第175話 フェルディナント公国史
フェルディナント公国はエウロパ大陸中西部の、四方を山々に囲まれた盆地にある。すなわち天然の要害であり守りに固く、為にキーエフ帝国における西方の要衝として、確固たる地位を築くに至ったのだ。
フェルディナントとは凡そ五百年前まで、この盆地を指す名称であった。それが家名に変わったのは、アールシュタイン伯爵が周辺に点在する豪族たちを平らげ、この地域に覇を唱えたことに端を発している。
そのアールシュタイン家も、もとを正せばフェルディナントの一豪族に過ぎなかったのだが、西の大国ランスに攻め込まれたことを切っ掛けとして、時のキーエフ皇帝を頼ったのだ。
むろんそれは、フェルディナント地方に点在する豪族たちの総意であった。要するに当時は新興国であったランスより、歴史ある大国に頼ろうとしたのである。
そこで各豪族ともキーエフ帝国へ忠誠を誓う代わりに、各々爵位を手に入れたのだ。むろんアールシュタイン家も爵位を手に入れ、伯爵となった。それが、七百五十年ほど前のことである。
それから二百二十年ほどの月日が流れ、フェルディナント盆地は血で血で洗う戦乱の時代へと突入した。というより、エウロパの各地で戦乱が巻き起こっていたのだ。
発端は宗教紛争であったが、三十年ほど続くうちに、理由などどうでもよくなっていた。各国とも己の領土を拡張しようと、やっきになっていた時代である。
そこで綺羅星の如く登場したのが、ジークフリード=フォン=アールシュタインだ。
ジークフリードは十五の歳に父を亡くし、すぐにも周辺の領主たちから攻められた。初陣したての若者に、領地を維持できる筈がないと思われたのであろう。父を亡くして悲嘆にくれる間もなく、ジークフリードは戦う羽目になった。血も涙も無い時代である。
相手は五つの領主が連合を組んでいて、兵数は三千。一方アールシュタインの手勢は、僅かに八百であった。
この時――誰もが「勝てるわけが無い」と言い、若き領主に降伏を勧めている。
だがジークフリードは、「は? お前達が首の上に載せているものは、一体なんだ? 考えよ。どうして圧倒的に有利な私が、降伏などしなければならないのだ?」と言ったらしい。
事実、彼は時間差を付け、五つの勢力を各個撃破して見せた。
当時の領主たちは連合を組んだからといって、それを有機的に連携させ動かす方法など知らなかった。仮に知っていたとしても互いに主導権を争っていたから、付け入る隙がいくらでもあっただろう。だから戦場の設定さえ間違えなければ、こうした芸当は比較的容易だったのだ。
とはいえジークフリードは紛れもなく、戦争の天才であった。それを証明するかの如く、何とアールシュタインを継いでから、彼は僅か二年でフェルディナント盆地を統一したのである。
だが彼は、それでも満足しなかった。
二十歳になるとジークフリードは、野良仕事へでも出かけるかのようにランスへ出征し、麦を収穫するかのように人や物資をフェルディナントへ持ち帰っている。未だ戦乱の収まらぬ中、彼は傲然と大国に挑み、組織的略奪をやってのけたのだ。
むろんこれは、ジークフリードの冷徹な計算による。
フェルディナントの戦力では、ランス軍と正面からは戦えない。だから物資や人を奪い、国を富ませる事に専念したのであろう。
怒り狂ったランス王は、当然のように大軍を繰り出しフェルディナントへ出征した。
アールシュタイン家の家臣たちは「それ見た事か!」と怯え慄き、このときまたもジークフリードに降伏を促している。
しかしジークフリードは、この事態をこそ待っていた。だから家臣たちに、こう言い放ったのだ。
「諸君――ついに魚が食いついた。今度の獲物は大きいぞ、逃すなかれ」と。
ジークフリードは天然の要害たる山脈を利用し、三万のランス軍を五千足らずの兵で散々に打ち破った。それどころか王を捕虜にして、多額の身代金を請求したのである。
こうしてジークフリードはアールシュタイン家を継いで十年と掛からず、フェルディナント地方に独裁政権を確立したのであった。
後に身代金を支払い解放されたランス王は、ようやくジークフリードと戦うことの愚に気付いたらしい。王は方針を百八十度変え、彼を傭兵として自国へ迎え入れようとした。
この時ジークフリードに提示された条件は、王国軍最高司令官の地位であったと伝わっている。
しかし――ランス王の動きを察知したキーエフ帝国も、やはり黙ってはいなかった。もともとジークフリードは、形だけとはいえ帝国貴族である。これを易々とランス側へ、取り込ませはしなかったのだ。
このときキーエフ皇帝がジークフリードの下へ送ったのは、第四皇女であった。彼女は真紅の髪色をした美少女で剣も槍も巧みに使う、気の強い女性だったという。
