第196話 エリートなジーメンス


「喜べ、お前たち。ようやく貯めに貯めた雪やら木やらを、崖の下に落とすことが出来るぞ」


 断崖の下を覗き込み、ひょいと顔を戻してブルーノが眼前の部下達に言う。彼等とは十年来苦楽を共にし、年齢も近い。何より彼等は、フェルディナント軍屈指の精鋭揃いであった。現代風に言えば特殊部隊である。


 ブルーノ中隊の面々は一人一人が戦う為のあらゆる知識を有し、一人でも一個小隊の戦力に相当するとトリスタンに言わしめた強者たちだ。


 中でも副長のシュミット准尉はブルーノにとって無二の親友であり、隊の中でも一、二を争う強者である。しかも彼は今回の戦いが終わればブルーノの妹を妻に迎えるから、未来の弟でもあるのだった。

 そのシュミットが肩を竦め、一同を代表してブルーノの軽口に軽口で応えている。


「てっきり万年少尉の隊長が余りにも役立たずだから、俺達も、いよいよ工兵に鞍替えかと思ったぜ」


 シュミットの意見に他の部下も乗り、笑っている。


「まったくだ。木を切ったり雪を丸めて大きな玉を作ったり――……その内に家を建てろとでも言わるのかと思ってましたよ、ねぇ、シュミット副長! ははは!」


 部下たちの言葉を聞き、ブルーノは口をへの字に曲げている。


「あのなぁ、お前ら――一昨日にも説明しただろう? ここは歩兵である俺達が、敵の足止め役を担うのが筋だってよ」

「そりゃまあ、そうだがね。だからといって、このまま俺達は本当に後ろへ引っ込んだままでいいのか? 戦闘任務をガキ二人に任せっきりにしちまうってのが、俺はどうもなぁ……」

「まあ、そう言うなよシュミット。今のところ全ては順調――ことが作戦通りに進めば、砲兵も騎兵も危険は少ない。若者に経験を積ませる、絶好の機会になるだろうさ。もちろん、何かあれば助けるとしても、な」

「ん……ああ! ブルーノ! 参謀総長直々の命令だって聞いていたから何事かと思えば、お前――分かったぞ! 本当の任務は、ガキどもの護衛なんじゃねぇのか!? ハハハ! そうなんだろう!?」


 シュミットが面白そうに青い瞳を輝かせ、ニヤニヤと笑っている。彼は隆々とした筋肉の上に、年齢不相応の童顔を乗せていた。

 全てにおいて均整の取れたブルーノと並ぶと、全体的にシュミットの方が一回り大きい。だというのに年齢が若く見えてしまうのは、その童顔ゆえなのであろう。


 なおブルーノは妹に「老け顔」と云われ、けっこう傷付いている。だが彼の名誉の為に言うならば、間違いなくシュミットよりもブルーノの方が整った顔立ちだ。ただ、それが妹の好みの顔ではなかった――というだけのことで。

 

 ともあれブルーノは形のよい鼻を指でポリポリと掻きながら、明後日の方向へ顔を向けている。任務の内容を秘匿する意図は無かったが、出来れば余り知られたくはない。誰かの口からジーメンスやユセフに伝わりでもすれば、彼等が傷つくだろうから。


「な、何のことかな?」

「何年の付き合いだと思ってるんだ、誤魔化したって無駄だよ――ブルーノ」

「……ったく。トリスタンが言うには、才能がある奴等なんだとさ。おまけに、ヴィルヘルミネ様からの信頼も厚い。ただ、無茶をしがちな年齢だから、決して死なせるなと。ま――……才能に関しちゃ、俺も同感だ。奴等は俺達のような戦争屋とは違う。きっと良い将軍になるぜ。ああ、いや――元帥って言ってたか」

「へぇ……ブルーノににそこまで言わせるなんざ、あの坊主ども、中々のもんだなぁ」

「ま、でも、まだまだガキさ。そんなことよりシュミット。俺の話に納得したら、さっさと仕事に掛かれ。俺達の出番が、これだけで終わることを願いながらな」


 こうしてブルーノ少尉率いる歩兵部隊は、断崖上から雪や岩石を次々と落としていく。進路を塞がれた形のプロイシェ軍は騒然となり、たちまち混乱の坩堝と化していくのだった。


