第183話 専制と共和


 レストランに入ったヴィルヘルミネ達は、元気の良い給仕の少女に案内をされて店の奥へと通された。

 オーギュストは通路を歩きながらテーブルに並ぶ数々の料理を見て、一般庶民にまで物資が行きわたっているアルザスの現状に驚き、かつ祖国の無様を内心で憂いている。


 ――まったく。祖国ではここ数年、小麦の価格さえ急騰し、市民はパンを買うにも苦労をしているというのに。フェルディナント領になった途端、このアルザスの安定ぶりは一体どうだ……。

 結局のところ革命で変わったのは、特権階級が貴族や僧侶から有産階級ブルジョワになったということだけ。しょせん民主共和などは理想に過ぎず、優れた君主を戴く専制国家の方が民衆にとっては良いのだろうか……。


 こうしたオーギュストの悩みは、デルボアを処刑して委員筆頭となったマクシミリアン=アギュロンも、大いに感じるところであった。

 だからこそ彼は王党派のみならず、近頃は革命の成果から甘い汁を吸う有産階級ブルジョワ達にも矛先を向けている。


 マクシミリアン=アギュロンにしてみれば、優れていようが何だろうが専制君主は認められないのだ。そして汚職も腐敗も同様に許せないから、彼の政策は徐々に苛烈なものへと変わっていく。

 清濁併せ呑むことを良しとしない彼の潔白さは暴力となり、やがては歯止めのきかない恐怖政治テルールへと突き進んでいくのであった。


 とはいえ全ての議員や委員がアギュロンのように毅然とし、清廉な人柄である筈もない。当然ながら議会や十人委員会の内部でも、意見が割れることがしばしばであった。


 今のところ議会で最も大きな勢力はマクシミリアン=アギュロンが主張する共和国の創健を是として、王党派とも有産階級ブルジョワとも妥協することのない、清廉な政治を目指そうという会派であった。


 これに対抗する勢力は国王とも妥協し、今一度、立憲君主制に立ち返るべきだと主張する一派だ。無論これをやんわりと主導するのは、フェルディナントの息が掛かるポール=ラザールである。


 しかし五百人いる議員のうち三百人までもがアギュロンの考えを是とし、百人が中立――残りの百人がポール=ラザールを中心とした勢力である以上、議会の趨勢は余りにも明らかであった。


 むろんオーギュストの兄であるファーブル=ランベールは、マクシミリアン=アギュロンの一派に属している。だから当然オーギュストも、そちらの陣営に属していると思われているのだが……しかし実際のところ彼は、現時点での旗幟を鮮明にはしていない。


 それは、本音を言えない状況にあったからだ。

 当時オーギュストは、間違いなく立憲君主派であった。なにしろ王党派に付いたアデライードを救う為には、他の選択肢など無い。とはいえ、それを公言すれば兄たちの疑いを招くから、彼は沈黙を貫いていたのだ。


 もちろんオーギュストにも、兄たちの政治方針が理解できない訳ではない。多少苛烈であっても、民衆から利益を吸い上げ自らの懐に財を貯め込むような輩を、彼とて決して好きになれる筈がないのだから。


 またオーギュストの上官たるバルジャンも、自らの立場を明言してはいなかった。とはいえ、彼も当然のようにアギュロンの一派だと思われているのだが。

 しかしバルジャンの目的もオーギュストに通ずるものだから、そう思われている方が何かと都合が良い。だから彼はオーギュストと共謀し、あたかもアギュロン派の如くに振舞っているのだった。


 ――今やバルジャン閣下だけが、唯一の希望だ。俺にとってもアデリーにとっても……そして、ランスにとっても。


 オーギュストはぐっと唇を引き結び、遠く上官を思う。


 色々と考え込んでしまったオーギュストが目を離した隙に、ヴィルヘルミネはずんずんと歩き案内役の給仕の前へ出てしまっていた。

 給仕は困り、「あの……」と声を掛けている。けれど赤毛の令嬢は気にせず、キョロキョロと辺りを見回し「どこに座ろうかの?」などと嘯いていた。


 ヴィルヘルミネはそもそも、誰かが自分の前を歩くという事態に慣れていない。何故なら大貴族の前を歩く者は、それ以上の地位を有する者だけだからである。

 だから給仕の少女が自分の前へ出た行動が理解できず、「余の後ろを歩くがよい」という気持ちで前へ出てしまったという次第。

 

「お忍びでしょ……」

 

 オーギュストは慌ててヴィルヘルミネの耳元に口を近付け、そっと囁いた。すると赤毛の令嬢は耳まで真っ赤に染めて、「わ、分かっておる」と言いながら、両手をバタバタと振りまくるのであった。


 ■■■■


 三人は席に着くと、最上級のコース料理と葡萄酒ワインを注文している。

 もともとレストランの料理はコース料理が三種類、あとは定番の単品料理と酒類だから、食事をするとなれば、どれかのコース料理を選ぶ必要があったのだ。


 ヴィルヘルミネとゾフィーは葡萄酒ワインを水で薄め、オーギュストはそのままグラスに注いで乾杯をした。


「我々の再会に――乾杯」

「「乾杯」」


 オーギュストが上座に、ヴィルヘルミネとゾフィーが隣り合って下座に座っているのは、お忍びという事情から仕方が無いことであった。

 それに赤毛の令嬢もゾフィーも、この程度のことで文句を言うことは無い。だから乾杯を終えると旧交を温めるように三人は杯を空にして、笑顔を見せるのであった。

 もっともヴィルヘルミネ笑顔は、いつもの横にした三日月のような形だ。それは見た者の恐怖心を煽る、美しくも怪しい微笑みなのであった。

 

「ところでオーギュよ。ランスの現状はいったい、どうなっておる? バルジャンめが王党派の軍に対し連戦連勝という話は聞いておるが、それでアデライードは無事であるのか?」


 笑みを収めたヴィルヘルミネは料理が来るのも待ちきれず、どうしても聞きたかったことをオーギュストに問うていた。

 フェルディナントに入ってくる情報は、ほとんどが結果だけである。そこで赤毛の令嬢は現地で戦っているであろうオーギュストに、詳しい話を聞こうと思っていたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る