第195話 雪中の奇襲部隊


「ユセフ――……あの黒い影は、どうだね?」


 軍服の上から白マントを羽織り、雪の中でガチガチと奥歯を鳴らしながら、隣で望遠鏡を覗き見るユセフにジーメンスが問うている。寒すぎて歯の根が合わないのだ。

 答えるユセフの声も、細かな震えを含んだものであった。

 

「間違いない、あれはプロイシェ軍の補給部隊だ。補充兵もいるが、奇襲が上手く行けば十分に叩ける数だろう。しかし、まだ少し遠いな……」


 トリスタンに志願して奇襲部隊を任されたのは、ユセフ、ジーメンスの両少尉であった。彼等は互いに騎兵中隊と砲兵中隊を指揮して、敵の補給路を眼下に見下ろす断崖の上にいる。

 といっても、彼等だけでは心もとない。歩兵を指揮する古参兵上がりの先任少尉が、彼等のお目付け役をトリスタンから仰せつかっていた。ブルーノという男だ。彼は側で蒸留酒ブランデーを一口煽り、身体を芯から温めている。


「飲むか、温まるぞ」


 歩兵少尉が二人に瓶を差し出し、ニィと笑う。


 ジーメンスは、のらりくらりとしたブルーノという男が苦手であった。今も寒さを紛らわす為とはいえ、酒を煽っている。どうしてこんな男が参謀総長に信任されているのか、イマイチ分からないのだ。そんな訳でジーメンスはブルーノの誘いを、にべもなく断っている。


「いや、要らないよ。ボクは酒に弱いからね」

「そうかい。じゃ、そっちの黒い坊主は?」

「俺も酒は、あまり得意じゃなあない。不要だ」


 ユセフは特にブルーノが苦手という訳でも無いが、酒に付き合おうという気はおきなかった。


「そうか。若すぎるってのも、難儀だな。しかし凍えてしまっては馬の手綱も握れんし、砲の仰角だって調整出来なかろう?」


 付き合いの悪い若手士官二人を見つめ、ブルーノ先任少尉は肩を竦めている。


「大丈夫。戦闘が始まれば、嫌でも熱くなって身体も動く――……そういうことは、もう分かっているのだよ。それよりブルーノ専任少尉こそ、飲み過ぎて実戦で動けない、なんてことは勘弁してくれたまえよ?」

「へっ、言ってくれるじゃねぇか、若造が。あんまり大人をナメるんじゃあねぇぞ」

「ナメてなんかいない。ただボクは、この作戦を必ず成功させたいだけさ。その為に問題となるようなことは、極力排除したいと思っているだけのことでね」


 ジーメンスは強がりの笑みを浮かべ、ブルーノが手に持つ酒瓶を見つめていた。


「へぇ……そりゃ、ご立派なことで。にしても、お前達は何だってこんな任務に志願したんだ? 聞けばヴィルヘルミネ様の御学友って言うし、だったらエリートなんだろう? それならもっと後方で、なんていうか――……最前線なんぞ出ずに、英才教育ってやつを施されていた方がいいんじゃあないのか?」

「エリートだからさ。エリートだからこそ誰よりも前に出て戦わなきゃあいけないし、ヴィルヘルミネ様の学友だからこそ、あの方が恥を搔かないよう、ボクらは勇気を示さなくっちゃあいけない。

 それに、ボクとユセフには夢がある。海軍にいる兄弟と共に、ヴィルヘルミネ様から元帥杖を貰うっていうね! だから手柄が立てられそうな場所には、率先して行くようにしているのさ!」


