第187話 仲間だから


 相手がアデライード=フランソワ=ド=レグザンスカだと断言するダントリクを、バルジャンはポカンと口を開けながら見つめている。

 黒髪の少年は眼鏡のレンズを煌めかせ、そう言った理由を上官に説明した。


「バルジャン中将に勝ち得る用兵家は、恐らく世界に十人といないべ」

「お、おお、まじか。俺スゲーな……そうなんじゃないかと思っていたが、やはりそうだったか……」

「まあ、そこはどうでもいいんだべが」

「いや全然どうでも良くない。公序良俗的に俺の精神衛生上これは非常に重要な点だから、そこんとこもっと詳しく……」


 バルジャンが鼻の穴を膨らませて、「むふん」と胸を張っている。近頃は自分も結構イケてるんじゃあないかと思ってはいた。しかし周りが凄すぎて、実際どんなもんかとバルジャンは悩んでいたのだ。


「詳しくと言われてもなぁ……」


 ダントリクは小首を傾げ、僅かに思案する。


「まずバルジャン閣下に勝てる可能性のある用兵家を挙げると、ヴィルヘルミネ様、ヴァレンシュタイン公、ランベール准将、レグザンスカ少佐あたりが真っ先に思い浮かぶべ」

「うむ、そうだな」

「でもランベール少佐は味方だし、ヴィルヘルミネ様とヴァレンシュタイン公は国外にいることが確認されているべ」

「……だな」

「そもそも目の前の敵を指揮しているのがヴィルヘルミネ様やヴァレンシュタイン公だったら、こんな風に会話をしている余裕なんて、オラたちにはねぇべさ」

「まぁ、あの人たちが相手なら……俺なんてもう、毛虫のように踏みつぶされるだけだからな……」


 バルジャンは凹んだ。世の中には絶対に勝てない相手がいると、再認識してしまったからだ。自分の存在価値を確認しようと思ったのに、逆効果になってしまった。

 バルジャンは今、「俺は毛虫だ。しょせん蝶にはなれぬ運命よ」などと考え、しょぼくれている。しかしダントリクは気にせず、話を進めていた。


「何よりの特徴は敵の指揮官が、これほど見事に騎兵を扱っていることだべ」

「騎兵って言えばさ、ゾフィー=ドロテア。あの嬢ちゃんも凄いよなぁ……このくらい、やりそうだ」

「ゾフィー=ドロテアも確かに騎兵を見事に扱えるかも知れねぇが、今の彼女は隙が多いだ。とても千以上の兵を扱えるとは思えねぇんさ」

「そ、それはどうかな……俺、あの嬢ちゃん怖ぇし……突撃されたら潰される自身があるぜ。なんせ毛虫だからな……」


 バルジャンはブルリと身震いをして、馬の脚を止めた。ダントリクも手綱を引いて、バルジャンの横に並ぶ。


「毛虫って、なんのことだ?」


 ダントリクが目を瞬き、不思議そうにバルジャンを見つめている。


「ああ、いや、何でもない。でもまあ、分かったよ。なるほど確かにあれは、レグザンスカだ――……」

「分かってくれたべか」

「ああ。ついでに、もう一つ分かったことがあるぞ」

「ん? なんだべ、それは?」

「レグザンスカは、今でも俺達の仲間だってことさ」

「まさか、それはねぇべさ?」

「いや、あるんだな、これが。ダン坊も言っただろ。ヴィルヘルミネ様やヴァレンシュタイン公なら、俺達が会話をしている余裕なんて与えない、と。

 俺はな、レグザンスカのヤツが速さにかけて、その二人に負けているとは思えないんだよ」

「じゃあ彼女は、あえて陣形の構築を遅らせているってことだべか?」

「ああ、そうさ。あいつのことだ。きっとここで、リスガルド軍の不法行為に目を光らせていたんだろう。そして今、ことさら陣形を変えてみせた思惑も、攻め込む為ではなく、こちらの陣形を更に変えさせる為だとしたら、辻褄が合う……」


 ■■■■


 バルジャンが右手を掲げると横に広がりつつあった陣形が、ピタリと止まる。それからダントリクの作戦通り、中央に厚みを持たせた方陣を展開するべく、兵たちが運動を始めた。


「ま、待つだ、中将! まだ早いだッ! いま攻め込まれたら、バカにならねぇ損害が出るだぞッ!」

「大丈夫だ。見てろ、ダン坊――……俺の予測が正しければ、これで敵は退く」


 この瞬間を狙って突撃をされれば、それは矢のように深々とバルジャン軍団に突き刺さるだろう。しかし、決して致命には至らない。ダントリクが考えた作戦は、肉を切らせて骨を断つようなものであった。


