第197話 強気になったジーメンス


 ユセフは大砲を撃ちまくるジーメンスの部隊から離れて、比較的断崖の緩やかな場所から指揮下の騎兵部隊を街道へ降ろしている最中であった。


「腕に自信の無い者は、馬に足場を選ばせろ。戦って死ぬのならともかく、転落死では話にならんからな」


 部下に声を掛けつつ手綱を巧みに操り、ユセフは馬を駆って断崖を降りて行く。こうした技術は幼い頃から馬と共にあったからこそ、身に付いたものだ。

 奴隷に堕とされたとはいえ、元を辿ればユセフ家は騎馬民族の末裔である。だからイルハン=ユセフにとって騎馬による奇襲は、むしろ本領発揮といえるものなのであった。

 

 一方プロイシェ軍も、ただ黙ってやられていた訳ではない。指揮官が倒れても主席幕僚がいるし、首席幕僚が倒れれば次席幕僚が指揮を執ればよい。軍隊とは常に不測の事態に備えた組織であるからこそ、指揮権の移譲はスムーズなのである。


 そもそも敵は、フェルディナントの奇襲部隊より遥かに数が多い。フェルディナント軍の六百に対し、プロイシェの部隊は三千であった。砲の数も違う。フェルディナント軍が四門ならプロイシェ軍は十門と、倍以上の差があった。


 つまりプロイシェ軍は体制を立て直し、奇襲部隊の位置さえ掴むことが出来れば、十分に反撃の余地があったのだ。


 実際プロイシェ軍はジーメンス中隊の激しい砲撃に晒されながらも、何とか次席幕僚が指揮権を引き継いでいる。その上で彼は真っ先に、フェルディナント軍の位置を特定すべく命令を下していた。


「狼狽えるな! 部隊指揮官、首席幕僚は倒れたが――私が健在だ! 砲撃の密度から考えて、敵部隊は少数と思われる! まずは敵の位置を確認せよ! しかる後に反撃だッ!」

「大尉殿ッ! 右側の断崖から、光! 砲撃地点と思われます!」


 ジーメンスの攻撃は、大砲の仰角を最大限に上げてプロイシェ軍の直上から砲弾を落とすやり方だ。従って砲弾の飛来する方向からでは、フェルディナント軍の位置は掴みにくい。その為、プロイシェ軍は砲弾発射時の閃光を頼りに、ジーメンス中隊の位置を特定したのであった。


 右側の断崖上から砲弾が撃ち込まれていることを知るや、次席幕僚は即座に大砲による反撃を指示している。やがて十門の砲が一斉に火を噴き、断崖上のジーメンスは沈黙を余儀なくされた。


 だがこれは、ジーメンスの部隊が壊滅したことを意味しない。敵に位置を特定されたことから、移動を開始しただけである。


「やれやれ。ようやく敵が、ボクたちの位置を特定したらしい。いよいよユセフの出番というわけだね」


 ジーメンスはニヤリと口元に笑みを張りつけ、ユセフが向かった断崖の下方へ視線を向けた。

 敵の砲口が断崖上へ向いた今こそ、騎兵部隊が突撃する絶好の機会だ。砲撃が無いと分かっていれば、騎兵が歩兵を蹂躙するなど容易いことなのであった。


 ■■■■


「突撃ッ!」

 

 刀剣サーベルを振り上げ、ユセフは馬腹を蹴った。馬蹄が土交じりの雪を跳ね上げて、大地を揺るがせる。二百の人馬が、三千の敵兵に臆することなく斬り込んでいく。


 ユセフは騎兵達の先頭で、敵の真っただ中を駆け抜けた。彼が刀剣サーベルを振るうたび、血飛沫を上げてプロイシェ兵が一人、また一人と倒れていく。

 年長の部下達は皆、若年とは思えないイルハン=ユセフの働きに瞠目した。


 大人でも三千の敵勢へ二百で飛び込むなど、恐ろしい。けれど僅か十三歳の少年指揮官が臆さず進む姿を見てしまえば、怯むことなど誰も出来なかった。


 兵に勇気を奮い立たせることが出来るのも、優れた騎兵指揮官の資質であろう。それをユセフは、間違いなく持っている。


 ジーメンスの初撃で倒れた敵指揮官が方陣を敷こうとしていたのは、実のところ騎兵突撃を警戒していたからだ。もしも彼が健在であったなら、方陣によって騎兵突撃に備えつつ、断崖上のジーメンスを砲撃することが出来たかも知れない。


 その意味において最初に敵指揮官を無力化させたジーメンスの判断は、見事であった。指揮を引き継いだ次席幕僚は断崖上の砲撃にのみ気を取られ、後背の備えを疎かにしたのだから。


