第193話 東部戦線異状なし


 捕虜交換式がつつがなく終わり、ヴィルヘルミネは参謀総長トリスタンが指揮する東部戦線へ視察にやってきた。軍隊ごっこが恋しくなったのだ。


「んむ。みな寒い中、本当にご苦労じゃの」


 雪の降る中、トリスタン以下の将兵を馬上から見下ろし、ヴィルヘルミネが慰労の言葉を掛けている。馬も人も吐く息は白く、身体の芯から凍える程の寒さであった。

 けれど赤毛の令嬢に応える将兵の熱気は、灰色の空さえ気焔で燃やし尽くす程のもの。彼等は拳を突き上げ、声を嗄らして叫んでいる。


「「「ジーク・ケーニギン・ヴィルヘルミネ!」」」

「「「偉大なる戦神の姫巫女よ!」」」

「「「卑劣な征服者に鉄槌をッ!」」」


 キョトンとするヴィルヘルミネに、左右で色の違う瞳を閃かせてトリスタンが説明をした。


「兵達は、敵がプロイシェのグロースクロイツ大公と知っております。ゆえにヴィルヘルミネ様にはそれ以上の権威ある呼称をと――それで女王ケーニギンと申しているのでしょう」

「で、あるか」


 赤毛の令嬢は「なぁんだ、そんなことか……」と納得し、雪の中で居並ぶ兵士達に軽く手を上げ、頷いている。

 自分が女王になるなどと露程も思っていないヴィルヘルミネにとって、これは単なるおべっかであった。


 ――まったく。余を煽てたとて、夕食の干し肉が増える訳でもあるまいに……ま、良いか。言われて悪いものでも無いのじゃからして、して。


 ヴィルヘルミネが高貴な身分である以上、おべっかや追従はつきものである。だから彼女は微笑み、何も言わなかったのだ。

 しかしトリスタンを始めとした諸将は、そこにヴィルヘルミネの壮大な稀有を見る思いなのであった。


 ――ああ、流石はヴィルヘルミネ様! すでに女王であるかの如き振る舞いだ……! と。


 むろん、勘違いである。

 しかし諸将は顔を見合わせ頷き合って、共有する妄想を深化(悪化)させていく。彼等は一体、ヴィルヘルミネを何だと思っているのだろうか。


 ――ヴィルヘルミネ様は、いずれ必ずダランベルの女王となられる。その為にもこの戦、完全勝利で決めなければ。


 無表情ながら絶対的忠臣であるトリスタンは、心に誓っていた。


 ――ぬぅぅぅぅぅぅおおおおッ! このロッソウ、ミーネ様が戴冠なさるまで、絶対絶対死なないんじゃもん!


 齢六十にして、老ロッソウはますます盛んである。この元気があれば、彼はきっと百歳まで現役で戦うだろう。はち切れそうな筋肉が、それを証明していた。


 ――頭の寒さなど、ミーネ様のお姿を拝せば一瞬で吹き飛ぶわッ!


 オルトレップの禿頭は輝きを増して、双刀も輝きを増した。


 ――ミーネ様にとっては、女王ケーニギンなど通過点に過ぎない。僕はどこまでもお供して、いつか……。


 エルウィンの心は理想郷へ旅たち、夢の中で遊弋中だ。ピンクブロンドの髪に触れる粉雪が、まるで妖精のようであった。


 ――女帝陛下の為に、わたしは全身全霊を掛けるッ!


 ゾフィーに至っては、既にヴィルヘルミネの社会的地位が向上しまくっていた。女王どころか、すでに帝冠まで戴く始末である。


 だが令嬢本人は、臣下の気持ちなどまったく知らない。むしろ「寒い中で閲兵など、これっきりじゃ!」と思っていた。挨拶が済むと馬首を返して、そそくさと大天幕へ向かう。

 何せヴィルヘルミネは、冬の雪山を調子に乗って馬で踏破した。お陰で今は、寒くて寒くて仕方が無い。だからはやく天幕へ入り、暖を取りたいヴィルヘルミネなのである。


「「「「オオオオオオオオッ!」」」」


 だというのに兵達の士気はうなぎ上り。ヴィルヘルミネの背中に、熱烈な歓呼が浴びせられた。

 ビクゥゥッ! と馬上で尻を浮かせたヴィルヘルミネは、もう一度だけ手を上げ、ヒラヒラと振る。「散開せよ」との意味を伝えたのだ。


 ――なんぞこれ、暴動か?


 令嬢の内心はドキドキだ。ランスの現状と合わさって、「もしや余、兵に反乱を起こされて、首を斬られるのかの? ヒィィィ……それは絶対に嫌じゃぁぁ」と半ベソである。


 けれど兵士達の意図は、まるで違っていた。何しろ彼等はヴィルヘルミネが来た以上、それで勝利は確定したと思っている。軍事の天才、戦神の姫巫女の存在は、フェルディナント軍にとって絶対なのだから。


 ――うう。こんなに怖いなら、来なければ良かったのじゃ……。


 そんなヴィルヘルミネが東部戦線の視察へ訪れたのは、全くの気まぐれであった。ただ単にトリスタンから、「戦勝間近」との報告を受けたからである。

 

 なにで令嬢に指揮を執る気などサラサラなく、野次馬根性を発揮しただけのこと。自軍が勝つ様を高みの見物でもしよう――という腹積もりだったのに、いつの間にやら熱狂する兵士達に囲まれて、生きた心地のしないヴィルヘルミネなのであった。

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