第177話 北部ダランベル同盟


 一月十六日の午後二時過ぎ、エミーリア=フォン=ザルツァは天幕に三人の諸侯を呼びつけ、細く長い足を組み替えていた。


 軍を発してより、既に二か月以上が経過している。にも拘らず南部ダランベル諸侯を説得も制圧も出来ず、彼女は未だフェルディナントの地を踏んでいない。そうした事実が焦りを募らせ、彼女は若い怒りを今にも爆発させようとしているのだった。


「どれも卿らの家紋が入った手紙だ――……私がフェルディナント領に侵攻した暁には、その背後を衝くとヴィルヘルミネに約しておるが、これは一体どういう了見か?」


 エミーリアは右手を持ち上げ、三通の封書を顔の前でヒラヒラと振った。封書といっても既に開封されて、中身は脇にある小卓の上だ。


「もう一度聞くぞ、どういう了見だ? 卿らはプロイシェのみならず私――ザルツァ家すら裏切り、フェルディナントへ与しようというのかッ!?」

「まさか、そのような……」


 居並ぶ諸侯の一人が、両手を前に出し首を左右に振っている。身に覚えの無いことであった。けれど怒りに燃えるエミーリアは、追及の手を緩めようとしない。隣に座るオットーを横目に見ると、更に言い募った。


「まだ幼いオットー殿の為にツヴァイクシュタインを取り戻さんとした卿等の義侠心は、一体どこへいった!? 羞恥心と共に悪魔へくれてやったとでも言うのか!?」


 エミーリアは形の良い眉を吊り上げ、唇をへの字に曲げている。僅かに震える声が、怒りの凄まじさを端的に表していた。その手が、椅子に立てかけた刀剣に伸びていく。


 三人の男達は互いに顔を見合わせ、ジリ――と一歩だけ下がった。本当に斬られると思ったのだ。

 だが、これはあくまでも脅しであった。エミーリアも、まさか今の段階で味方を斬るほど愚かではない。


「いま真実を白状すれば、命だけは助けてやるぞ」

「まさか、そんな。身に覚えの無い事です!」

「あり得ません。ヴィルヘルミネからの使者など、見たことも……」

「わ、私も、お二人と同じです!」


 ジロリ、ジロリと三人の男達を見回し、エミーリアは奥歯をギリと噛みしめた。


 ――まったく男という生き物は、どいつもこいつも、いざという時に嘘を吐く。本当に斬ってやろうか。


 エミーリアはザルツァ辺境伯の二女で、現在は十九歳。剣と銃に関しては北部ダランベルにおいて並ぶ者はいない、と評される程の才媛であった。

 だが、それゆえに婚約者から煙たがられ、十六の歳に婚約を破棄されている。それもなんと婚約者を、可愛らしく裁縫の上手な下級貴族の娘に奪われた結果だ。浮気をされていたのであった。


 しかしながら、エミーリアも相当に美しい女性である。ヴィルヘルミネならば「九十三点!」と、太鼓判を押すほどだろう。むしろ下級貴族の娘は、「ギリギリ八十点かのう?」という程度だったから、彼女としては、これが相当にショックだったらしい。


 駄目押しは元婚約者に、「剣や銃にのめり込む女は、ちょっと……」と言われたことであった。


 ――私が悪いのか!? いや、違うだろう! 浮気したあの男が悪いのだ!


 そうしてエミーリアは腰まで伸ばしていたブルネットの髪を肩口で切り揃え、元婚約者に決闘を申し込んだ。そして一刀の下に斬り伏せ、倒したのだが……。


「ま、待ってくれ、エミーリア! い、命だけはッ、命だけは助けてくれッ! もうすぐ子供が生まれるんだ!」


 涙と鼻水で顔をグショグショにしてまで命乞いをされては、流石に彼女も元婚約者を殺すことが出来なかった。


「……二度と浮気など、するなよ。良き夫、良き父になれ」

 

 そうしてエミーリアは立ち去ったのだが――その元婚約者は、さらにまた別の女性と結婚したのである。


 ――良き父とは? 良き夫とは? 良き男とはッ!?


