第180話 お忍びで行こう


 ランスとキーエフの捕虜交換式に出席したヴィルヘルミネは、ここで久しぶりにオーギュストと再会を果たした。一月十五日のことである。


 この翌日エミーリアは諸侯に裏切りの嫌疑をかけ、五日後にはジークムントがプロイシェ陣営に到着するのだが、そんなことは一ミリグラムもヴィルヘルミネの知ったことではないのだった。


 オーギュストはランス共和政府代表団の一員として、捕虜交換の地であるアルザスへ入っていた。彼は新設された国民衛兵隊ガルド・ナシオナルの准将という地位を得て、一つの旅団を束ねている。出世といえば、大した出世であろう。


 こうした人事は、ランス共和政府の深刻な将校不足による。ただでさえ数を減らしていた貴族将校のほぼ全てが、国王造反に伴いレグザンスカ公爵の下へ走ったのだ。実際オーギュストが士官学校で同期だった者は、国民衛兵隊ガルド・ナシオナルの中にたった六人だけである。


 だから平民であり士官学校を僅か一年足らずで卒業した俊英たるオーギュストは、国民衛兵隊ガルド・ナシオナルにおける期待の星なのだ。


 そのオーギュストを要する共和政府代表団を率いてきたのは、兄のファーブルであった。彼もまた十人委員会に名を連ね、今や若いながらも重要な地位を占めている。つまりランスの革命はランベール家に、思わぬ果実を齎したのであった。


 もう一方の当事者であるキーエフ側は、たいそうやる気のないヴァレンシュタインが代表団を率いている。というか彼はヴィルヘルミネと共にフェルディナントから現地へ乗り込んだから、代表団と合流した――と言い換えた方が良いのだろうが。


 捕虜交換式はアルザス市の政庁にある一階広間において、フェルディナント公国摂政ヴィルヘルミネの下、キーエフ帝国軍総司令官ヴァレンシュタイン公爵と、ランス共和政府外交委員長ファーブル=ランベールにより、つつがなく行われた。


 ヴァレンシュタインとファーブルが書類に署名し交換し合うと、双方の捕虜の代表が互いの陣営へと帰っていく。そういうパフォーマンスだ。

 ランス側へはシチリエ中将が返され、キーエフ側へはウィーザー提督がゆっくりと歩を進めている。


 シチリエ中将は明らかにオドオドとして、共和政府側に引き渡されたくはない――という雰囲気だ。複雑な政治状況と自身の立場を考えれば、それも無理からぬことである。

 一方でウィーザー提督は堂々と歩き、ヴァレンシュタインの前で立ち止まると敬礼を一つ。「本当にすまん」と頭を下げていた。


「いいさ、百戦百勝という訳にもいくまい。ましてや海の上ではな……それに早速だが、雪辱戦の機会が待っているぞ。相手はお前の大好きな、エーランドだ」


 ヴァレンシュタインはウィーザーの肩をポンと軽く叩き、ニヤリと笑っている。


「そういうことなら、どうやら首の皮一枚で私の命は繋がったらしいな」


 ウィーザーは苦笑して、後ろに続く部下に目配せをした。その中には赤毛のメアリーもいたから、ヴィルヘルミネは「ぐぬぬ」と一人歯軋りをしている。


 ――ぐぬぬ……いつか必ず手に入れてやるぞ、メアリー=ブランドン。


 捕虜交換の立会人にも関わらず、捕虜を欲する非常に浅ましい赤毛の令嬢なのであった。


 式典が終わり自由の身となったヴィルヘルミネは、さっそくランスの現状をオーギュストに聞こうと、彼を昼食に誘っている。けれど彼はランス側における軍部の代表であったから、仕事が忙しくて断られてしまった。


 オーギュストはヴィルヘルミネと違い、未だ自由の少ない身分なのだ。またしても「ぐぬぬ」な赤毛の令嬢である。

 けれど、話はそこで終わらなかった。なんとオーギュストは「埋め合わせに」と前置きをして、夕食に誘ってくれたのだ。


「――あとで夕食を一緒にどうだい、ミーネ。街へ出て、レストランで食事をするんだ。もちろん、お忍びになるけれど」

「ぷぇ?」


 オーギュストが言うには、自分が属す共和派は全ての貴族に敵対している――とのことであった。だからヴィルヘルミネと個人的に会うことが、今は憚られるらしい。そういう理由もあって、公式な昼食は断らざるを得ないのだという。


「せっかく会えたのに、互いの立場を考慮して食事も一緒に出来ないなんて、あんまりだろう? だからミーネは庶民の服装で、俺は、そうだな……大尉の軍服で街に出るよ。そうすれば身分がバレる心配もないし、ゆっくり話も出来るだろう?」

「う、うむ。そうじゃな、そうしよう」

「じゃあ、午後五時半に広場の噴水前で、どうだい?」

「よ、よかろう。あいわかったのじゃ」


「せっかく会えたのに、これでサヨナラはあんまりじゃ」と思っていたところなので、ヴィルヘルミネはこの提案が嬉しかった。

 だから赤毛の令嬢は大いに舞い上がり、カクカクカクと幾度も頭を上下に振っている。もともと彼のことが大好きだから、本能的に誘いに乗るヴィルヘルミネなのであった。

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