第191話 絶好調です、ヴィルヘルミネ様!


「――と、いう訳で表面上はアギュロン派、その実態はバルジャン派というのが今の俺さ」


 自嘲気味に肩を竦め、オーギュストが葡萄酒ワインを飲み干した。少しろれつが怪しいのは、三人で飲んでいるとはいえ、既に二つの瓶を空にしているからだ。

 それにオーギュストには、深酒をしたくなる理由も十分にあった。気持ちの上ではバルジャンに心酔しつつも、家族のしがらみからアギュロン派に身を置いている。そのストレスが、知らず彼の心を蝕んでいたのだ。


 なお、このときゾフィーは葡萄酒ワインを殆ど飲んでいない。何しろヴィルヘルミネの護衛なのだから、当然であった。それどころか彼女はテーブルの椅子から片足を出して、すぐにでも身動きが取れる格好だ。

 食事の礼儀作法としては最低だが、ヴィルヘルミネを護るという点に関して、ゾフィーは決して妥協をしないのであった。


 そういう彼女の動きも目に入っていたから、オーギュストもここまで深酒をする気になったのだろう。そうでなければ自身も周囲を警戒し、赤毛の令嬢の身辺に気遣っているはずだ。

 

 しかし、そうした諸々に気付かないヴィルヘルミネは、「酔ったオーギュ、可愛いのじゃ」などとデレている。

 ちなみにヴィルヘルミネは余りお酒が得意ではないので、薄め過ぎた葡萄酒ワインをちびり、ちびりと飲んでいるだけだ。

 つまり二本ある瓶のうち少なくとも一本は、オーギュストが一人で飲んだようなもの。であれば、酔って当然なのである。


 そうした自分の醜態に気付いたのか、オーギュストはサラサラとした銀髪をかき上げながら、軽く首を左右に振った。


「……どうも少し飲み過ぎたらしい。時間も随分と経ったようだし、そろそろ行くか」


 グラスに水だけを注ぎ、一口飲んで微笑むオーギュスト。どうやら、これで店を出る流れらしい。だが、それではヴィルヘルミネが困ってしまう。

 何しろ赤毛の令嬢は、まだ肝心なことを聞いていない。それは「今現在、アデライードがどうしているのか」ということだ。


 話の流れだと、アデライードは助かるにしても身分の低下は否めない。もっとも、それに関してヴィルヘルミネは「ざまぁ」という気持ちであった。

 なにせアデライードはオーギュストを奪った泥棒猫(そう思っているだけ)だ。許し難し、許し難し、許し難し! と思うヴィルヘルミネにとって彼女の平民堕ちは、最高にセンセーショナルな喜びなのである。


 が、しかし、これはあくまでも今まで聞いた話から類推できること。まだ決定事項ではない。


 ――オーギュとキスをした罰が当たったのじゃ。アデリーはゾフィーとイチャイチャすべきなのじゃ!


 このように倒錯した想いで、ヴィルヘルミネの恋心は厳重に蓋をされている。だからこそ、彼女はアデライードの現在が非常に気になっているのだった。


「で、結局アデリーは、いったいどうなったのじゃ? 我がフェルディナントに齎された情報では、バルジャンが連戦連勝というところまで。そんな条件を突きつけ、王党派が降伏したなどという話は入っておらぬが……」

「情報がフェルディナントまで回ってこないのは、政府が情報統制を敷いているからだろう。実際、バルジャン閣下の話の方が筋が通っているんだ。今――……国王陛下を弑逆して共和国を樹立しても、君主国の反発を買うだけなのだから……」

「では結局、バルジャンが政府に折れたのか? それで共和国の建設を……? じゃがそうなると、アデリーは――……シャルル陛下は、マリー様はどうなったのじゃ?」


 嫉妬によりアデライードへ敵愾心を抱くヴィルヘルミネであったが、しかし彼女の本質は臆病で、どっちかと言えば善良である。なのでアデライードが断頭台へ送られるなどということになれば、どうにかして助けてあげたいと思ってしまうのだ。