 彼女は晴れて極度の男性不審になった。ゆえに今も目の前の男達が信用できず、怒りを露に睨んでいる、という次第なのであった。


 ■■■■


 エミーリアに睨まれた三人の諸侯は再び顔を見合わせると、一番左側の男が代表して口を開いた。肩を竦め、やれやれ――という風に苦笑を浮かべている。一番の年長者であった。

 理由は分からないが、まったく信用されていないという事実だけは彼にも理解できる。とはいえ身に覚えの無い事を追求され続け、しかも殺意まで抱かれてはたまらなかった。


「これはフェルディナントの仕組んだ罠でしょう。似たようなものを、私も手に入れていますからな」


 男は懐から一通の書状を取り出すと、それを開いて読み上げた。


「――この度は進軍を止めて頂き、エミーリア殿には感謝に絶えません。プロイシェ王国軍を撃退した折には、ヴィルヘルミネ様もザルツァ伯爵家に厚く報いる事でしょう」


 エミーリアはむっつりと腕を組み、「ふぅむ」と唸っている。


「私はフェルディナント軍と、何かを約束した記憶などないのだがな」

「それは、我等も同じこと。ですから罠と申し上げているのです」

「だが、それを証明するものなどあるまい?」

「エミーリア様も、ご自身の潔白を証明なさる方法などありますまい」

「……うむ。では、卿等を信用しても良いのだな?」

「「「もちろんです」」」


 三人の男達が声を揃え、胸に手を当てている。


「よかろう、ならば今回だけは、不問に付す――……」


 釈然としない面持ちで、エミーリアは髪をかき上げた。


 たとえ三人の言っていることが真実だとして、ならばそれも問題だ。何しろ軍の内部をフェルディナントの間諜が跋扈し、疑心暗鬼の温床となる手紙をばら撒いているのだから。


 ――どうするべきかな。


 抜本的な解決案を思い付かず、暗い顔をしてエミーリアが立ち上がろうとしたとき、隣に座るオットー=フォン=ボートガンプが欠伸をした。


「ふぁぁぁ……エミーリアよ。話はもう、終わったか?」

「ああ」

「なにか問題があったのか?」

「いや、特に……」

「では――ツヴァイクシュタインには、一体いつ入れるのだ? 当初の予定では、新年をツヴァイクシュタインで迎えることになっていたはずだろう?」


 ボンヤリとした丸い顔、豚を思わせる醜い身体を横目に見て、エミーリアは「ふぅ」と溜息を吐いた。しかも、頭まで悪いときている。

 父を早くに亡くし、母もプロイシェで再婚した。であれば一人孤独に過ごしたオットーを不幸な子供と思い、エミーリアは優しく接していたのだが。


「司令官は、あなただろう。たまには自分でどうすべきか、考えたらどうなのだ」


 流石に色々と積み重なって、エミーリアも我慢の限界だった。立ち上がって冷然とオットーを見据え、拳を握り締めている。

 

「あ、いや、その……私はまだ十一歳だし……何も……」

「あなたの従弟たるヴィルヘルミネは、八歳の折にあなたの父君を倒している。なのにあなたは十一歳になっても、この有様だ。そりゃあ婚約を破棄されても当然だと、私だって思うぞッ!」

「ヒェッ……ゴメンナサイ」

「チッ……明日までにボロヂノ子爵が降伏をしなければ、総攻撃を掛ける。これ以上南ダランベルの諸侯に温情を掛けていても、時間ばかりくってしまうのでな――……だから翌週には、ツヴァイクシュタインに入れるだろうさ。それでいいか?」

「わ、分かった。それでいい。でも、あのな、エミーリア……そなたも、そ、そんな性格だから婚約破棄をされたのだと思うぞ」

「こっ……このッ! そういうところだけ、妙に大人ぶるなッ!」


 エミーリアはぐっと唇を噛みしめて、その場を立ち去った。


 敵が搦め手できても、圧倒的な勝利を収めれば味方を統率できるはずだ。その為にもまずは、南部ダランベルの諸侯に対し断固たる態度で臨まねばならない。

 エミーリアはそう決意したのだが、その夜――彼女の天幕に火の手が上がり、再び疑心暗鬼にとらわれて、翌日の総攻撃は取り止めになるだった。

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