争乱
第174話 二面楚歌
「ぜんぜん全くめでたくないのぅ……」
豪奢な椅子に頬杖を付いて、隣に座るヴァレンシュタインへ顔を向けるでもなく赤毛の令嬢がボヤいている。あと数分で帝歴一七八九年が終わり、新しい年がやってくるという頃合いであった。
公都バルトラインにある宮殿へ、朱色髪の名将がやってきたのは三日前のこと。先ぶれの使者から話を聞いた時も、令嬢は「まさか」と口の端を歪めていただけだ。冗談だと思っていた。
が――……事実であった。ヴァレンシュタインは本当にエーランド王国との戦線を放り出し、友が生きているうちに一目会いたいと、遠くフェルディナントの地を訪れたのである。
「冬の間エーランドは雪に閉ざされる。奴らが再び動き出すのは、春になってからだろうさ。それまではカーマインやベッテルハイムに任せておいて、なにも問題はない。それにまあ、捕虜の交換もあるしな。ウィーザー提督を迎えにきた、という事情もある」
到着したヴァレンシュタインはこう言って、カラカラと笑っていた。それからすぐにフリードリヒを見舞うと、枯れ木のように細くなった友の手を握り、涙ながらにヴィルヘルミネの後見役を引き受けたことを繰り返し伝えたのである。
フリードリヒも感極まったのかヴァレンシュタインが来た途端、動かないはずの身体をベッドの上に起こしていた。若い頃は共に戦場を駆けまわった仲だ、無様な自分の姿を見せたくなかったのかもしれない。
「本当によく来てくれた、ザガン。ヴィルヘルミネの後見役も引き受けてくれて――……」
「なに、うちのルイーズに妹が出来ると思えば、悪くない話さ」
「ふ、ふふ、そうか。昔のようには酒の相手は出来ぬが……良ければゆっくりしていってくれ」
「ああ。ちょうど暇を持て余していたところだし、暫く厄介にならせて頂くとしよう。積もる話もあることだしな。ハハハ」
ヴィルヘルミネは二人の会話を聞きながら、心中で舌打ちを禁じ得なかった。
――まったくヴァレンシュタインめ、何が暇なものか! 戦場をほっぽり出しておるではないか! これで名将だなどと言われておるのだから、余が天才と言われるのも当然じゃろうて!
ともあれ、こうしてヴァレンシュタインはランスとの捕虜交換が終わるまで、フェルディナントに滞在することとなり。
その結果、宮殿の広間で催される年越しパーティーにも朱色髪の名将は参加して、ヴィルヘルミネの隣で年が改まる瞬間を待っている――という次第なのであった。
「やはり武官の多くは、戦場にいるのか?」
「当然であろう。卿と違い、みな真面目なのじゃ。東に六万、北に一万五千と二方向から攻められておる――余裕などある訳がなかろう」
ヴァレンシュタインは見知った顔が少ないことから、ヴィルヘルミネに理由を問うていた。
「そんなもの、お前自身が出馬すれば、すぐにも片付けられよう。もしかして、サボっているのか?」
「馬鹿なことを言うな、余はサボってなどおらぬ」
「――そう言う割に、この盛大なパーティーは何だ? いったい何を企んでいる?」
「ぷぇ?」
そんなことを言われても、赤毛の令嬢は何も企んでいなかった。だから首を傾げ、返答に窮している。
戦場へ行っていないのは、ただ単に怖いからだ。サボっていると言われたら、その通りと言えるかも知れないが。
しかしヴィルヘルミネが以前ケーキを食べながら意図せずヘルムートに語った方針が、現時点でトリスタンの手により見事な作戦計画へと変貌を遂げている。
だからヴィルヘルミネは内政をヘルムートへ任せ、戦争をトリスタンに任せているだけなのであった。
ただ、ほぼ全軍が出動している今の状態は、確かに国家として未曽有の危機にある。
トリスタン、オルトレップ、ロッソウの三人はプロイシェ軍と対峙して、リヒベルグが一人、北部ダランベル同盟の牽制に動いていた。