■■■■


「雪崩かッ!?」

「違います、中佐殿! 敵襲でありま――……ああああああッ!」

「狼狽えるなッ! 敵襲というなら対処のしようもあるッ! 輜重隊を中心に方陣を敷けッ!」

「中佐殿! しかしこの地形では、正確な方陣は敷けません!」

「正確でなくとも構わん! 敵の狙いは我等が運ぶ補給物資だ! これを死守せよ! それから伝令ッ! 敵襲を受けたことを味方に何としても伝えるのだッ!」

「で、伝令は本国かそれとも……」

「グロースクロイツ大公閣下に決まっておろうッ! 本国に伝えたところで予算がどうのと大臣どもが騒ぎ立て、援軍が来るのは来年になるだろうよッ! いいからさっさと動け! 死にたいのかッ!?」


 ジーメンスは敵の指揮官と思しき男を望遠鏡で眺め、じっと見つめていた。身振り手振りは大仰ながら、的確に指揮を執ってるように思われる。「うーむ」と唸り、だが彼はすぐに決断を下した。


「曹長、散弾を用意。あの男を狙って撃てば――確実に殺せるかね?」


 ジーメンスは四門の砲を並べた中心で、砲兵を束ねる曹長に問うた。


「散弾ならば命中せずとも、概ね。万が一生き残っても、重傷で動けますまい」

「うん、じゃあ、よろしく頼むよ。敵の指揮系統は、早めに潰しておきたいからね」

「……はっ」


 ジーメンスに敬礼を向けて、曹長は砲撃の準備に取り掛かった。部下達に使う砲弾を指示し、大砲の仰角を上げる。

 ジーメンスの命令は明確で、散弾を上から降らせ、敵の指揮官を仕留めろ――というものであった。だから曹長は、技術的なことに専念をしている。


 散弾は地形を変えるような破壊力こそ無いが、砲弾の中に仕込まれた無数の金属片が爆発と共に飛び散ることで、人間に対する殺傷能力は絶大だ。

 敵指揮官がこれに当たれば、死ななかった場合でも間違いなく重傷となる。それで指揮能力を喪失すれば、十分にジーメンスの目的は果たされるのだ。

 

 ジーメンスは灰色に曇る午後の空を見上げ、乾いた唇を舐めた。頬に当たる雪が、炎に焙られたかの如くに溶ける。身体が熱くなっていた。


「では射撃用意――――撃てッ!」


 ジーメンスが命令と共にサーベルを振るうと、砲声が轟いた。次の瞬間、敵指揮官の上に散弾が降り注ぐ。肉が抉れ、裂け、飛び散って、人馬が赤い血の花を咲かせていた。

 敵指揮官は馬上から崩れ、血だまりの中に倒れている。ジーメンスの目論見は、どうやら成功したようであった。


 曹長は眼下に広がった阿鼻叫喚の地獄絵図を見て、思わず少年指揮官の横顔を覗き込む。こんなものは、少年が見て良い代物ではない。大人だって馴れていなければ、胃の内容物を全て吐き出しても不思議では無い状況であった。


 だがジーメンスは曹長の心配を他所に、冷然と崖の下を見つめている。しかも彼は望遠鏡を覗き込み、目標だった敵の指揮官を探しているようだ。


「雪煙が立ち上ったせいで、よく見えないね」

「……初弾命中、目標の撃破を確認しております」

「――ん、そうかね、それは良かった。では、次は輜重部隊へ狙いを定めてくれ。焼夷弾にて、これを焼き払う」


 ジーメンスは馬に引かれたいくつもの荷車を指差しながら、新しい命令を下した。

 

 ――まだ十三歳だと聞いていたが、なんとまぁ堂々としたものだ。こういう人が、名将なんて呼ばれるようになるのだろうな。


 曹長はボンヤリとジーメンスの横顔を見つめている。


「曹長、曹長、どうしたのかね? 体調が悪いのなら、先任軍曹に任務を代わって貰うといいよ」

「あ、いえ――ジーメンス少尉の肝が、余りに座っていたもので。少し驚いていました」

「ふぅん、そうなのかね」

「ええ、そうなんです。では――……」


 そう言うと曹長は早速ジーメンスの命令を実行し、焼夷弾を使い敵の荷馬車を燃やしていく。

 

 このとき、もちろんジーメンスの内心は、「ヒェェェェェ……雪に血が沁み込んで、怖すぎるのだがねッ!」というものであった。しかしまぁ、そこはそれ。

 彼のエリート意識は、決して人前で狼狽えることを良しとしない。それが功を奏して、ジーメンスは部下の心をガッチリ掌握することに成功したのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る