 オーギュストは暫し、迷う素振りを見せている。政府が隠していることを、今ここで酔いに任せてヴィルヘルミネへ言って良いものか、考えていた。そこでふと、出発前に発売された新聞や民衆の反応を思い出す。


 ――どうせ国民の口に戸板は立てられん。だいいちフェルディナントの公使だって、新聞位は読むだろう。ならば、ここで俺が言ったところで大した問題にはならんはずだ。


 ヴィルヘルミネはオーギュストの答えを、じっと待っている。食事はとうに終わっていた。

 ゾフィーも唇を真一文字に結んで、オーギュストの赤い瞳を真っ直ぐに見ている。彼女としても師匠の一大事だ、状況はなるべく把握して、可能であれば手助けの一つもしたいと思っていた。


「大丈夫――……共和政府はバルジャン閣下の言い分を認めたよ、世論の後押しがあったからね。良くも悪くもバルジャン閣下はランス屈指の英雄になられた。新聞各紙はこぞって閣下を褒め称えている。今頃はフェルディナントにも、そうした情報が伝わっているんじゃあないかな。ただ――……」

「ただ、なんじゃ?」


 オーギュストの声に不穏なものを感じ、赤毛の令嬢が美しい眉を顰めている。


「新聞が褒め讃えるのは、あくまでもバルジャン閣下だけ。国王陛下は蔑まれ、レグザンスカ家の人々も同様だ。アデリーは幸いにしてバルジャン閣下の庇護下にあるから、何とかなるだろうが――……そのバルジャン閣下とて、政治的後ろ盾がある訳ではない。それこそ世論の支持を失えば、どうなることか……」

「なるほど……確かにバルジャン中将は英雄とはいえ、一軍人に過ぎませんしね。それが軍閥まで形成したとなれば、政治家たちは何としても排除したいでしょうし。つまり今は、バルジャン中将にとっても危険な状況、というわけですね?」

「ああ、ゾフィーの言う通りだ。だからせめてアギュロン派の内側からバルジャン閣下を支援できないものかと、こうして俺は彼等の命令に従っている、という次第さ」


 ゾフィーは「ふぅむ」と唸り、ヴィルヘルミネをチラチラと見つめていた。その蒼い瞳は期待に満ちて、「きっとヴィルヘルミネ様なら、何とかして下さる!」と書いてある。

 しかし元来が鈍くてフニャフニャのヴィルヘルミネだ、「うわぁ、ゾフィー。今日も可愛いのじゃ」などと明後日のことを考える始末なのであった。


 それにヴィルヘルミネは今、ちょっとだけ上機嫌だ。何しろアデライードは無事と分かり、しかもオーギュストとは陣営を異にしている。

 ならば二人の恋は引き裂かれたも同然で、メシが美味い。葡萄酒ワインを追加でもう一本! ――などと思っていた。


 もちろん、その上でアデライードが危険な立場にあることは理解している。ランスの六月革命を経験した令嬢のこと、怒れる民衆は「頭がオカシイ!」のだと分かっていた。

 そんな彼等の矛先がアデライードに向かぬようバルジャンが抑えているというのなら、これを支援するのは吝かではない。


 そこでヴィルヘルミネは、一つのことを閃いた。これが奇しくもゾフィーの期待に応えてしまうことになるとは、つゆ知らぬまま……。


 ――これならばバルジャンを支援しつつ、しっかりオーギュとアデリーを引き離せるのじゃ! さすがは余、やはり天才じゃ!


 ヴィルヘルミネは今、酔っていた。薄めまくった葡萄酒ワインにも、そして自分にも。だから赤毛の令嬢は絶好調、さらには舌好調なのである。


「フッフッフ、フハ、フハハハァァ! ならばオーギュ、卿に一つ、余が策を授けて進ぜよう! 感謝するがよいぞ!」


 ヴィルヘルミネは口の端を吊り上げ、紅玉の瞳を煌めかせた。ただひたすら、己が欲望の為に。

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