軍務大臣のデッケンは新領土となったトゥール州へ総督として出向き、海軍大臣のエリザが副総督として補佐している。
このようにフェルディナントが誇る綺羅星の如き将帥たちも、全員が留守なのであった。
そうした事情からパーティーに招かれた人々は文官や商人たちが圧倒的に多く、武官の最高位は大佐となったゾフィーとエルウィンの二人という有様だ。なのでいくら目を凝らしても、ヴァレンシュタインは見知った顔を見つけることが出来ないのであった。
こうした中で何か企みがあるとしたら、ヴィルヘルミネではなくヘルムートの仕業であろう。実際に彼は軍人の少ない事態を利用し、民政の充実に生かそうとしていた。だからヴァレンシュタインの読みは、半ば当たっていたのである。
フェルディナントは今、富国強兵政策の真っただ中だ。必然的に軍人の権限が拡大されていく一方、民政に携わる者、あるいは商人たちが軍部に無茶を言われることもしばしばであった。
そもそも摂政たるヴィルヘルミネが自ら軍服を身に纏い全軍を統帥している以上、直下にある軍部の威光が高まるのも当然といえた。
しかし国家としては、これこそ歪みである。軍部が極端に力を持てば、それが新たな特権階級になってしまう恐れがあるからだ。
ヘルムートはこれを正すために、この機会を最大限利用した。せっかく国内の貴族勢力を一掃した今、軍部という新たな特権階級を生み出したのでは、本末転倒だと考えたからだ。
そうした理由から今日は民政を担当する下級官僚からバルトラインの小さな商店主まで多くの人々を招待し、盛大なパーティーを開くことになったのである。
加えてヴィルヘルミネ自身の軍事色を払拭する為、ヘルムートは彼女に軍服の着用を控えさせていた。彼女のイメージを、軍事の天才から社交界の華に昇華させる為である。
「のう、ヘルムート。余の軍服が無いのじゃが、じゃが?」
「ゾフィーにあげました」
「えぇ!?」
「というわけで、此度はドレスでご出席を」
「ぷぇー――……」
そんな訳でヴィルヘルミネは銀糸で彩られた黒いドレスを着せられて、有無を言わさず髪をアップに結い上げられた。そこに銀のティアラを乗せられて、あれよあれよという間に絶世の美女が完成したのである。
だけどもヴィルヘルミネは「これ、なんか足らんの?」と思っていた。そこで、肩から赤地の飾緒を掛けたのだ。根本的に軍服が好きな令嬢は、これをカッコイイと思っていた。実際、確かに少しだけ軍事の匂いを醸し出したのだが……。
しかしそれも、所詮はから揚げに付けたレモンのようなものである。元来からレモンを掛ける習慣の無い民間人が見れば、「あんなもの、無くてもいいのに。いやむしろ、無い方がよくね?」で終わってしまう残念アイテムに過ぎないのだった。
こんな有様だから、ヴィルヘルミネは甚だ不満だ。しかも「ヴァレンシュタインはおるし、どうせ余如きミジンコがドレスなんぞ着たところで、どうにもならぬ。軍服の方が迫力が出るぶん、幾分かマシなものを。はぁ、気が重いのじゃ……」などと思っていた。
こうした弱気な姿勢が、赤毛の令嬢から武断的な印象を奪い去ったのであろう。ドレス姿のヴィルヘルミネはむしろ人々の庇護欲を駆り立て、官僚や商人たちは令嬢の美しさに熱狂したのである。
こうして今まで軍事一辺倒であったヴィルヘルミネは、ついに財界人や一般官僚の人気さえ不動のものにした。
ヴァレンシュタインはこれを見て、「なるほど。全ては人心を掌握する為であったか……」と末恐ろしく感じている。いよいよヴィルヘルミネは朱色髪の名将に、「政治も天才」だと思われてしまうのであった。
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