 けれど一方で肉を切らせている間は、身動きが取れない。敵にしてみれば、大きなチャンスに見えるだろう。だというのに敵は、このタイミングで一斉に引き上げた。


「本当だ、中将の言う通りなんさ。こっちの作戦を読んでいた――っていうことだべか?」


 目をパチパチと瞬かせて、今度はダントリクが口をポカンと開けていた。


「まぁ、読んでもいたんだろう。けどな、レグザンスカ――いや、アデライードは、俺達を信じてくれたんだ。自分の戦術に勝ち得る手を、俺達が選択してくるだろうってな」

「じゃあ、自分の負けを悟って退いたってことだべか?」

「違う違う、そんなんじゃないよ、ダン坊。アイツは今、事情があって敵方にいる。そして敵方にいる以上は俺達と対峙して見せる必要もあるから、こうして演技をしてみせたのさ。差し詰め司令部には、『寡兵にして陣形も不利な状況になった』――とでも言って、茶を濁すのだろう」

「それならいっそ――……こっそり使者を出してみるべか? 連絡が取れれば、詳しい事情だって……」

「それは、止めておいた方がいいだろうな。いま迂闊なことをしたら、逆にアイツを追い詰めることになっちまう。貴族ってやつは、どこまでも体面を気にするモンだからな。

 何にせよアデライードの気持ちは、これで分かった。今頃はランベールのヤツも、ホッとしていることだろうよ」

「す、済まねぇだ。オラ、戦いに勝つことばっかり考えて、そういうところを全然考えていねがったから……また、失敗しちまうとこだったべ……」

「いいって、ダン坊はまだ若いんだ。いずれな、こうしたことが分かるようになる。その頃にはきっと、私などよりよほど優れた将軍になっているだろうさ。期待しているぜ」


 一人称を将軍らしく「私」に変えて、バルジャンがダンドリクに微笑みかける。

 ダントリクは笑顔のバルジャンを見つめ、まるで太陽を見ているような気持になっていた。


 ――もしもオラが将軍になるのなら、バルジャン閣下の下で働きてぇ。いっそ閣下がランスの君主になれば、誰にとっても良い社会になるような気がするだが……。


 そんな想いを、しかしダントリクはすぐに否定する。王政であれば逆賊の思想だし、共和制であれば、反革命罪にあたる考えであった。どちらにしても現時点で思い描いて良い理想では、決して無い。


 こうしたダントリクの想いに何も気付かないバルジャンは、一人鼻毛をブチブチと抜き、「痛ぇ!」と涙目になっている。

 余りにもダントリクが自分の顔を見上げ続けているから、鼻毛でも出ていたかと気になってしまったのだ。


 ちなみにバルジャンは以前ヴィルヘルミネとチェスに興じていた時、彼女に飛び出した鼻毛の件を指摘されている。その際、「うわぁ……髭は伸びるは鼻から毛は出るわ。チェスも弱いし、バルジャンは本当に毛虫じゃの」と言われたことが、結構なトラウマになっていた。


「なぁ、ダン坊。ちょっと見てくれ。もう鼻毛、出ていないよな?」

「え? あ? ん? そんなの、出てないけんども……」

「おお、そうか? ならいいんだが。何しろ鼻毛が出ていたら、ヴィルヘルミネ様が怒るだろう? 髭を剃れだの鼻毛を抜けだのってさ。挙句の果てには、お前は毛虫ときたもんだ。それでさぁ……」

「ヴィルヘルミネ様のことは……関係ないべさ。だいいち中将は、髭が生えていたって鼻毛が生えていたって、カッコイイのに……」

「お!? うん、ダン坊。やっと俺の嫁になる決心を、してくれたんだな!」

「それは、してねぇべさ!」


 ダントリクはバルジャンの口からヴィルヘルミネの名を聞くとき、胸の奥に奇妙な痛みを感じるのだ。いつも、いつだって、ダントリクはこう思っていたから。


 ――オラはヴィルヘルミネ様の代わりじゃねぇのに。オラだって……本当は……本当の名前を伝えられたら……。


 それを嫉妬と呼ぶのなら、余りにも小さなものである。けれどダントリクの心にはポカポカとした憧れと共に、そうした暗く冷たい想いが、いつまでも存在し続けるのであった。

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