第198話 鋼鉄の薔薇


 ブルーノは敵の偵察部隊が接近したことに気付き、すぐさまジーメンスとユセフに伝令を飛ばし撤退を促した。


「敵の偵察部隊が近くまで来ていた痕跡がある。ただでさえ敵軍の方が数に勝る状況で、これ以上の交戦は危険だ。退け」


 こうしたブルーノの意見を、しかしジーメンスは「フフン」と笑い飛ばしてしまう。


「ブルーノ少尉は高所から障害物を落としただけだから、きっと不貞腐れているのだね。しかしながら敵の偵察部隊が本隊へ戻り、それから援軍が到着するまで、少なく見積もっても二時間は掛かるだろう。となれば一時間で敵を壊滅させ、残りの一時間で撤退を完了させれば十分だと、ボクは思うのだがね!」


 伝令にこんな返事を持たせて、ジーメンスは攻撃を続行した。当然彼はユセフにも、「攻撃続行」と伝えている。

 ブルーノは戻った伝令の報告を聞き、肩を竦めていた。副長のシュミットを見て浮かべる苦笑いに、若干の怒りが滲んでいる。


「やれやれ、若気の至りだな。大人のことを穿って見るのは……」

「しかしまぁ、ブルーノ。ジーメンス少尉の言っていることは概ね正しい。偵察部隊に見つかったからといって、即時撤退に至るほど状況が差し迫っている訳では無かろう。それに今までの手際を見る限り、あと一時間も攻撃を続行すれば、奴等なら敵を壊滅させるはずだ」

「まぁな。そうであれば万々歳だし、俺が言うことなど何も無いのだが……」

「何か、不安なことでも?」

「考えてもみろ、シュミット。敵が偵察部隊をこの辺りに放っていたってことはだ、俺達の奇襲を予測していたんじゃあねぇか? だとしたら、そんなヤツは強敵と相場が決まっているだろうよ」


 シュミットは干し肉をひと齧りして、「ふむ」と顎を撫でた。となれば、敵は「一時間以内に来る」と考えた方が良い。


「するとブルーノ……俺達は、いよいよ鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼとして働かにゃあならんということか」

「敵の来襲が早ければ、な」

「オホン――では、少尉殿。いかほどの敵が来ると思われますか?」


 一つ咳ばらいをしてから表情を引き締め、シュミットが戦士の顔つきになる。身に纏う雰囲気が一変したその様は、童顔にも関わらず凄惨たる迫力があった。

 彼がブルーノに対する口調を改めると、周囲の部下達の雰囲気も一変する。のらりくらりとした歩兵部隊から一転、彼等は誰もがフェルディナント最強と呼ばれるに相応しい、圧倒的な覇気を身に纏うのだった。


「さあな、そこまで分かる訳がなかろう。だが――……俺達は鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼ。常に最悪の場合を想定しろ。撤退戦となった場合に備え、急ぎ森林地帯に罠を設置。同時に二個小隊を狙撃兵として、潜ませておけ」

「はっ!」


 もはやシュミットは、指揮官の言葉に異を唱えなかった。すでに気持ちを切り替えたのだ。

 ブルーノが部隊の頭脳だとすれば、シュミットは神経系である。彼は即座に部隊指揮官の指示を各小隊指揮官に伝え、小隊長達はブルーノの手足の如く、忠実に命令を遂行していくのだった。


 こうして第三、第四、第五小隊は数分で近在の森へ出向き、いくつもの罠を設置。そのまま第四、第五小隊は敵が到達した際の狙撃兵として、潜伏する。

 戻った第三小隊は、第一、第二小隊と共に、囮として罠を仕掛けた森へ敵を引きずり込む役割を担うのだった。


 それらの準備を全て終え、ブルーノは独り言ちる。


「まぁ、予想が外れてくれれば楽なのだが……」


 しかし、現実は甘くない。彼の視界に敵第五師団の騎兵部隊が巻き上げる雪煙が見えたのは、僅か数秒後のことであった。


 ■■■■


 ジーメンスが最悪の事態に気付いたのは、気持ち良く敵を砲撃している最中のこと。

 灰色の空は午後になっても変わらないが、雪は止んでいた。そんな中で地上から立ち上る雪煙に、ふと違和感を覚えたのである。


「あれ……は?」


 目を凝らすまでも無く、騎兵部隊の接近だと分かった。乾燥した大地であれば巻き上がるであろう砂塵が、雪上ゆえに雪に変わっている。だがその広がりを見れば、敵勢の数も凡その見当が付いた。