 何やらカッコイイことを言うジーメンスであったが、相変わらず奥歯はガチガチと震えていた。ついでに鼻水も出ているから、なんとも情けない有様である。


「夢――……か」


 少壮の少尉は一言呟き、もう一口酒を煽った。


 奇襲に参加した三個中隊六百名は全員が白いマントを纏い迷彩を施して、二日ほど、この場所に伏せている。当然ながらその間、火も使えず暖かな食事も摂っていない。


 余りの寒さにジーメンスは、何度もくじけそうになった。それでも我慢したのは夢の為だ。今も身を軋ませる寒さの中、夢があるからこそ、じっと敵を待っている。


 それから一時間ほどして、今度はブルーノが望遠鏡を取り出し敵を視認した。


「さて。どうやら、十分に敵を引き付けることに成功したようだ。お前ら、凍え死んでねぇか?」

「大丈夫だよ。ブルーノ少尉。既に二日も待ったボクたちだ、僅か一時間くらい、どうってことない。さあ、ユセフ――……待ちに待った、攻撃開始の時間だよ」


 普段はポンコツなジーメンスだが、この時は珍しく獰猛な笑みを浮かべ、ユセフの肩にトンと手を乗せた。


「ああ。だが、ジーメンス――……お前、本当に砲兵の指揮を任せて大丈夫なのか?」

「問題ないさ。ボクはいずれは元帥になる男なのだから、どの兵科も満遍なく扱えなくてはね!」

 

 ■■■■


「では、ここからは予ての手筈通りに」


 ジーメンスが歩兵部隊を指揮するブルーノに敬礼を向けると、彼は穏やかな笑みを浮かべて答礼した。酒を飲んでいたとは思えない、凛とした佇まいだ。


「任せてくれ。未来の元帥閣下の為にも、上手くやって見せるさ」

「茶化さないでくれたまえ。あなただって、まだ三十なのだし可能性はあるはずだ。成功すれば手柄はきっちり三等分――中尉に昇進することは間違いないだろう。だったらブルーノ少尉だって、いつかは元帥になれるかも知れないのだから」


 ジーメンスは不愉快そうに眉根を寄せて、ブルーノを睨んでいた。さきほど夢について語った恥ずかしさが、今頃になって背筋を這い上ってくる。


「茶化してなんか、いないさ。歳をとるとな、嫌でも自分の器ってモンが見えてきちまうんだ。それで考えると俺は人の上に立つ器じゃあねぇし、どう頑張っても大尉が精々ってところだろう。そもそも俺は骨の髄まで兵士なんだから、今だって分不相応なんだぜ? ハハハ……」


 腰に手を当て、あっけらかんと少壮の少尉は言う。諧謔と捉えるには些か自虐的とも思えたから、ジーメンスとユセフは沈黙を保っていた。


「――だがな」


 二人の逡巡を見越したかのように、ブルーノは肩を竦めて言葉を続ける。


「俺は兵であることに、下士官であることに誇りを持っている。まあ、繰り上がりで士官になっちまいはしたが――……だから将軍や元帥だとしても、俺はろくでもないヤツの下に付く気は無いんだ。自分の命を惜しんで兵を盾にするような連中の為になんぞ、死んでやるかと思っているからな」

「「はぁ」」


 ジーメンスとユセフは相手が何を言いたいのかを推し量れずに、気の抜けた返事を返すことしか出来ない。


「ま、何が言いたいかっていうと――ジーメンス少尉、ユセフ少尉。お前達なら案外、いい元帥になれるかもな、ってことさ」


 ビッと親指を立てたブルーノに、ジーメンスとユセフは再び敬礼を向ける。それから表情を引き締め、三人はそれぞれ持ち場へ向かって行く。が、その前にジーメンスがユセフに声を掛けて。


「な、なぁ、ユセフ。先任少尉は少し酔っていたのかね? いまいち意味が分からなかったのだが……」

「ジーメンス。俺は元奴隷の家庭で育ったから分かる気がするのだが――……あの人はきっと、俺達を激励してくれたのだろう」

「はぁ? ……あのような男に激励される謂れなど、ボクには無いのだがね」

「そう言ってやるなよ、ジーメンス。さっきの言葉、裏を返せば――ヴィルヘルミネ様の為なら死ねるって意味じゃあないか? その上で俺達に教訓をくれて、褒めてくれたんだろう。きっとな……」

「やれやれ、我が友ユセフときたら。よくもまぁ、あんな飲んだくれの肩を持てるものだよね。何であれボクとしては、彼が足を引っ張らないでくれるのなら、それで十分だよ」

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