彼女のことを一目で気に入ったジークフリードは、ランスからの使者を追い返すことを約束した。
しかし第四皇女にとって、そのような約束では足りなかったらしい。
彼女はランスからの使者を斬り伏せ、自らの護衛だけを伴いランスへ侵攻したという。
慌てたジークフリードは数百の騎兵を率いて第四皇女に追いつくと、そのまま勢いに乗って王都グランヴィルまで攻め上ったらしい。
こうまでされれば流石にランス王もジークフリードを諦める他なく――見事キーエフ皇帝と第四皇女の策略は上手く行ったのであった。
しかし一連の流れの中、予想外のことも起きている。
それは第四皇女の軍事的才能が、ジークフリードに匹敵するものであったということ。そして、それを目の当たりにしたジークフリードが、彼女に心から恋をしてしまったことである。
第四皇女もまた、そんなジークフリードを受け入れた。
キーエフ皇帝は、第四皇女を最初からジークフリードに与えるつもりで彼女を送り込んだ――という説もある。
しかし当時二十三歳のジークフリードに対し第四皇女は十六歳であったこと、ジークフリードにも第四皇女にも別に婚約者がいたことを考慮すれば、この事態がイレギュラーであったことは疑いようが無さそうだ。
こうしてジークフリードは第四皇女ヴィルヘルミネを妻として、フェルディナント公爵の地位を得た。ここに、フェルディナントという国家の歴史は始まったのである。
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「よろしいですか、ヴィルヘルミネ様。私が何を言いたいのかと申しますと――……」
年が明けて四日目のこと、ヴィルヘルミネの私室にヘルムートの姿はあった。彼は一冊の分厚い本を開きつつ、机に突っ伏すうら若き主君に歴史を説いて聞かせている最中らしい。
事態が事態だけに、令嬢は幼年学校にも行けなかった。となれば勉学を教えるのは、宰相たるヘルムートの仕事なのである。
「ええとつまり、余がヴィルヘルミネ二世――……っちゅうことかの?」
「違います。現在に至るまで、ヴィルヘルミネ様と同じ名を持つお方は七人いますから、正確には七世ですね」
「……多いのぅ。で、ヘルムートが言いたいことは、いったい何なのじゃ? まどろっこしいと眠くなるぞ」
ヴィルヘルミネは窓から見える木の枝が揺れる様を見て、軽く身震いをした。外は寒そうだ。となれば遊びに行くより、まだしも勉強の方がいい。もうちょっと頑張ろ……ぐぅ。
ヘルムートは隣に机を並べるゾフィーを見て、軽く頷いた。
「ヴィルヘルミネ様には帝室の血が流れており、しかも当時の第四皇女と同じ名をお持ちです。つまり帝位継承権を主張することも、決して不可能ではないと宰相閣下は考えておいでなのですね?」
ゾフィーは立ち上がり、凛とした声で言う。いかにも無理筋なことを平然と言ってのける彼女の横顔には、ヴィルヘルミネの輝かしい未来が映っているかのようだ。
ヘルムートは微苦笑を浮かべ、首を左右に振っている。
「流石に帝位継承権をいまさら主張するのは、無茶というもの。ですがヴィルヘルミネ様が第四皇女の生まれ変わりだと宣伝するならば、これは良いプロパガンダになるでしょう。少なくとも民衆にとってヴィルヘルミネ様は、帝国の一臣下ではなくなるのですからね」
「……なるほど。民衆が新たなる皇帝を欲するなら、それが自然とヴィルヘルミネ様に結び付くように……ということですね!」
「先の長い話ですが、正解です。戦乱が続けば今の支配者は、自ずと威信を低下させることになる。そのときこそ民衆は、自らの手で新たな皇帝を選ぶでしょう」
「でも先生は自由や平等、そういった民主的思想をお持ちでしょう? なのになぜヴィルヘルミネ様の夢の実現を、このように手伝ってくれるのです? 忠誠心から、ですか?」
「忠誠心――むろん、それもあるでしょう。ですがこの数年、私はまがりなりにも政治に関与してきました。そこで気が付いたのですよ――……完全な民主共和制には、まだ早いのだ、ということをね」
「ランスの現状を見れば、それはわたしにも分かります。民衆が欲しているモノは自由や平等、権利などではなく、パンや生活に必要な物資が不足なく買えること。つまり安定した仕事でしょう」
「そう。順番を間違えてはいけない――そのことをヴィルへルミネ様は、誰よりも分かっておいでなのですよ」
頷き合う黒髪紫眼の宰相と金髪の親友を他所に、赤毛の令嬢は机の上ですぴー、すぴーと眠っていた。寒い外に出ず、室内で貪る惰眠は素晴らしい。なのでヴィルヘルミネのお勉強は、今日もまったく捗らないのであった。
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