第192話 ヴィルヘルミネの提案
「ポール=ラザールを頼る?」
あからさまに嫌そうな表情で、オーギュストがオウム返しに問う。これがヴィルヘルミネの提案に対する答えであった。
だが赤毛の令嬢は怯まない。ポール=ラザールは公国の息が掛かった、いうなればスパイ。そして彼は立憲君主派の盟主でありマクシミリアン=アギュロンの政敵であるがゆえ、バルジャンとは利害が一致しているはずなのだ。
もしこの二人が手を組めば、アギュロン率いる
しかもバルジャン派とアギュロン派の対立がより深くなるはずだから、それぞれの陣営に身を置くオーギュストとアデライードの仲は、さらに引き裂かれようというものだ。
これこそ、完璧な策なのじゃ!
――と、ヴィルヘルミネは足りない頭で考えた。たとえ他人の仲を引き裂いても、自分の恋が上手く行く保証など無いというのに。それどころか自分の恋心さえ未だ認識できない、ポンコツで残念な心しか持ち合わせていないというのに……。
「そうじゃ。考えてもみよ、オーギュ。ラザールはそもそも、立憲君主派を明言しておったじゃろ。加えて十人委員会の序列もそこそこに高く、しかも金持ちじゃ」
ふふんと胸を反らして言い募る令嬢は、片目を瞑り得意満面であった。「余、他国の政治にも精通しておるよ? どうじゃ、可愛かろ?」と言わんばかりのドヤ顔で、オーギュストを真正面から見つめている。
なおラザールが金持ちというが、それはフェルディナントの潤沢な資金を彼に注ぎ込み、複数の紡績工場を経営させているというバックボーンがあるからだ。
むろん、そこにラザール自身の企業努力や賄賂を惜しまぬ汚職性も加わった結果、国内有数の資産家となったのだが、基本はフェルディナントのマッチポンプである。
したがってポール=ラザールの背後にいる人物こそ、誰あろうヴィルヘルミネ本人なのだ。むろん、その点をランス共和政府に悟らせるほど彼を使うヘルムートは甘くないし、監督役のリヒベルグは激辛なのだが。
なのでこの時オーギュストは、まさかヴィルヘルミネが自らの走狗を頼れと言っているだなどと、夢にも思わないのであった。
「ポール=ラザール……確かにあの男には、金も力もある。だが、圧倒的に人望が足りない。汚職の百貨店と言われるような男だぞ? そんなヤツにバルジャン閣下を近付ける訳には……」
「丁度良いでは無いか、バルジャンには金と政治権力が足りぬのじゃろう? 一方でラザールには人望と武力が足りぬ。これをお互いに補いあえば、アギュロンが率いる
「いや、ミーネ。だとしても、ヤツは危険過ぎる。必要とあれば、祖国でも売りそうな男だぞ」
オーギュストの言い分は、全くもって正しかった。実際にポール=ラザールは、金で祖国を売っている。ただし問題は、それを買っているのがフェルディナントであるという事実であった。
もっともラザールをスパイに仕立て上げたリヒベルグとて、好き好んで彼を使っている訳ではない。何しろポール=ラザールという男は、得体が知れないのだ。
確かに彼は金で祖国の情報を売っているが、その質は十分にコントロールされていた。商人としては優秀だが、雇われスパイとしては些か目に余る行動である。ゆえにリヒベルグは彼に反意ありと見做し、一度は処分を検討したのであった。
しかしそれを、ヘルムートは止めている。彼ほどランスの政権中枢へ食い込めるスパイは、そうそう現れないだろうから――と。
それにラザールは、ランスの中に立憲君主を目指す勢力を残している。どころか彼は、その首魁であった。ランスを立憲君主国に仕立て上げようというのがフェルディナントの方針であるから、ラザールはある意味で己が実績により、処分を保留にされていたのだ。
とはいえ、そうした細かい事情をヴィルヘルミネは知る由も無い。それどころか彼女はラザールに、多少の好意を覚えている始末なのであった。
ポール=ラザールといえば光の加減で緑色に見える黒髪が特徴的で、神秘的な金色の瞳に篭絡される婦女子も多い。今年三十歳になる彼には妻が一人と愛人が五人程いて、基本的には女性に対して笑顔以外を向けたことが無かった。
ましてや彼のモットーは「万人には稼げる機会を、俺には無限の金銭を」というものだから、出資者たる赤毛の令嬢には最大限の敬意を払っている。
なので、
――あれ。ラザール八十二点じゃし、結構イイやつなんじゃけども……?
