第199話 軟体王子と小隊長


 ジークムントが索敵兼狩猟に出していた小隊から報告を受けたのは、十二時三十分のことであった。天幕の中で昼食の林檎を齧っていた彼は、顔面を蒼白にして報告に訪れた小隊長に対し、「いやぁ……、兵への配給を減らした手前、私も大したものを食べることが出来なくてね」と肩を竦めている。


「は……はぁ!? 林檎なんてどうしたのですかッ!? 生鮮食品なんて、もう無かったはずでは……!? だから補給部隊がこちらへ向かっていたのでしょう!?」


 が、報告に戻った小隊長からすれば、信じられないものを見た思いであった。何せ生鮮食品を満載した補給部隊が襲われている様を先程その眼で見てきたというのに、あろうことか目の前で上官が、その生鮮食品を食べているのだから。


 まさか自分が見たのは夢幻で、実際はとっくに補給部隊が到着しているんじゃあないかとまで考えてしまう始末。お陰で小隊長――ヒルトマン少尉は敬礼の前に身を乗り出し、思わず林檎をマジマジと見詰めてしまったのである。


「ああ、これかい。近在の村に使いをやって、通常よりも高く買い取らせて貰った。兵への配給を減らしたからね、私からのささやかなプレゼントさ。もちろん、君の分もあるよ」


 野戦用の執務机の上にある皿から林檎を一つ取り、ジークムントはヒルトマンにポイと投げた。慌てて受け取り左手に持って、彼はようやく上官に敬礼を向ける。

 そういうことなら補給部隊が襲われていたことに間違いはなく、急ぎ先程の状況を報告すべきだと思ったからだ。


「はっ、有難く頂きます! っと、それよりも閣下、大変ですッ!」

「大変というと、なにかな? 今日の獲物は一匹も無し――とか、そういうことかい?」

「呑気に狩りをやっている場合では無くなったのです、閣下! ここより東方五キロほどの渓谷において、我が方の補給部隊が敵の襲撃を受けておりました!」

「そりゃあ大変だね。で、敵勢は?」

「騎兵、歩兵、砲兵の混成からなる、凡そ六百です!」

「ま、妥当な数だね。けれど六百の敵勢なら、補給部隊の護衛――というか、我が師団の補充兵三千で対処は十分に可能だろう。にも拘わらず君がそれほど慌てているのは、どうしてかな?」

「それが、敵は障害物により補給部隊を足止めした上で、断崖上から砲撃を加えております。また騎兵部隊と砲兵部隊の連携も見事な用兵としか言いようがなく、我が軍は劣勢にあり、一刻も早く援軍を出さねば全滅の恐れもあるかと……」


 流石に三千の部隊が六百の敵に蹂躙されているというのは、任務とはいえ言い難い。ヒルトマン少尉は渋面を作り、もにょもにょと口ごもってしまった。


「なるほど。つまり敵は精鋭部隊、ということかな?」

「お、仰る通りであります!」

「そうか、まぁ、そうだろうね――……敵が奇襲を仕掛けてきた場所は、言うなれば絶好のポイントさ。最初からここに狙いを定めていたのなら、フェルディナントの作戦は見事としか言いようが無い。我が軍の陣営からも、十分に距離をとっているのだから」

「では、援軍は間に合わないのでしょうか?」

「はぁーあ。奇襲をするならさ、ここだって分かっていたんだよ、私には。でも分かっていながら、伏兵の一つも用意出来なかった。それもこれも、頭の固い叔父上のせいだ。くそー、そのせいで余計な苦労をする羽目になるなんて……でも、仕方が無いよねぇ。私には実績なんてないのだし……あー、嫌だ嫌だ」


 不満そうに唇の先を尖らせて、ジークムントがブツブツと文句を言い出した。小隊長としては、ちょっと聞いてはいけない内容だったので、こっそり目を逸らして素知らぬ顔をしている。


「でも!」


 突如として立ち上がりクルクル回り出したジークムントが、ピタリと止まる。芯だけになった林檎を右手で掲げ、左手は腰に、黄金色の瞳は直立不動の小隊長に注がれていた。謎のダンスだった。


「補給部隊が交戦中とあらば、これこそ既成事実というやつさ。叔父上に無断で兵を動かしたとしても、彼等の救援であれば咎められる筋合いはない。フッフー! よく見つけてくれたね! 君の働きは、千金に値するよ!」

「は、はぁ」


 ヒルトマンは気の抜けた返事をしつつ、ジークムントに敬礼を向けた。報告が終わったから、回れ右をして天幕の外へ出ようと思ったのだ。

 まぁ、林檎の芯を頭上に掲げる師団長に敬礼を向けて回れ右をした、なんて経験は生まれて初めてだったけれど、そんな新しい師団長が、今だけは何故か頼もしく見えたのも事実である。何故だ!?


