四時十五分、第五師団の本隊を率いて戦場に到着したジークムントは、下馬して跪く騎兵連隊長を馬上から見下ろし、ため息交じりにこう言った。

 敵の罠に嵌ったことは理解できる。それによって損害がでたことは、致し方ない。だが僅か二百の敵勢に一千の騎兵が翻弄され、いいようにやられるとは、流石にジークムントも考えていなかった。


 ――敵は撤退もせず、森に陣営を築いて抗戦するつもりか? いや、もしかしたら六百のうち大半を撤退させ、二百程度の兵で守っているのかも知れない。だとしたら時間稼ぎだが――余りにも手際が良過ぎるぞ。

 そういえばフェルディナントには精鋭部隊がいると聞いた事があるけれど、何と言ったかな――ああ、鋼鉄の薔薇スティーム・ローゼだ。やっぱり実在していたのかぁ。


 このときジークムントは状況から推察して、凡そ正確な事態の推移をすぐさま導き出した。

 そもそも敵に騎馬兵力があったなら、最初の迎撃で歩兵が前面に出てくることはあり得ない。同様に砲兵がいたなら、森へ誘い込まれた時点で砲撃があって然るべきなのだ。

 従って敵は精強な歩兵のみで、しかも数が少ないということが予想できたのである。


 とはいえ騎兵指揮官は、未だ状況が掴めていない様子。彼は平身低頭ジークムントに弁明を繰り返すばかりで、何ら建設的な言葉を口にしなかった。


「は、その……敵は周到に迎撃の準備を整えていたようでして……」

「なるほど。貴官は私が敵に周到な準備が出来る程の時間を与えたと、そう言うのかな?」

「そ、そのようなつもりは、毛頭ございませんがッ!」

「フフッフー――……」


 物言いが多少は癪に障ったが、しかしジークムントに部下の無能を咎める気は無かった。どちらかといえば、二百の手勢で一千の騎兵を撃退せしめた敵指揮官に対し、尊敬の念を抱いている。だから意味深に口の端を吊り上げ、笑っていたのだ。

 そんな師団長の姿が不気味過ぎて騎兵連隊長は、更に低く頭を下げた。ただでさえ兵を消耗させた挙句、第六王子の機嫌まで損ねれば、自身の将来に響くからだ。


「い、いたずらに兵を損ねましたること誠に申し訳なく、弁明のしようもございません!」

「まあ、いいさ。一刻も早く補給部隊を救うために君達を先行させたけれど、急いては事を仕損じる――とも言うしね。その通りになっただけのことさ。だいいち、敵が罠を仕掛けて待ち受けている可能性を示唆しなかった私にも、十分に落ち度はある。とはいえ――……」


 ジークムントはここで騎兵連隊長に立ち上がり、馬に乗るよう指示を出す。その上で言葉を続けた。


「敵も我が方の補給部隊への攻撃は断念したらしい。ならば十分に援軍の目的は果たしたと言えるし、犠牲に相応しい戦果を挙げたとも言えるだろう。ところで――……彼我の正確な被害状況は?」

「はっ、我が方の損害は死傷者百二十六名、重軽傷者はありません。敵の損害は――……恐らく軽微……かと」

「百二十六名、全員が殺されたというのか? ……それは可哀想に。で、敵の損害は軽微というと、いかほどかな? ある程度の損害を与えているのなら、いかようにも勝利と取り繕うことは出来るけれど」

「そ、それが、その……一兵の死体も見当たりませんでしたから、負傷者くらいは……」

「フフッフー――……アハハハハハハ!」


 ジークムントは思わず吹き出し、腹を抑えて笑い出した。一千の騎兵が二百程度の歩兵に、しかも一方的にやられるなど、前代未聞の珍事である。しかもやられた側の騎兵指揮官が、それを認識すら出来ていないとは……!


「な、何がおかしいのです、師団長閣下!」

「いやぁ、それはつまりキミ、我が方は百二十六人も殺されて、一人の敵も殺せなかったということじゃあないか! そうならそうと、最初から言えばいい。大敗しました、とね!」

「し、しかし、これは敵の悪辣な罠が……!」

「ああ、そうだろうとも。だがそうなると、話は変わってくるね。ここは是非とも戦って勝たねば、我が軍の立場が無いよ。

 まさか六百の兵に奇襲を許し、三千の兵でも補給物資を守り切れず、その後は一千の騎兵が二百の歩兵に翻弄されたなんて。そんな話が万が一他国に知れ渡ったら、我が国はいよいよ軍国の看板を下ろさなければならない。アーハハハハッ! まぁ、私はそれでも、全然構わないのだけれどね!」

「に、二百の敵勢――……で、ありますか? なぜ、そのようなことが分かるのです!?」


 不思議そうに自分を見つめる騎兵指揮官に、この時初めてジークムントは侮蔑の色が滲んだ金色の目を向けた。


「あらゆる状況を鑑みれば、そうとしか考えられない。そして貴官は状況を鑑みずに部隊を突撃させた結果、百二十六名もの得難い戦士を失ったのだ。指揮官の無能は兵を殺す――……貴官はそれを、肝に銘じるといい」

「い、いえ……しかし、その……」

「言い訳はいいさ、聞きたくない。君はただ今回の失敗を悔い、反省して二度と間違いを犯さなければいいんだ。むろん――この敗北の責は、私も負う。そして一つの勝利により、戦士たちの魂を慰めるんだ。たとえそれが偽善だとしても、我が国に今必要なのは、たった一つの勝利なのだから」


 前方の森を睨み、ジークムントがやんわりと言う。


「と、いうことは――軍を進めるのですか?」

「もちろん。前進しなければ、敵を殲滅できないからね」

「し、しかし――……目の前の森には、未だ敵軍が潜んでいるやも知れず。迂闊に踏み入れば、我が部隊の二の舞となるやも知れません」

「うん。間違いなく、敵はまだ潜んでいるね。何せ敵にとっては、この森こそが最初にして最後の砦なのだから。でも、だからこそ私は、貴官の二の舞になどならないよ」

「……一体、どうなさるおつもりですか?」


 騎兵連隊長が恐る恐る問うと、ジークムントは金色の長い睫毛を揺らし、一度だけ瞼を閉じた。失われた百二十六名の兵の為に祈りを捧げ、その後、再び瞼を開く。


「フフッフー。敵の罠は、森に点在する。だったら私は面で進み、それを噛み破るだけさ」


 ジークムントは薄く笑い、陣形を再編。砲兵を横一線に展開するのだった。

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