第200話 生きて帰るまでが奇襲です
ジークムントの派遣した騎兵部隊が現地に到着したのは、十三時十分のことであった。彼がヒルトマン少尉の報告を受けてから、僅か四十分後のことである。
これはまさに電光石火の行動で、流石にブルーノさえ「速すぎる……」と、背筋に冷たい汗が流れた程だ。
しかしブルーノにとって、敵の援軍は予測の範囲内でもあった。速度を重視すれば、当然ながら部隊編成は騎兵に偏ってしまう。だからこそ彼は、森に無数の罠を張ったのだ。
「ブ、ブルーノ少尉。ほ、ほほ、本当に、敵を森の中へ引きずり込めば、か、かかか、勝てるのかね?」
ブルーノと共に
迫りくる敵は、全てが騎兵の一千余り。一方で味方は三個小隊百二十名の歩兵に過ぎず、今は全員で横陣を作り、銃剣を構えている。
「まぁな。お前さんが撃って逃げるだけの簡単な仕事をしくじらなきゃあ、勝算は十分にあるぜ」
ブルーノは片目を瞑り、ニヤリと笑って隣に並ぶジーメンスに答えた。彼等士官も今は兵卒と一緒に銃剣を構え、敵に備えているのだ。
ジーメンスは迫りくる敵を見つめ、ゴクリと唾を飲む。
死ねばもう、唾を飲むことさえ出来なくなるのか――そう思うと俄かに身体が震えてきた。それを強引に気力でねじ伏せ、再び敵を睨む。
――死んでたまるか。ボクは絶対ヴィルヘルミネ様から元帥杖を貰うのだからねッ!
ブルーノはそんなジーメンスを横目に悠然と前方を見つめ、敵との距離が一定になったところで命令を下す。
「弾込めッ!」
「え、ええ!? まだ、全然届かないのだがね!? い、いま弾を込めろなんて……!?」
「用意ッ!」
「ええっ!?」
「撃てッ!」
ブルーノの号令が響く。全てはタイミングが命だ。
ジーメンスは納得しかねたが、自ら志願して
――ああもう! これじゃあ、敵兵を一人も倒せないのだよッ!
だがブルーノに言わせれば、これで良かったのだ。
もしも敵を射程距離まで引き付けてから引き金を引けば、自分達が森の中まで逃げ込む時間を失ってしまう。たとえ敵を倒せたとして、自分が死んでは意味が無いのだ。
なにより発砲すること自体に意味があった。
敵は歩兵が発砲したとなれば、突撃体制に入るだろう。次の装填までの時間を考慮すれば、騎馬突撃の方に分があるからだ。だからここで、あえてブルーノは敵に届かない弾を撃ったのである。
「ようし、総員――退けッ!」
ブルーノの命令と共に、全員が反転した。ジーメンスも銃を肩に担ぎ、わっと走り出す。騎兵が追って来るから、必死過ぎる程に必死であった。
森へ入れば、そこかしこに罠がある。馬の脚を引っ掛ける為に、無数のロープが張られていた。引っ掛かれば人間だって転ぶし、一度ロープに触れれば、せっかく雪で隠したものが台無しだ。
だから他の者は罠を設置した第三小隊の後に続き、走るのだった。
そうして逃げながら、ジーメンスは不思議なことに気が付いた。
――も、もしかして余裕が無いのは、ボクだけなんじゃあないのだろうか……!?
こんな考えにゾッとしたジーメンスだが、気付けば後ろ、十数メートルのところまで敵騎兵が迫っている。
いくら味方に余裕があったところで自分が敵に追いつかれたら、やっぱり死ぬしかない。だからジーメンスは必至で走り、一人だけ汗まみれになりながら、やっとの思いで安全圏に入ったのである。
そこでようやく振り返ると、信じられない光景が広がっていた。
次々に足を縺れさせ、落馬する敵の騎兵たち。その後は馬の腹に潰され絶命する敵もいれば、起き上がろうとして頭や胸を撃ち抜かれて絶命する敵もいた。
先程まで逃げていた側が、一転して敵を一方的に蹂躙している。しかも誰一人として無駄弾を撃たず、必ず敵の急所に命中させていた。
暫くすると、流石に敵も異変に気付いたのであろう。突撃を中止し、小隊ごとに固まり周囲の警戒を始めていた。
「遅い」
底冷えするようなブルーノの声が、ジーメンスの耳朶をうつ。
すると
ある者は樹上から敵の背後に降りて、首をナイフで掻き切った。
ある者は側面から忍び寄り、銃剣で敵の左胸を貫いて。
ある者はロープを垂らし、敵の首へ引っ掛け絞め殺していた。
ジーメンスはそうした異様な戦い方を目の当たりにし、ブルーノの隣で茫然としている。剣も銃も格闘も、それなりに自信を持っていたが、もしも彼等を敵に回したなら、一秒と経たずに殺されるだろう。
ジーメンスの口元に、乾いた笑みが浮かぶ。
――ボクは……ボクは無力だ。
余りの無力感に、自然と涙が零れ落ちる。ジーメンスは袖で目元を拭い、ぐっと唇を引き結んだ。無力な自分を思った時、自然と湧き上がる疑問があったから。
――これだけの戦闘能力を持った部隊なら、別にボクやユセフがいなくても奇襲を成功させられたのでは?
「ブルーノ少尉、教えて欲しい。あなたの本当の任務が、何であったのかを……」
目を真っ赤にして問うジーメンスの頭を、ブルーノはクシャクシャと撫でた。
「どうだ。戦い方ってぇのは、色々あるだろう。真正面から戦うだけが、戦争ってワケじゃねぇんだぜ」
「ど、どうやら、そのようだね。あなたが敵では無くて良かったと思う……だからぜひ、本当の任務を教えてくれないかね?」
「ま、お前はまだ若い。これからもっと、色々なことを学べ。そうしたらきっと、良い元帥閣下になれるからよ」
「も、もちろん学ぶとも。だからその、ブルーノ少尉――……」
「俺の任務は奇襲を成功させることさ、それ以上でも以下でもねぇよ。ただし成功には一つ条件があってな――そいつは、みんなが無事に帰るってことさ」
「……ぶはっ!」
ジーメンスは時と場も弁えず、破顔した。ブルーノの考え方が、大いに気に入ったのだ。
みんなが生きていなければ、意味が無いと常々思っている。ユセフやカミーユが死んだらと思うと、ジーメンスはたまらなく怖いのだ。だからこそ彼は、「みんなを無事に帰すことが出来る指揮官」というものに、誰よりも憧れていた。
「お願いがあるのだ、ブルーノ少尉。今度ボクにも
「ああ、いいとも。もう既に俺たちは、一緒に戦った仲だからな。いつでも
こうしてブルーノは
だがこの時ブルーノは、まだ知る由も無かった。これが第五師団の先遣隊であり、この時点で本隊が迫っているのだということを……。
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