 ――いや……よく分からんが、あの人ぜんぜん焦ってないし……何だかんだ食料を手に入れているし、実はこれ、本当に何とかなるんじゃあないか?


 そんな風に思うヒルトマンは天幕の外へ出るとすぐ、その気持ちが間違いないものであったことに気付く。既に第五師団は補給部隊の救出に備え、慌ただしく動いていたからだ。


 なにしろ全てを予測済みのジークムントにしてみれば、部隊の出撃は既に決定事項。であれば当然、出撃の準備は万端である。

 ましてや報告に戻ったヒルトマンが偵察に行っていた場所など、とっくに承知の上。だから彼が血相を変えて戻った時点で、既にジークムントは出撃命令を下していたのだ。


 要するに、この軟体王子が知りたかったのは敵の数と編成だけ。その為に報告を聞いたのである。

 だからこそヒルトマンが司令部の天幕を出た時には、既に騎兵部隊一千が隊列を整え、補給部隊の救援へと進発したところなのであった。


「は、速い……うちの新師団長って、やっぱりポンコツ王子じゃなかったんだ……」

「ポンコツは酷い言われようだよぅ?」


 唖然としているヒルトマンの横に、ジークムントが並んだ。どうやら彼も天幕から出てきたらしい。

 王子は相変わらずクネクネと動いていたが、そこは気にせずヒルトマンは慌てて非礼を詫びる。


「あ、いえ、その……も、申し訳ございません!」

「いいさ、気にしていない。君達のように努力して士官になった者から見れば、私は王子だというだけで師団長になったボンクラに見えるのだろう? フフッフー……返す言葉も無いさ、その通りだからね」


 実際、ジークムントは気にしていなかった。既に視線は馬を引き、こちらへやって来る士官へ向けられている。士官はジークムントの副官であった。


「本隊の準備はどうかな? もう出撃できるかい?」


 ジークムントが副官に問う。


「既に万端であります」

「よろしい、じゃ、行こうか」


 手にした林檎の芯をポイと捨て、ジークムントは副官が連れてきた白馬にひょいと跨った。それからヒルトマンを見下ろし、ニンマリと笑う。


「あぁ、ヒルトマン少尉。君の小隊は、本作戦に参加しなくても構わないよ。どうせ叔父上と連絡を取る部隊をここへ残さねばならないし、他にも索敵に出した部隊だってあるしね。じゃ……」

「え、あ……ちょっと待ってください、師団長! 小官の名を覚えていて下さったことには感謝しますが、一つ質問がッ!」


 既に歩ませていた馬の足を止め、ジークムントが後ろを振り返る。


「何かね、少尉」

「あ、あの、司令部に残るのは、まさか私の小隊と、これから戻る十個小隊だけ……なのでしょうか?」

「……うん。他は全軍で補給部隊の救援に向かうよ。それが何か?」

「え、いや……敵は僅か六百ですよ? それを十倍の兵で叩こうと言うのですか!?」

「ヒルトマン少尉。君は言ったね――敵の用兵は見事だ、と。実際にその六百の敵部隊が三千の我が補給部隊を翻弄しているのなら、私は躊躇わずに六千の兵を動かすよ。出し惜しみなんて、するわけが無いじゃあないか」


 プラチナブロンドの髪が風に揺れ、黄金色の瞳が怪しげな光彩を放つ。ジークムントは口の両端を吊り上げて笑みを浮かべ、灰色の空へと右手を伸ばしていた。

 そんな彼にヒルトマン少尉は底知れぬ怖さを覚え、直立不動で敬礼を向ける。いっそ、あんな男を敵に回すフェルディナント軍こそ哀れだなどと、得体も知れぬことを考えてしまうのだった。

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