と、いうのが節穴お目眼なヴィルヘルミネの見解であった。
なので今もラザールを弁護すべく、赤毛の令嬢は頬をぷっくりと膨らませている。
「オーギュ、いくら何でも言い過ぎじゃろう。確かにポール=ラザールは金に汚いかも知れんが、契約には忠実。決めごとは必ず守るし余に会えば、必ずお菓子をくれるのじゃがのッ!」
令嬢の言葉に嘘は無い。ポール=ラザールは確かに、一度契約したことは忠実に守っていた。令嬢にお菓子を欠かしたことも無い。ただし契約していない事柄に関して、彼には敵も味方も無いのだ。だからこそリヒベルグはラザールを排除しようと考えたのだが……。
というかこのポンコツ令嬢は、どうやらお菓子で篭絡されていたらしい。フェルディナントの未来が心配である。
「……確かに、ヤツに頼るほか無いが」
それでも逆ギレ気味なヴィルヘルミネの説得は、効果を発揮したようだ。
しかし、まだ足りない。オーギュストは自らの言葉を否定するように首を振り、溜息を吐いている。
もう一押しだ! と赤毛の令嬢は考えた。
バルジャンとラザールを結び付ければ、それで一大派閥の完成だ。そこにアデライードをぶっこめば、兄がアギュロン派であるオーギュストとは、目に見えない高く分厚い壁で分断できる。
舌好調の令嬢は「ふっ」と口の端を吊り上げ、作戦の総仕上げに掛かった。
「最悪の事態は、バルジャンとポールラザールが分断されたまま、断頭台に送られることじゃと思うがの。むろんそうなればアデリーも、刑場の露と消えよう。オーギュはそれで――……良いのかの?」
一瞬だけオーギュストの眉が吊り上がって、ヴィルヘルミネは「ヒェッ」となった。しかしすぐに銀髪の青年は令嬢の手を取り、「ありがとう」と頭を下げている。
「いや、思えばその通りだ。俺もバルジャン閣下も、ポール=ラザールを毛嫌いして接触を躊躇っていた。だが今は、そんな余裕なんて無かったんだ。いつまで市民が味方をしてくれるかも分からない。ミーネの提案、王都に戻ったら早速、バルジャン閣下に伝えてみよう」
「むぅ!? オーギュはバルジャンに、今でも普通に会えるのか?」
恋人たちの分断を図りたいヴィルヘルミネの計画は、オーギュストが何時でもバルジャンの下に行けたらご破算だ。間違っても令嬢は、ランスに二大政党制を齎したいわけではない。「そりゃあイカンぞ、キミィ!」とばかりに身を乗り出して、目を丸くしている。
「いや、
「で、あるか」
ヴィルヘルミネは安心して、大きく頷いた。背筋には若干の冷たい汗が流れ、心臓はちょっとだけ早くなっている。
「名残惜しいが、そろそろ出ようか。ミーネの帰りがあまりに遅いと、デッケン先輩が怒るだろうから」
「むむ……そうじゃな」
ヴィルヘルミネは腕を組んで眉を吊り上げ、プンプンと怒るピンクブロンドの青年を脳裏に思い浮かべた。オーギュストと並んで立っても遜色のない、美青年だ。
そうしてみれば、彼に心配を掛けるのも申し訳が無い。ゾフィーに目で合図をして、ヴィルヘルミネは席を立つ。
このとき赤毛の令嬢が一組の男女の仲を裂こうと思って提案したことが、ランスの歴史に大きな爪痕を残す。否――歴史が伝説となる、その幕開けを作ったのだ。
この後、ラザールと手を組んだバルジャンは帝歴一七九〇年四月、選挙において十人委員会入りを果たす。同時に
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