「五百――……いや、千はいるのだよッ!」


 目を白黒させつつも、ジーメンスは悲鳴だけは上げなかった。指揮官である自分が動揺すれば、兵達に恐慌が広がってしまうから。

 そんな時だ、彼の下にブルーノからの伝令が再び訪れた。


「即座に兵を纏め、後退すべし」


 伝令にも関わらず、威圧的な口調だった。


 ジーメンスはムッとして睨んだが、今は文句を言えない状況だ。実際に撤退すべきだし、もっと言うなら、自分だってそうしたい。

 けれど残念ながら今から兵を纏めても、間に合わないだろう。退くにしても一端は北へ進み、そこから大きく迂回して西方へ向かわなければならないのだ。これを騎兵に追いつかれず大砲を引いて後退するなど、不可能と言わざるを得なかった。


「いや――……退くのはユセフの騎兵中隊とブルーノ少尉の歩兵中隊だけだ。ここはボクが盾になり、時間を稼がせて貰おう。あれだけの数の騎兵だ、足止めが必要だからね」


 この時ジーメンスは、紛れもなく死ぬ覚悟であった。だから震える声で涙目になりつつ、両拳を握り締めてブルーノが派遣した伝令に言っている。


「そうかい」


 伝令は目深に被っていたフードを捲ると、ニィと笑った。そして大きな手でジーメンスの頭をクシャクシャと撫でてから、親指をグッと立てる。


「良く言ったな、お前さんは。部下を――……仲間を見捨てねぇ将軍ってのは、嫌いじゃねぇ」


 呆気に取られてジーメンスが顔を上げると、そこにはブルーノ少尉その人がいるではないか。


「あれ……伝令は?」

「伝令を出そうにも俺の中隊はもう、全員が敵を迎撃する為に駆け回っている。てなわけで、一番ヒマな俺が、お前に伝えに来たってわけさ。また何だかんだと文句を言われても、かなわんからなぁ」

「な……迎撃? や、やめてくれ、何を考えているのだね、ブルーノ少尉! 敵はどうみても騎兵だ! しかも千以上はいるだろう! 後続だっているかもしれない! それをたった二百人の歩兵で、どう止めようというのかねッ!?」

「それを言ったらジーメンス少尉。お前さんこそ、たった四門の砲で、どうやってそれを相手に時間を稼ごうと思ったんだ?」

「そ、それは、その――……とにかく撃ちまくって時間を稼げば、ユセフとあなたを逃がすくらいの時間なら……」

「じゃあ、お前さんの中隊の兵はどうなる? 逃げられず、死ぬのか?」

「そ、それは、もちろん、志願者だけで――……」


 パンッ!


 乾いた音が鳴った。次の瞬間、ジーメンスは大きく横に吹き飛んだ。


「な、殴ったね!?」


 殴られた左頬を抑え、横たわりながらジーメンスが喚く。


「殴って何が悪い? お前は俺たちを逃がす為なら、自分の部下を犠牲にしてもいいと考えていやがるのか?」

「そ、それは――……だったら、ボク一人でも」


 上半身だけを起こしたジーメンスに歩み寄り、ブルーノは髪を掴んでもう一発殴った。


 パンッ!


「二度もった! 父上にもたれたことが無いのにッ!」

「一人で敵が止められるなら、誰も苦労なんざしねぇよ。いいか、ジーメンス。今ここで最良の手は、俺達に任せてお前達が逃げることだ。それがもっとも被害を少なくする方法だって、そう言ってるんだ……!」

「あ、あなたこそ、ボクたちの為に、し、死ぬ気なのか……?」

「あぁん? それこそ、まさかだぜ。俺たちは死なねぇし、お前たちを死なせる気もねぇ」

「何を根拠に、そんなことを……」

「そんなもんは、決まっている。地形と部隊各人の戦闘技術が、生残性の根拠だ」


 顔を近付け、ブルーノが凄む。だが今度ばかりはジーメンスも負けずに、睨み返していた。


「だ、だったら、ボクの部隊はユセフに任せる。今度のことは、ボクの判断ミスだ――……だからあなたが残って戦うと言うのなら、ボクにも一緒に戦わせてくれ」


 睨み合った末に、ブルーノが折れた。時間が惜しかったからだ。もう一度ジーメンスの頭に手を乗せて、「分かったよ」と言う。


「そりゃいいが、お前、俺たちの足だけは引っ張るんじゃあねぇぞ」

「う、うるさい! これでもボクは、エリートなんだぞ! それを――……」

「じゃあ、そのエリートとやらが、どこまで鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼの戦いについてこれるか、見極めてやろうじゃあないか。なあ、ジーメンス少尉」

「ん? え、は? 鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼって……え? え? えぇぇぇぇええええ!? あの精鋭部隊の!? あ、あなたがッ!?」


 盛大に驚くジーメンスはあんぐりと口を開けたまま、頭を引っ張られて立ち上がる。それからゴクリと唾を飲み――指揮権を部下に委譲した。

 ユセフには部隊を纏めて撤退するよう伝言を残し、ジーメンスは一人、超精鋭部隊である鋼鉄の薔薇シュティール・ローゼに合流したのだった。

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