 だが、それにしてもユセフの手並みは鮮やかだ。敵の陣形の隙を穿ち、縫うようにして断崖上を狙う砲兵に迫る。そして彼等を突き、薙ぎ、払って次々に無力化していった。

 こうしてユセフはプロイシェの増援部隊を散々に蹴散らし、三千の兵を細切れ状態にしたのである。


「ええい、狼狽えるな! 敵は少数だ! こちらも騎兵部隊で応戦しろ!」


 もちろんプロイシェ軍も、即座に対応しようとした。

 けれど敵の対処を待ってやるほど、ユセフもお人好しではない。さっさと騎兵部隊を引き上げて、混乱する敵を尻目に、再び雪の中へと姿を晦ますのだった。


 ユセフの部隊が姿を消すと、移動を終えて狙いを定めたジーメンスが再び砲撃を開始する。幸い敵の砲撃による損害も無く、四門の砲は全て健在だ。


「次は大砲を狙おう。あれを沈黙させることが出来れば、敵を殲滅できるかも知れない。六百の兵で三千もの敵を殲滅できたら、そりゃあ大手柄なのだよ!」


 普段は臆病なジーメンスにしては珍しく、やや熱くなっていた。このままいけば、「寡兵で大軍を破った」という栄光を手に出来るのだ。もちろん手柄は三等分になるとしても、嬉しくないわけが無い。ましてや、ここで敵の補給部隊を叩く意味は彼にも分かっている。


 ――ボクが東部戦線における我が軍の勝利を、決定付けるんだ!


 そもそもトリスタンは、二万三千の兵力で六万の敵軍と対峙していた。そうである以上、正面決戦において勝利を収めることは、ほぼ不可能である。だからこそ「敵の補給部隊を叩き、撤退に至らしめる」ことを作戦目標に定めたのだ。

 その最終段階を自らの手で行えるのだから、ジーメンスが高揚感に包まれるのも、無理からぬことであった。


 もっとも、これほど重要な局面を僅か十三歳の少年に任せたことに関して、トリスタンは後に「油断していた」とエルウィンに語っている。

 むろん彼は万が一に際してブルーノという保険を掛けていたから、油断と言う程ではないのだが――それでも今までの戦いの経緯から、自分の作戦を読んでいる者は、敵中に居ないと判断をしていたのだ。このことをトリスタンは、「油断」と表現したのである。


 実際、トリスタンの考えは半ばまで正しかった。

 要塞に籠城する味方を救出出来なかったからと第五師団長が更迭され、新たにやってきたジークムントが作戦の意図に気付くまで、プロイシェ軍司令部の面々は、誰もトリスタンの作戦目標に気付いていなかったのだ。現状から判断するならば、やはり気付かれていない――と考えるのが妥当であろう。


 ましてや現時点でジークムントについてフェルディナントが持っていた情報は、精々が第六王子というところまで。まさか類稀なる軍才を持ってるなどと、国の内外を問わず、誰も知らないのである。


 仮にジークムントにヴィルヘルミネ並みの軍才(実際は彼女を遥かに上回る軍才だが、トリスタンの勘違いは、もう取り返しがつかない)があることを知っていれば、トリスタンは彼の存在を常に警戒しただろう。


 だが逆にいえば、そのお陰でジークムントは総司令官たるグロースクロイツの信任を得られず、トリスタンの作戦を根本から潰すことが出来なかったのだが……。


 しかし、それでもジークムントはトリスタンの作戦に対し、最大限に対処した。

 師団全員へ配給する糧食を半分に減らし、狩猟と称して近隣の索敵を行わせている。そして彼の索敵は、まさに功を奏したのだ。

 攻撃を受ける味方の補給部隊を発見したジークムント麾下の一隊は、急ぎ戻ると即座に師団長の判断を仰いだのである。


 この時、もしもジーメンスが普段のようにウサギ並みの臆病さを発揮していたのなら、ジークムント麾下の一隊を発見することが出来たかも知れない。そうなれば彼のことだ、大慌てで撤退したであろう。

 現状、既に敵の補給物資をある程度は破壊している。ならば現時点をもって目的達成と判断し、撤退行動へ移っても問題は無かったのだ。


 しかしジーメンスの中で燃える功名心が、その邪魔をした。その分だけ行動が遅れ、結果としてジークムント軍の接近を許すことになってしまうのだ。

 

 ジークムントは報告を聞くや、第五師団の総力を挙げて現地へと向かった。むろんこれは叔父であるグロースクロイツの命令を完全に無視していたが、補給部隊を叩かれているとあっては異論、反論のあろう筈もない。全ては事後承諾で、彼は誰よりも迅速に動いたのだ。

 そうしてフェルディナントの奇襲部隊は一転、窮地に立たされるのであった。

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