第189話 ブーリエンヌ会戦


 マコーレ=ド=バルジャンがランス最高の英雄と言われる所以は、帝歴一七八九年十二月二十五日に起きたブーリエンヌ会戦において、圧倒的な勝利を収めたことが一つの大きな要因であった。そのことは多くの歴史家が認める、揺るぎ無い事実なのである。


 この会戦はブーリエンヌの南端にある平原で起きた。といって、遭遇戦では無い。この地域における第二の都市に駐屯していたリスガルド軍をバルジャン軍が平原へ誘い出し、会戦に持ち込んだのである。


 このとき敵であるリスガルド軍は七万、バルジャン軍は三万五千であったから誘い出すこと自体は、さほど苦労をしたわけではない。

 何せ敵は「数で押せば必ず勝てる」と思っていた。しかも今まで少数の部隊をバルジャン軍に撃破され続けていたリスガルド軍は、腸が煮えくり返っていたのだ。

 そんなところへ会戦に適した平原に姿を現したバルジャン軍を、飛んで火にいる夏の虫とばかりにリスガルド軍が迎え撃つのは、当然の帰結であった。


 しかしリスガルド軍の将帥とて、まるきり無能という訳ではない。即座に北方のレグザンスカ軍と連携を図るべく、使者を出した。

 この要請に応じレグザンスカ公爵は自ら二万の軍勢を率い、急ぎ南下している。


 だからバルジャンが苦労したことと言えば、その援軍が到着するまでに、何としても早期に決着を付ける必要があったことであろう。


 このときバルジャンに運が味方をしたことと言えば、レグザンスカ公爵がアデライードを呼び戻し、自らの本軍と共に行動をさせたことである。

 もしもアデライードがその気になれば十二月二十五日の開戦時、戦場に駆け付けることも可能であったはずだ。そして彼女が戦場に居れば、戦闘の結果は自ずと違うものになっていたであろうから。


 ■■■■


 戦闘が始まったのは、十三時を僅かばかり過ぎたころ。

 澄み渡った青空の下、リスガルド軍の前進を告げる太鼓の音が鳴り響いた。二倍の兵力を有するリスガルド軍は大きく両翼を広げ、バルジャン軍を押し包まんと津波の如く迫ってくる。


「射撃用意ッ!」

「撃てッ!」


 敵の圧力に耐えかねたとばかりにバルジャン軍の戦列歩兵が、凡そ七十メートルの距離で射撃を開始する。まだ有効射程距離ではない。だが敵も釣られて射撃を開始し、なし崩し的に戦闘が始まった。


「敵は誘いに乗ったようだな……ダン坊」

「んだ、やっぱり練度は大したことねぇ。これなら、プランAのままで大丈夫だべ。まんず、敵がこれに対抗する術はねぇはずだ」

「――……よし、やるか」


 バルジャンは本営で馬に跨り、冬にも関わらず帽子で首元を扇いでいる。ヴィルヘルミネがいない中での、初めての大戦だ。冬の最中にも関わらず、緊張で身体が火照っていた。


 ダントリクはそんな司令官の横に馬を並べ、じっと前線へ目を凝らしている。怒声と銃声が響き渡り白煙を上げる戦場を見つめ、彼の頭は芯まで氷のように冷えていた。司令官とは真逆である。


 十数分後、バルジャンは乾いた唇を舐めた。命令を下す。


「そのまま全軍――ゆっくりと後退だ。凸形陣から凹陣形に変え、敵の中央を引きずり込め。戦いながらだ、慎重にやれよ……ミューラーの騎兵旅団は後方より大きく迂回し、敵左翼を側面より叩け」


 いくつかの旗が上がり、そして下がり。太鼓も今までとは違うフレーズを打ち鳴らしてた。


 後退しつつ陣形を変えるなどという荒業は、まさにバルジャンだけが可能な神業であろう。ましてや敵軍は自軍の二倍だ。僅かでも綻びが生じれば、一気に食い破られて全軍崩壊にも繋がりかねない。


 だというのにバルジャンは、これをやり遂げてみせた。のちに彼は、戦場全体を俯瞰して見ることの出来る、「神の目」を持っていたとさえ言われている。

 そして幾人かの歴史家は、同時代人である戦争の天才ヴィルヘルミネと彼が対決したならば、「勝てる可能性があったであろう」などとのたまう者もいるのだが――……。


 歴史家の見解そのものは、きっと正しい。ただし前提条件が間違っているのだ。彼等が軍事的才能を発揮し得るのは、ヴィルヘルミネはトリスタンありき、バルジャンはダントリクありき――なのである。


 したがって二人が直接戦えば、実態は世紀のポンコツ対決以外になり得ない。

 いかにバルジャンが正確無比の兵力運用をしようと、ヴィルヘルミネが超高速弾道計算をしようと、しょせん二人の戦術的発想は幼稚園児の雪合戦レベルなのだから、そんなものだ。


 例えるなら高度な技量を持つ格闘家がヴァレンシュタインだとして、ヴィルヘルミネやバルジャンはぐるぐるパンチしか知らないお子様である。

 そんな二人が互角なのは当然で、もしも彼等が戦場で戦えば、誰もが失笑するような泥試合になること請け合いだ。つまりことの本質は、そんなものを見られなくて本当に良かった――というお話なのである。


 ともあれ、この時バルジャンの指揮は的確で、敵は徐々に中央部を突出させていた。大軍でありながら練度が著しく低かったことで指揮系統の混乱を招き、リスガルド軍はバルジャン軍に付け入る隙を与えたのである。


 十五時十五分、敵左翼にミューラーの騎兵旅団が突撃を敢行。そのまま敵陣を食い破り後背へと抜ける。予想を上回る彼の衝撃力に、リスガルド軍のみならず味方のランス軍までもが目を剝いていた。

 これをきっかけとしてバルジャン軍中央部隊も後退を止め、作戦は最終段階へと移行していく。

 

 同四十分、所定の位置にて展開中であったランベールの砲兵旅団が、突出した敵中央部隊に一斉射撃。壊乱状態に陥ったリスガルド軍は、雪崩をうって潰走した。

 このとき敵軍へ再突撃を図ったミューラーが敵将を捕らえたことにより、勝敗は完全に決したのである。歴史的大勝利であった。

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